大事にされていない、と思う仕組みのなかで、一生懸命、周囲のひとをたいせつにしよう、と思って頑張ってみたけれど、もう限界かなぁ。大事にされていない、と感じ続けることは、少しずつ少しずつ、こころとからだを蝕んでゆく。

それでも幸せだと思うのは、大事にされていない、ということを明確な痛みとして感じられるくらい、わたしは、たいせつに育てられたこと。

大事にされていないことに慣れてしまったひとは、そのことに痛みは感じない。あるいは、痛みを感じていることに、気づいていないだけかもしれない。でも同時に、自分が他人を大事にしていないことにも、気づかない。

久しぶりに、ざっくり傷ついちゃったかな。