LISA SOMEDA

原初の動機

 

なぜ写真なのか?という問いはずっとわたしの中に留まり続けていて、問答のあとで思い至ったことを記しておこうと思う。

かつて同じ問いを恩師に差し向けたことがあって、そのとき返ってきたのが「写真術に恋をしている」ということばだった。な、なんと素敵な…。それを聞いて、この人に学ぶことができて良かったと心底思ったのを覚えている。そう。気がつくと母娘で韓流アイドルの推し活をしているように、好きは感染る。つまり…感染ってしまったのだ。写真への想いが。

カメラを手にとったころはそんな感じだったと思う。それから20年あまり。写真が好きという初々しい気もちは感謝へと変わっていった。前の記事(今でもわたしは)でも触れたが、わたしにとって暗室はアジールのような場所だった。明るい太陽のもとカメラを携え世界の素晴らしさを探し歩く行為は、つらい現実から距離を置くという効果をもたらした。ある時期のわたしは、撮影や現像といった写真にまつわる行為そのものによって支えられていたと言っても過言ではない。そのことへの深い感謝がある。

それともうひとつ。

いつもお世話になっている美容師さんはわたしよりすこし年上の女性で、髪を切ってもらうあいだに交わす会話から学ぶところが多い。先日「70歳になったときにどういう働き方をしているか?」という話になり、彼女が「お客さんは年配の方も多く、これからは訪問でカットするようなことをふやしていこうと思う。髪を整えることで華やいだり、シャンと背筋が伸びるような気もちになるから」と言ったとき、ことばが自分の中の熱いものに触れるような感覚があった。

わたしが忘れかけていたもの、イメージの力だ。

イメージには力があって、間違った方向に使われることもあるけれど、ひとを喜ばせたり力づけたりすることもできる。まだ気づかれていない良さを引き出したり、これまでとは違う側面から光を当てることもできる。見落とされがちなものに価値を見出したり、既存の価値を問うこともできる。イメージの持つそういう力を信じ、誰かのため社会のためにその力を使おうと思って、わたしは視覚表現の領域に進んだ。

なぜ写真なのか?を問ううちに、写真以前、原初の動機に辿りついた。

祭りの夜に

 

先の八瀬の赦免地踊りに続き、この週末は鞍馬の火祭りを訪れた。
この祭りも最後に訪れたのは2019年で、2度目の来訪となる。

はじめて訪れたときは、祭りの熱気と燃え盛る炎に煽られ、執拗にシャッターを切っていたように思う。

今回は、写真を撮るというより祭りそのものを楽しもうと思って訪れたこともあり、鞍馬街道のほぼ最奥で軒を借りて松明が通るのを待っていた。

鞍馬の火祭りは鞍馬寺ではなく由岐神社の神事で、氏子それぞれの軒先で篝(エジ)が焚かれている。両親と同年代と思しきご夫婦が互いに相手の薪のくべ方に注文をつけあっているのを聞くとはなしに聞いていたら、なんとなく氏子同士の立ち話に加わることになっていた。

氏子のひとりが「松の枝を市原に取りに行ったんやけれど、(時節柄、マツタケ)泥棒と疑われんかと思ってな」と話しているのを聞いてあらためて各戸の篝を見てみたら、薪を山のように積んでいるもの、一定量を保ってこまめに薪を足していっているもの、それぞれの個性が滲みでているようすが見えてきた。

篝が焚かれた街道の光景を、できるだけうつくしい画に仕上げようとシャッターを切るのと、それぞれの篝にその火の守りをする人の個性を見出しながらシャッターを切るのとでは、まなざしのあり方はまったくちがう。

先の赦免地踊でも、はじめて訪れたときは切り子燈籠のうつくしさや女性に扮した少年たちの妖しさに魅了されたが、ことしは隣席の方から「今回は息子が燈籠着(燈籠をかぶって歩く役)を、夫が警固(燈籠着のそばについて燈籠を支える役)をしている」と聞いたことで、息子の頭に載せられた5kgもの燈籠を力強く支える父親の手が見えてきた。

それまで見ていなかったもの、見えていなかったものが見えるようになった、という気がしたのだ。

日頃から「見栄えのいい写真を撮ってやろうという欲は時として足枷になる」と自分を戒めてきたが、その欲はよく見ることの妨げにすらなりうると思った。

外から来訪し、フォトジェニックな被写体を追って見栄えのする光景を切り取って帰るより、その場その場で居合わせた人と関わることによって、まなざしがそれまでよりずっと丁寧に細やかになった。個別具体的なひとの営みが、以前よりよく見えるようになった。

翻ると、それまでわたしは、ひとを記号のようにとらえていたのだと思う。

わたしだけではない。その夜、祭りの場でシャッターを切っていたほとんどの来訪者が祭りの担い手を、それぞれの画面を構成する要素/匿名の存在/記号のように扱っていたのではないだろうか?さらに言えば、見知らぬ他者を画面に取り込む写真実践のすべてに同様の問いは潜んでおり、それを不問に付したまま写真は消費されてきたのではないだろうか?

個別具体的な生をもつ他者を、画面を構成するものとしてとらえること、あるいは記号のようにとらえることへの違和。近年芽生えたその違和を、なかったことにせず考え続けたいと思う。

今でもわたしは

 

今年はあいにく体育館での開催となったのだけれど、赦免地踊を観に行った。

はじめて訪れたのは4年前。
市街地から北に向かうにつれ、少しずつ空気がひんやりと、夜がその存在感をましていくように感じられた。そして、山あいの夜の暗さと静けさに圧倒され、蝋燭の灯に揺らぐ切り子燈籠のうつくしさ、女性に扮する少年たちの妖しさに魅了された。

それこそ京都は祭りの宝庫で、雅なものから勇壮なものまで多種多様な祭りがあるのに、なぜこの小さな集落の祭りにひときわ心魅かれるのだろう?と、帰宅後もしばらく考え続けていた。


この数年、訪れた土地の夜の暗さにほっとすることがある。
ここは夜が夜らしい暗さだ、と。


半月ほど前、ある人から「なぜ写真なのですか?」と尋ねられた。

わたし絵が描けないんです/学生時代、自分で問いを立てることが求められたのは写真の課題だけだった。もしその課題が写真ではなく彫刻だったら、わたしは彫刻をしていたかもしれない/暗室だけが安心して泣ける場所だった/なにか素敵なもの、それまで見たことのないようなあたらしいものの見えかた、そういったものに意識を向けながら世界をまなざすこと、太陽の下を歩くという路上スナップの行為そのものが、当時の自分のこころを支えていたように思う

そんなふうに答えたと記憶している。

「もしかして暗室は…」
言いかけた相手のことばを引き取るように、わたしは答えた。
「子宮なのかもしれません。唯一、安心できる場所でした」


山あいの夜の圧倒的な暗さと静けさ。それに抗うのではなく、折り合いをつけるかのようにひっそり執り行われる集落の祭り。自分の輪郭がほどけるような暗さと静けさのなか、揺らめく灯に誘われ、ふだんは届くことのないこころの深い場所に触れられる気がした。

ああそうか。
今でもわたしは暗く静かな場所を求めているのかもしれない。

近似

 

モノクロームは輝度のパターンで、カラーだって無数の色が数色に置き換えられたもの。どちらも近似でしかない。

無時間性

 

いつだったか、WEBでRIVERSIDEの作品を観てくださった方に「写真なんですか?絵だと思っていました。」と言われたことがあって、そのときは「写真です。」と答えたものの、編集していると絵のように見えることがある。その事象についてはなんとなくやりすごしてきたが、もしかしたら考える糸口になるかもしれないということばに出会った。

無時間性

そのことばがひっかかったのは、RIVERSIDEの編集中、信号機の赤、少年が跳び上がる瞬間や時計といった、時間を意識させるものを画面の中に見つけたときに、ハッとすることがあったから。そういうものに反応するということは、わたしは自分が撮った写真を無時間的なものと見なしているのではないか?と。

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Spring has come!
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Spring has come!
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Spring has come!
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Spring has come!
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また、はじめて展覧会を開いたときに、会場を提供してくださった企業の方から「三条大橋とか、場所の名前入れたほうが良かったんじゃないですか?」と言われたことがあり、写真が地図のように見えたんだと思ったが、地図ととらえるなら、まさに無時間的だ。

ソフトフォーカスは、写真という媒体が得意とするはずの細部描写を敢えて放棄することで、白黒写真を木炭デッサンと見紛うものに変えることもできる。だが、福原の作品の場合、ソフトフォーカスは写真を絵のように見せるためというよりは、無時間性の印象を補強するために用いられている。第一に、ソフトフォーカスの写真は、写真画像と、我々が肉眼で見ている世界の光景のあいだの差異を拡大することで、前者がまるで別世界の出来事であるかのように見せる。この別世界において、我々が暮らす世界と同じようなペースで時間が流れているのかどうか、我々には知る由もない。第二に、ソフトフォーカスの写真では多くの場合、それがごく短い時間で撮影されたことを示す証拠が画面から取り去られている。マーティンの《海老の籠を運ぶポーター》を例に見たように、人物の表情、洋服の裾といった要素は、ある写真が瞬間的に—おそらく数分の一秒以下の短い時間で—撮影されたことを示唆する。そういった要素はしばしば微細なものであり、ソフトフォーカスによって細部が抑圧されると同時に、写真から消え落ちてしまう。

(『ありのままのイメージ: スナップ美学と日本写真史』 甲斐義明著 東京大学出版会 2021 pp.27-28より抜粋)

無時間性ということばは、ソフトフォーカスの技法についての説明とあわせて出てくるが、ここで注目したいのは、瞬間的に捉えたことを示唆する微細な要素が抜け落ちると無時間性の印象が補強されるということ。

わたしは細部をとらえることにこだわりがあるからソフトフォーカスは用いないが、40mほど離れた被写体を撮るので、必然的に人物の表情や洋服の裾といった微細な情報は脱落する。(その意味では、近距離より遠距離の被写体のほうが無時間性を帯びやすいと言える)

さらに、自転車のような動く被写体は、なるべく像が流れないよう速めのシャッタースピードで撮る。すると「動き」を感じさせる要素も抜け落ちる。上述のソフトフォーカスの話とは逆に、細部をとらえようとすることが、無時間性の印象を補強することにつながっている。

いっぽう、隣接する写真が異なる瞬間に撮られたものであること(時間性)をはっきりさせておきたいという気もちもある。

プリントの工房で「雪は難しいでしょう。つなげるときに濃度が揃わないから。」と言われ、いやむしろ吹雪に緩急があって写真の濃度が揃わないほうがおもしろいと思ったときに、自分が求めているのが滑らかにつながるひとまとまり(全体)ではなく、ひとつひとつの写真が独立しつつゆるくまとまりを仮構する構造であると自覚した。そして、それぞれの写真の独立性は時間性に拠っている。

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無時間性を帯びやすい方法で撮りながら、写真どうしの関係においては時間性を拠りどころとしている。そのことが明らかになったのは前進だと思う。絵のように見えることと無時間性のつながりについては、またあらためて。

得体の知れない写真

 

先日「ある種の貪欲さ」と書いてから、自分で書いたそのことばが気になり考え続けていた。

ひとと話をしたり、展覧会をいくつか観たなかで取り戻しつつあるのは、得体の知れない写真を撮りたいという気もち。

たしかにそういう写真はこの世にあって、感情移入できるわけでも、ことばで了解できるわけでもなく、むしろ良いとは思えないのになぜか引っかかる。そういう写真を撮りたいと思っていた。

これまでに身につけた知識、同時代的な文脈、自分自身の制作の一貫性…そういったものすべてをかなぐり捨ててでも、もう一度、自分の感覚だけを頼りに世界をまさぐるようなところに戻ってみたくなった。

初心

 
  • 手を動かしはじめたときには想像もしなかったところに辿りつくこと
  • それまでの自分を越え出ること / まだ見ぬ自分と出会うこと

自分を駆動してきたのはこういう期待だったと思う。それをいつの間にか忘れてしまっていたのね。自分が自分に期待をしなくなっていた。

今、それを取り戻しつつある。ある種の貪欲さとともに。

土に還る

 

昨年の秋の終わりに、念願だった森田真生さん(独立研究者)の講演を聞く機会を得た。てっきり数学をベースにした話になるとばかり思っていたら、PlayとGameの対比を軸に人類の起源から気候変動に絡む地政学まで、時代と分野を縦横無尽に行き交うとても刺激的な90分だった(頭をぐわんぐわん掻き回されたというのが正しい)。

その講演のあともずっと響いているのが、
「僕には庭師の友人がいて、彼はものを選ぶときにそのものが土に還るかどうかで、いいか悪いかを判断する。」という語りで始まり、
「その視点から見ると、遺跡は土に還らなかったものとも言える。土に還ることを善きこととし土に還った多数の人々ではなく、土に還らないものを残してしまったごく一部の特殊な人々のことばだけを紡いで歴史を記述するのはどうなのだろう?」という問いだった。

この問いはふたつの意味で心に残っている。
わたしは長く歴史に興味が持てずにいたが、網野善彦さんの著書に触れてはじめて、自分は支配者を軸とする歴史に興味が持てないだけで、民衆がどう生きたかという視点で描かれる歴史には強い関心があるとことに気がついた。その経験に通じるものを感じたというのがひとつ。

もうひとつは、作り手として自分の姿勢も問われているように感じたこと。〝土に還る〟というものさしと、どう向き合っていくか。

冬に向けて整理した朝顔の蔓、ユーカリ、南天の小枝などを使って手遊びのリースを仕立てながら、ベランダの植物だけでつくるリースはこの場所でともに過ごした時間の蓄積、ごくごくプライベートな歴史であり、そして気が済んだら土に還すこともできる。土に還るってなんだか安心感があるの、ふしぎだなぁ。ちょうどそんなことを考えていたところだった。

写真に携わっていると当然、劣化させずにどれだけ長期保存できるか?を考えてしまうし、作家としてはついどうやって後世に残すか?を考えてしまう。でも、経時変化を受け入れ、さいごは跡形なく土に還るという作品のあり方を選んでもいいはずなんだよなぁ…

非対称性

 

週末、ホー・ツーニェンの百鬼夜行展を観に、豊田市美術館を訪れた。

彼の作品をはじめて観たのは、2017年に森美術館と国立新美術館で開催された「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」だ。マレーの虎にまつわる映像が強く印象に残っている。

恥ずかしいことに、わたしはこのサンシャワー展をとおして、はじめてアジア地域における日本の侵略戦争、つまり加害の歴史を具体的に知った。

思い返せば、小中学校の課題図書で選ばれるのは、戦争でどのような被害を受けたかという話ばかりだった。歴史の授業でも、近現代史は学年末に足速に通り過ぎるようなものだった。高校では理数系を選ぶと自動的に地理に振り分けられるシステムになっていて、日本史とも世界史とも縁がなくなった。自国の侵略戦争についてほとんど何も知ることなく、あるいは知らされることなく、そして知ろうとすることなく、わたしは大人になってしまった。

くわえて、21世紀を生きるアジアの作家らが前世紀の侵略戦争を主題に選ぶまさにその事実によって、被侵略地域においては戦後何十年経っても「終わっていない」ことを思い知らされた。

加害者側はその先の人生で加害の事実を忘れたりなかったことにできるけれど、被害を負った側はその被害を忘れることもなかったことにすることもできない。加害と被害の立場には必ず、そういった非対称性が生まれる。

わたしが侵略戦争について知らずに生きてこられたこと、制作において侵略戦争を主題化せずに済んできたこと、その状況そのものが加害の立場の特権性なのだ。アジアの作家らが日本の侵略戦争を主題化する傍らで、日本人作家として何も知らずに「見るとはどういうことか」といった抽象的なテーマに取り組んでいられたこと、そこに立場の非対称性が現れている。

サンシャワー展においては、
欧米との関係でしか自らの立ち位置を考えてこなかったのではないか?
前世紀の戦争を被害の立場からしか見てこなかったのではないか?
そういった反省も促された。
近年の展覧会のなかで、もっとも深く考えさせられる展覧会だった。

だから、百鬼夜行展は絶対に見逃せない展示だった。

開催中の展覧会について多くを書くのは控えるが、百鬼夜行展ではとりわけ、ふたつめの『36の妖怪』が印象深かった。一瞬にして観者を傍観者の位置から引きずり下ろすその鮮やかな手際に、思わず息をのんだ。

もしまだ観ていなかったら、是非観に行ってほしい。

They looked, but did not see it.

 

タイトルのセンテンスは、昨年末に読んでいた今井むつみさんの『英語独習法』で見つけたもの。思いがけないところで、思いがけないことばに出会うのね。

人は外界にあるモノや出来事を全部(seeの意味で)「見ている」わけではない。無意識に情報を選んで、選んだ情報だけを見るのが普通である。注意を向けて、見るべきもの、次に起こるであろうことを予期しながら外界を(lookの意味で)「見ている」。当たり前のことが起こると、その情報は受け流してしまい、見たことを忘れる。予期しないことが起こり、それに気づけばびっくりする。そのときは記憶に残りやすい。しかし、注意を向けているつもりでも、予期しないものは気づかずに見逃しまうことも多い。

(『英語独習法』今井むつみ著 岩波新書 2020 p7より抜粋)

RIVERSIDEプロジェクトの根幹は、まさにこれだと思って。ふだん何気なく(lookの意味で)見ているものを写真に置き換えることで、seeの意味での見るに変換すること。

いつも見ていたはずだけれど、そうは見ていなかったんじゃない?と。

そして、日本語を使って考えているうちはなかなか言語化しにくかったのが、英語を借用することでこうもあっさり表現できるんだなぁ、と。

ここからはまったくの余談…
ちょうどこの本を読んでいたのと同時期に放映されていた恋愛ドラマに「好きです。likeではなくて、loveです!」という台詞があって、わざわざ英語を借用しないと自分の気もちすら伝えられないって日本語ってちょっと不便じゃない?と。自分の生活でも、漢方医の問診で「喉がかわきますか?」と訊かれたときに、乾く(dry)?渇く(thirsty)?どちらだろう?といつも戸惑う。局所的に喉を湿らせたいのか、身体が水分を欲しているのかは違うニーズだと思うので…。

何かを厳密に定義したり伝達するには、日本語は曖昧ですこし不便な道具なのかもしれない。

ハッパ

 

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

いただいた賀状のなかに、

コロナ後のソメちゃんの作品がどうなっていくのか、また見せて欲しいです。

という添え書きがあって、年始からハッパがかかったというか、とてもうれしかったです。ありがとう。

正直に書くと、
昨年オンラインの展覧会で手もちの作品をすべて出し切ったあと、気が済んだような状態(もうここでやめてもいいのかも…)になっていました。

正確には、その少し前から、自分の制作がある種の箱庭療法のようなものだとすれば、人様に見せる必要があるのか?という迷いがありました。

というのも、川べりでの撮影で、移動しながら撮影する一連の動作の繰り返しのうちに、トリップのような感じで自分の内面の深いところ(抑圧された感情)に触れるようなことがたびたび起こるようになり、

ちょっとおっかないなぁという思いと、もしかしたら自分を制作に向かわせているのは深いところにある傷なのではないか?という疑い。仮にそうだとすれば、それを視覚表現の文脈に沿わせることへの違和。そして、内面の課題が解決すれば、制作へのモチベーションが失われるのではないかという恐れ。そういったもろもろの思いにがんじがらめになっていました。(これがいわゆる中年の危機やろか…)

そういった感じで迷いに迷っていたのですが、それでもなお欲が残っていることに気がついたのです。

そして、昨年から新しいプロジェクトに仕掛かっています。正確には、手遊びのように試したことに作品化できそうな手応えを感じはじめています。今回は〝何も写らんかも…と思いながら三脚にカメラを据えてみたら予想しなかったものが見えた〟経験からスタートします。

RIVERSIDEプロジェクトが「見てはいるけれど、そのようには見ていなかった」だとすれば、新しいプロジェクトは「見てはいるけれど、見えていなかった」事象をとりあげたいと思います。

RIVERSIDEプロジェクトの作品が、くっきりはっきりだとすれば、新しいプロジェクトの作品はモヤモヤ〜っとしています。

アーカイブ

 

そもそも、話すのがうまくない。
いつも言いたいことを言えない、言い足りないもどかしさがあって、書くことでやっと出し切る。

そのための道具としてブログを書きはじめ、しだいに生活の中での気づきや、読んだ本の印象深いフレーズをメモ書きのように残すことが増えてゆき…

それでも、書きはじめた頃から、ひとりの人間が作品をつくりながら何を考えどう生きたか、制作のさなかに考えたことをその都度綴っておけば、登山で言うところの踏み跡のようなものとして、あとからこの道を進む誰かの役に立つかもしれないとは思っていた。(そして実際に「読んでます」という若い作家の方が現れてびっくりした)

近年アクセスが安定しつつあるのに加え、自分自身を振り返るのにも役立つようになり、アーカイブとしての側面を少しずつ意識するようになっていった。

さらに今は、写真作品だけでなくこれらドキュメントも含めた営為を制作物としてとらえ直し、作品とドキュメントのつながりをもっと明確にしたいという欲も出てきた。

多くの作家にとってWEBは広報媒体のひとつかもしれないけれど、わたしはここを拠点とする。そう決めたので、これから少し時間をかけて手を入れていこうと思う。

もうひとつ。
20年近くひとつのプロジェクトに携わり、時間とともに作品に対する意味づけが自分の中で変遷するという経験をした。さらに20年続けたら、20年後のわたしは今とはまったく違う意味づけをするかもしれない。くわえて、人間は思っているよりずっとあやふやで一貫性に欠けているのではないか?という疑いもある。少なくとも自分のことは誰より自分がいちばんよく見えて〝いない〟。

つまり…定型フォーマットに則った「このコンセプトでこの作品をつくった」という作者の語りからこぼれ落ちるものが、わたしの意図を超えてここに残るかもしれないと期待している。

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