しかし、コルビュジエ達は、大衆社会における芸術と社会との関係を正確に理解していた。その理解に基づいて作品を作り、また、その理解に基づいた巧妙なやり方で、作品を社会に投入したのである。
大衆社会において、建築は一個の商品(オブジェクト)として大衆に受け入れられる。この決定的事実をコルビュジエ達は正確に理解していたのである。(中略)商品は、なによりもまずひとつの強固でわかりやすい図像性を持っていなければならない。一目見てはっとするようなパッケージをまとっていなければならない。そのパッケージの図像性が要請される。そのために彼らはまず建築を、その外部の世界から切断することを考えた。
商品というものは通常、移動可能な自立したモノとして把握される。建築もまた環境から切断されてはじめて、商品として、人々から受け入れられると彼らは考えた。そのためにコルビュジエは列柱(ピロティー)を用いて建築を大地から浮上させて切断し、ミースは古典主義建築が行ったように、乱雑な大地の上にまず基壇を築き、その上に自らの芸術作品をうやうやしく配置したのである。ピロティーや基壇で切断された芸術作品には、単純でわかりやすい形態が与えられた。
(中略)切断への関心は、危機感の反映でもある。二〇世紀においては、商品化という操作によってのみ、芸術と社会とが回路を結びうるとするならば、二〇世紀の建築の置かれた位置は絶望的ですらあった。絵画や彫刻はすでに額縁や台座(基壇)によって、二〇世紀のはるか以前から、環境とは明確に切断されていた。ルネサンス以降の近代化のプロセスの中で、すでにその切断をはやばやと達成していたのである。さらにこれらの領域では、貴族的なパトロネージが、二〇世紀に到っても依然として力を保ちつづけており、商品化の必要性はより希薄だった。それに対し、建築の危機は深刻であった。額縁はなかったし、パトロネージも風前の灯火であった。
(『負ける建築』 隈研吾著 岩波書店 2004 p94-95から抜粋)
「額縁はなかったし」というところが、建築の側の本音ぽいのが可笑しかった。
ものを「作品」として他者に認識てもらうための道具立て、プロトコル、そしてその効能には、充分注意をしなければならない、と思ってはいたけれど、ここで、フレームの本質的な機能が、環境との切断ということをあらためて確認する。
作品のなかには、額縁や基壇などのわかりやすい道具立てに頼っていないとしても、そのほかの方法で、環境との切断を果たすことで、作品として成立しているものがあるのかもしれない。そういった作品群を環境との切断という視点を頼りに再検討することで、「作品」の成立前提を、考えたいと思う。