LISA SOMEDA

住まう (10)

意外なところにヒントがあった

 

ここ数年、撮影旅行や、展覧会でバタバタしていて、知らぬ間にものが増えていた。
引っ越しや、トランクルームの利用も考えたけれど、まずはものを減らしてみようと思い、不要品の処分と部屋の整理に取り掛かったのが1年ほど前のこと。最近になってようやく、目に見えてものが減って気づいたことがある。

はじめは、身軽になりたいという思いに突き動かされていたのだけれど、ものが減って部屋が片づくと、
(誰もが言うことだけれど)まず、とても気分がいい。

そして、予期せぬ収穫は、今まで気づかなかったことに、気がつくようになったこと。

部屋のカーテンをシンプルなものにかけかえたら、翌朝、外から射し込む光が、窓ガラスを通すのと、通さないのとで、ほんの少し、緑み、あるいはマゼンタみ、を帯びていることに気がついた。
もしこれが、部屋がごちゃごちゃしていたり、にぎやかな柄のカーテンを吊っていたら、きっと気づかなかったろうと思う。日常生活での些末な気づきは、もっともっと、数え切れないくらいたくさんある。

ものが多いときは視覚刺激が多すぎて認識できなかったものが、ものが減って刺激が少なくなったせいで、より繊細に認識できるようになったのだと思う。感度が少し上がったのかもしれない。

どうしたら見る感度を上げられるか、ということをずっと考えていたけれど、意外なところにヒントがあった。

余計な刺激を減らせばいいのだ。

残すところあと2回

 

古い町家に引越して、大家さんから最初に手渡されたのが、家賃帳。1年分の家賃の領収書を一冊にまとめてあるもので、レトロな風情がなかなか、好い。

毎月5日までに、家賃とその家賃帳と、光熱水道費を大家さんに届けるのが、ルール。

光熱水道費は、母屋の方がまとめて支払ってくださっているので、はなれだけの子メーターを、自分で検針して、はなれの使用量を、電気・ガス、それぞれ計算してお届けする。

わたしの住んでいるはなれは、もともと1階と2階をわけて間貸ししていたものだから、子メーターもそれぞれ2つずつついている。

1階分と2階分、ガス2つ、電気2つ、都合4つの子メーターをそれぞれ検針し料金を算出する。最初は、面倒だなぁと思っていたこの計算も、もう残すところあと2回、と思うと、寂しくなる。

住めば都、とはよくゆうたものだ。

気の流れ

 

風水はあまり信じていないのだけれど、
作業場を一階におろしてから、
何かとひととのつながりが活性化している。

部屋割りをかえて、
気持ちが少しオープンになったということも一因かもしれない。
実際、気の流れもかわったようで、けっこう不思議。

世の中のものごとは、
所詮、ひととのつながりをベースに動いているのだから、
つながりが活性化すると、”いいこと”もふえる。

2階が亜熱帯だとしたら、

 

どうも1階と2階で気温が違うな、と思っていたら、
その気温差、実に5度。

2階が亜熱帯だとしたら、1階は温暖湿潤気候。

2階を作業場、1階を寝室にしていたのだけれど、
「古い家屋は危ないから二階で寝ろ!」という忠告の多さと、
この数日の蒸し風呂のような暑さで、ついに入れ替えに踏み切った。

夜しか使わない寝室は2階。日中作業をする作業場は1階。

外気温が33〜35度くらいでも、
1階は扇風機だけで過ごせるくらいひんやりしている。

こわいくらい、ひんやりしている。

サービスなんかじゃない。

 

近所に、長谷食品という小さなスーパーがある。

けっして割安ではないそのお店。
でも、わたしは好んで足を運ぶ。

わたしのうしろに並ぶお年寄りの女性に、店員さんが話しかけている。

「さっき、娘さんが牛乳2パック買って行きはったよ。それ知ってはる?」
「いや、知らん。」
「ほんじゃ、牛乳、カブるんじゃない?」
「せやな。戻しとこか。」

そういうやりとり、今まで何度も見かけた。
レジで小銭を一生懸命探すお年寄りを、けっしてせかさない。
お年寄りのお客さんが多く出しすぎたら、大きめの声できちんと金額を説明して、
出しすぎたお金を財布に戻してあげている。
手が空く時間は、話あいてにもなっている様子。

それが、御所南、京都のド真ん中にある。

お年寄りの生活をそっと見守るこのお店には、
「サービス」や「顧客満足」なんて薄っぺらなことばは似合わない。

ひととひととが思いやり、いたわりあって生きる、ただそれだけのこと。
サービスなんかじゃない。

マニュアル化されたサービスで埋め尽くされた店にはない安心感が、そのお店には、ある。

平成の大改修

 

家にひとがいるから。
家にひとがいないから。
そのどちらの理由でも、家に帰りたくないと思うことがあった。

唐突にそんなことを思い出したのは、今日は日暮れまで家に帰りたくなかったから。

平成の大改修。
築年数不詳の住まい、早朝から大工さんが出入りして瓦をふきかえている。電ノコの容赦のない音が、リアルタイムで通っている歯医者の処置を思わせて、音だけで歯がいたい。

そんな事情で、家に帰りそびれているときに、そのひとのことばを思い出す。

家にいるのがいやでよく旅に出ていた。

それを聞いたとき、わたしはことばに詰まってしまった。
帰るのがいや、ではなく、いるのがいや、なんて、あまりに切ない。

寒いさん

 

「家内が外気温より寒い。このままじゃ、自宅で凍死するよ。」
と、泣き言を言うと、
「晴明神社に行って、寒いさんに出て行ってもらうようにお願いせなあかんな。」
と、母。

ものは試しということで、撮影がてら晴明神社に。
これで、寒いさんが出てってくれたらええんやが。

雲間から、かすかに見え隠れする今朝の光は、
けっこう色っぽかったな。

子だくさん。

 

帰宅すると、はなれの玄関先にちょこんと鉢が置かれている。
棕櫚竹だったり、サボテンだったり。

いちど鉢植えの話でもりあがって以来、
母屋の奥さんが、いろいろ鉢を分けてくださるようになった。
「置いてある」というのが、なかなか好い。

こっそり家の前まで来て誕生日のプレゼントを置いて帰るともだちがいたけれど、
それに近い。

いただいた鉢のおかげで、ベランダがずいぶんにぎやかに。
花のおかあさんは最近、子だくさん。

お返しというほどでもないけれど、
小鉢で咲いた白いミニ薔薇を一輪、母屋から見えるところに飾っておく。

鷲田清一さんの「他人の視線をデコレートする」ということばを思い出した。

シェア可です。いちおう。

 

転居先を採寸する。

いちばんの問題は、
3年前、調子に乗って買ったエレクトロラックスの冷蔵庫。

冷蔵庫の幅は55cm。
玄関の間口が56cm。それも木枠が歪んでいるから怪しいところ。
はなれにたどりつくまでに、狭い土間を通さないといけない。

その冷蔵庫はバカでかく、ワインを寝かせて冷やせるくらいお洒落なのに、
冬は冷蔵が冷凍になり、夏は冷凍が冷蔵になる。

冷蔵庫としては、いまひとつだが、
フィルム保存庫、こめびつ、食器棚、と用途が広い。

買ったときも、ヤマトのニイサンが二人じゃ無理と応援呼んで、
クール便のニイサンも集って4人がかり、絶妙な角度で玄関を通した。

次の住まいに入れられるかどうか、よりもまず、
今の住まいから出せるのかどうか、やな。

ちなみに転居先、50平米超は、さすがに広い。
よく言えば、庭付き一戸建てやし。。。
シェア可です。いちおう。

小ぶりな冷蔵庫持ってる方。

あったかやった。

 

「見ておきたい。」

いままで何度も引越しをしてきたけれど、そんなことを言われるのは、はじめてのこと。転居するまえに、見ておきたいというひとが何人も。「あれは見ておいたほうがいいですよ。」という会話がわたしの知らないところで交わされているらしい。昼のホリカワを知らないひとのために、一枚だけ載せておこう。

ホリカワ

ざっくり数えただけでも、生まれてから12軒目。わたし自身もいちばん愛着のある住まいだった。この部屋に、身もこころもくるんとくるまれていた。

この住まいの良さはすべて「ねえちゃんとこは、ばあちゃんちや。」という弟の一言に集約されていると思う。部屋のしきりの磨りガラス戸とか、鉄線の入った重い窓ガラスとか。お風呂場のタイルとか。小さすぎる洗面とか。屋上にあがれることとか。撮影にでかけるときに、上の階のおっちゃんが手を振ってくれることとか。なぜか引越し祝いと言ってごちそうしてくれる管理人さん、とか。

住むひとも住まいもあったかやった。

そして何よりも、部屋に射し込む光。
さいごに迎えたお客さんが「ちゃんと外のことがわかる部屋だね」と言い残す。光のこまやかな表情が部屋の中にいても伝わる、ソトとゆるくつながっている部屋。

もうあと少しでなくなります。