空間の経験 身体から都市へ』 にも、遷宮についての記述があった。

 形態は、崩壊しやすいものでしかない特定の実体より重要である。形態を復活させることは可能であるが、形態をつくり上げている材料が崩壊するのは必然なのである。日本の神道の古くからの習慣は、このような再生の観念によって説明することができる。神道の神社は一定の期間ごとに完全に建てかえられ、備品と装飾も一新される。とくに、神道の中心である伊勢の大神宮は二十年ごとに建てかえられる。それに対して、ローマのサン・ピエトロ大聖堂、シャルトル大聖堂、カンタベリー大聖堂といった大きな教会堂は、何百年ものあいだ風雪に耐えてそこに立っている。長い期間に渡る建築の過程でその形態は変化していくが、ひとたびそこに存在するようになった実体は不変のままなのである。
(『 空間の経験 身体から都市へ』 イーフー・トゥアン著 山本浩訳 ちくま学芸文庫 1993 pp.338-339より抜粋)

高階秀爾さんが『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』(2009)で述べている、

西欧に「ものの思想」というものがあるとすれば、日本には「かたの思想」とでも呼ぶべきものがあって

というくだりと見事にパラフレーズしている。