LISA SOMEDA

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自由になった前足

 

このサイトでいちばんアクセスが多いのが「感覚比率」という2007年の投稿で、そこでは電話をしながらつい落書きをしてしまうという経験に触れたが、ちょうどいま読み終えた
ハンズ 手の精神史』にも、会話と手の動きについての記述があったので抜粋しておこうと思う。

この本では、わたしたちがいかにせわしなく〝手を動かさずにはいられない〟存在であるかが描かれており、電話であろうとなかろうと会話と手の動きはそもそも切っても切れない関係にあるようだ。

 第一世代の研究者たちは、手の使用がおおよそ二つのグループに分かれるという意見で一致していた。一方の「対象に焦点を当てる」手の運動は———特に、言葉を強調したり、区切りを入れたり、修飾したり、例示したりする際に———話し言葉と密接に関連していた。他方、引っ掻いたり、こすったりするような「身体に焦点を当てる」運動には、話し言葉との関連はみられなかった。対象に焦点を当てるジェスチャーは、発話のリズムにあわせて調整されており、その二つの同期のゆらぎが言語符号化における問題を直接的に示していると考えられた。発話と運動がうまく噛み合わない場合には、話者が何かを表現することに苦労している可能性がある、というわけだ。しかし、身体に焦点を当てる運動は、それとは異なったものであることがわかった。 それらの運動は、発話のリズムにはそれほど同期してはいなかったのである。そして、そうした運動は、分離や死別などの喪失の後にしばしば起こっていた。それはまるで、身体が痛みや悲嘆に反応して自分自身を刺激しているかのようであった。

 あらゆる研究者によって確認されていたように、先の二つのグループの違いは、実際にはより複雑なものであった。古典修辞学者もそう考えていたように、「対象に焦点を当てる運動」が話すことと結びついていたことは確かである。だが、「身体に焦点を当てる運動」が言語から完全に切り離されているわけではない。後者の運動は、話すこと自体にはほとんど関係がなかったが、そういった運動はまさに「聴く」という経験に関係していたのである。私たちは、聴衆を説得しようとしたり、あるいは単に聴衆とコミュニケーションをとろうとしたりするときに、意図的であるかどうかにかかわらず、ジェスチャーを用いることがある。しかし聞き手の側にも、身体の関与が存在する。実際、他人から話しかけられているときに、手を動かさないままでいられる人がいるだろうか?
ハンズ 手の精神史』(ダリアン・リーダー著 松本卓也・牧瀬英幹訳 左右社2020 pp.187−189より抜粋)

続く文章では、この問いに対して職業的に「聴く」ことが求められる精神分析家の例が挙げられている。

 実際、現在までの精神分析の文献についての調査記録を読むと、話を聴いている精神分析家がもっとも頻繁に行っていることは、メモをとることではなく、編み物をすることだったようだ。
(同書 p190より抜粋)

そして、フロイトの娘のアンナが分析中に編み物をしていたこと。フロイト自身は、喫煙するために手をせわしなく動かしたり、宝石の指輪を舐めたり、古美術品の置物やお守りをひっかき回したり、なでたりしていたことが描かれ、

 そのほかに分析家たちのあいだで頻繁に行われていたのは落書きで、それが話を聴くという経験と密接に関連しているのは間違いない。
(同書 p191より抜粋)

と括られている。

自分の経験に照らすと、対面だと話しづらいことも、作業だったりドライブしながらのほうが話しやすいことがある。養護教諭の友人は、わたしがなかなか話を切り出せないでいるとき、それを察して車のなかで運転しながら話を促してくれた。話しやすい場をつくってくれるってすごいな…と思った記憶がある。聞き手が手を動かしていることは聞き手自身の感覚のバランスをとっているだけでなく、話し手側の話しやすさにも影響を及ぼすのかもしれない。

さて、この本を読んだ直後、遺体科学の研究者である遠藤秀紀さんが、人間は木から下りて二足歩行になったことで、前足(手)が自由になり、重力によって喉のパーツが下にひっぱられて口に空間ができたことで音声言語を獲得したのではないか?とラジオで話されているのを聴いた。

もしその仮説が正しいとすれば、二足歩行によってもたらされたふたつのもの、自由な手(前足)と音声言語が切っても切れない関係にあるというのは興味深い。

つまるところ、わたしもまた自由になった前足を動かさずにはいられずに、この文章を綴っているのだ。

二足歩行についての話は52:17〜58:46まで。

ハッパ

 

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

いただいた賀状のなかに、

コロナ後のソメちゃんの作品がどうなっていくのか、また見せて欲しいです。

という添え書きがあって、年始からハッパがかかったというか、とてもうれしかったです。ありがとう。

正直に書くと、
昨年オンラインの展覧会で手もちの作品をすべて出し切ったあと、気が済んだような状態(もうここでやめてもいいのかも…)になっていました。

正確には、その少し前から、自分の制作がある種の箱庭療法のようなものだとすれば、人様に見せる必要があるのか?という迷いがありました。

というのも、川べりでの撮影で、移動しながら撮影する一連の動作の繰り返しのうちに、トリップのような感じで自分の内面の深いところ(抑圧された感情)に触れるようなことがたびたび起こるようになり、

ちょっとおっかないなぁという思いと、もしかしたら自分を制作に向かわせているのは深いところにある傷なのではないか?という疑い。仮にそうだとすれば、それを視覚表現の文脈に沿わせることへの違和。そして、内面の課題が解決すれば、制作へのモチベーションが失われるのではないかという恐れ。そういったもろもろの思いにがんじがらめになっていました。(これがいわゆる中年の危機やろか…)

そういった感じで迷いに迷っていたのですが、それでもなお欲が残っていることに気がついたのです。

そして、昨年から新しいプロジェクトに仕掛かっています。正確には、手遊びのように試したことに作品化できそうな手応えを感じはじめています。今回は〝何も写らんかも…と思いながら三脚にカメラを据えてみたら予想しなかったものが見えた〟経験からスタートします。

RIVERSIDEプロジェクトが「見てはいるけれど、そのようには見ていなかった」だとすれば、新しいプロジェクトは「見てはいるけれど、見えていなかった」事象をとりあげたいと思います。

RIVERSIDEプロジェクトの作品が、くっきりはっきりだとすれば、新しいプロジェクトの作品はモヤモヤ〜っとしています。

書くこと

 

「書くこと」について、友人と話をした。

友人は、わたしがどこに着地するかわからないままでも書き始められることに、すこし興味を持っている様子だった。彼女は、どういうことを書くか決めてからでないと書けないと言う。

書いているうちに思いもよらない方向に展開したり、思いもよらないものに接続することが、即興演奏のようでおもしろいと感じていたが、書く人がみなそういう風に書くわけではない、ということを、わたしはその時はじめて知った。

書くことや、ものづくりで一番おもしろいのは、手を動かしているうちに、まったく想像もしなかったものが生まれる(というより「出会う」)ことだと思っている。とりかかった時点で、何ができあがるか、自分にはわかっていない。むしろ、わからないからこそ、自分の手が生み出す、まだ見ぬ何かを見たいと願う。そして、それが書いたり作ったりする強い動機になっている。

下條信輔さんの、『サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)』に、前意識についての記述を見つけた。「知っている」と知っている範囲(意識 conscious representation)の外側に同心円状に、知らずに「知っている」範囲(前意識 sub-conscious representation)が広がっている図を見て、なるほどなぁと思った。

書いたり、手を動かすことが、前意識と呼ばれる部分に働きかけをしているのかもしれない。

ここで特に私たちが考える前意識の知は、意識の知と無意識の知の境界領域、またはインターフェースにあたります。人が集中して考えたり、あるいはぼんやりと意識せずに考えるともなく考えているときに、突然天啓が閃く。スポーツによる身体的刺激や、音楽による情動の高揚、他人がまったく別の文脈で言った何気ない一言などが、しばしばきっかけになるようです。

こういう場合には、新たな知は外から直接与えられたわけではなく、といって内側にあらかじめ存在していたとも言えません。その両者の間でスパークし「組織化」されたのです。

この意味で前意識の知は、意識と無意識のインターフェースであると同時に、自己の心と物理環境、あるいは社会環境(他者)とのインターフェースでもあります。前意識を通してさまざまな情報や刺激が行き来するのです。(後略)

(『サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)』 下條信輔著 筑摩書房 2008 pp.258-259から抜粋)

記述方法と対象のマッチング

 

物理学では、科学者はモデルや理論をつくって、この宇宙に関する観測データを記述し、予測をおこなう。その一例がニュートンの重力理論であり、もう一つの例がアインシュタインの重力理論だ。これらの理論は、同じ現象を記述していながらも、まったく異なるたぐいの現実を表現している。ニュートンは、たとえば質量を持った物体が力を及ぼしあうと想像したが、アインシュタインの理論では、その効果は空間と時間の歪みによって起こるものであり、そこに力としての重力の概念は含まれていない。

 リンゴの落下はどちらの理論を使っても精度よく記述できるが、ニュートンの理論のほうがはるかに使いやすい。一方、運転中に道案内をしてくれる、衛星を使った全地球測位システム(GPS)で必要となる計算をおこなう際には、ニュートンの理論は間違った答えを与えるため、アインシュタインの理論を使わなければならない。現在では、どちらの理論も、自然界で現実に起こっていることの近似でしかないという意味で、実際には間違いであることがわかっている。しかし、適用可能な範囲で自然をきわめて正確に、そして有用な形で記述してくれるという点では、どちらの理論も正しい。

(『しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ著 水谷淳訳 2013 ダイヤモンド社 p66より抜粋)

旧い話だけれど、工学部に在籍していたころのわたしは、とてつもない落ちこぼれだった。
次々と出現する記号にとまどい、まったく内容が理解できない講義に「母語がこんなに理解できないなんて!」と驚きすら覚えながら、暗号を書き留めるかのように板書を写す、そんな学生時代だった。
たぶん電磁理論の講義のあとだったか。「なんで、こんなわけのわからん記号をようさん使わなあかんのやろ。」とぼやく私に、

「aはbの3倍である、bはcを6つに等しく割ったうちの1つである。と文章で記述されるより、a=b×3 b=c÷6 のほうが簡潔やし、パッと見て事実関係がわかりやすいやろ。数式は、いくつかある表現のなかで、もっとも使い勝手のいいものと思ったらええねん。」

と級友が諭すように言ったのを思い出す。
そのときにはじめて、数式を「唯一の真実」ととらえるのではなく「数ある表現のうちのひとつ」ととらえることを知った。

同じころ、言語学の講義で、that節が入れ子になっているような英文は、日本語に訳すより英語のままのほうが事実関係を把握しやすいという話を聞いた。

CがDを嫌っていることをBが悩んでいるらしい、とAが言っていた。

というような、少し複雑な状況を説明するには、英語の構造のほうが日本語の構造よりも適している、と。
そこで、記述(表現)方法と対象とのあいだには、向き不向きがある、ということを知った。

ここに出てきた物理学の理論。数式、言語。もちろん、視覚表現も然り、だろう。
記述(表現)方法と対象とのマッチングについて、あらためて考えてみる必要があるな、と思った。

投影

 

先日、とても興味深い話を聞いた。

現在子育て中の友人。
彼女は母親から「昔、子育てをしていたときあなた(友人自身)は神経質で、寝ついても音ですぐ目が覚めたけれど、孫(友人の息子)はよく眠ってくれる」と言われたのだそう。

わたしの知る限り、神経質なのは友人の母親のほうで、友人自身はおおらか。きっと友人の母親は、娘の寝つきの悪さを、ふつうの人よりずっとずっと心配したのではないかと想像する。

この話を聞いたとき、「投影」ということばが頭をよぎった。他者をとらえようとするとき、そこには「私」の気質や性質が否が応にも投影されてしまうのではないかと思う。

自他の境界は、思っている以上に曖昧なのかもしれない。

あたたかい言葉は時間を越えて、もう一度わたしの心をあたためる

 

年末なので溜まっていた手紙をすこし整理することにした。
が、そういうときに限って、読み耽ってしまうもの。

友人や親戚、家族から、あたたかい心遣いや言葉をたくさんかけてもらっていたことに、あらためて気がつく。そして、あたたかい言葉は時間を越えて、もう一度わたしの心をあたためる。

時間を経て読み返すと、そのときどきのわたしに寄り添い、励まし、勇気づけようと、慎重に言葉を選んでくれたことが、よくわかる。きっと渦中にいるときより今のほうが、その心くばりの濃やかさがよくわかる。

紙の香りや手ざわり、したためられた文字の勢い、やわらかさ。そういった「情報としての文字」ではないものを堪能しながら、メールもLINEもFacebookも便利だけれど、やっぱり気もちを伝えるのは手紙のほうがいいな、と思う。

ということで、取り出した手紙は全部箱にしまい、明日はバースデーカードを買いに出かけようと思う。

心をこめる

 

その日は、保育の仕事をしている友人と話をしていた。

休日に仕事を持ち帰ったという話をきいて、家に持ち帰らなければならないほど仕事量が多いのかと問うたところ、
新学期の帳面に子どもたちの名前を書くの、バタバタしている仕事中ではなくて、心をこめて書きたいから。という返事がかえってきた。

心をこめて名前を書く

という話が、おそろしく新鮮に聞こえるくらい、心をこめて何かをする、ということからわたしは遠ざかっていた。

彼女曰く、テキパキと合理的に仕事をするよりも、心をこめて名前を書くようなことのほうが、むしろ自分にできることなのではないか。と。

そのとき、わたしは虚をつかれた感じだったと思う。
わたしの仕事観のなかには、テキパキ合理的というチャンネルはあったけれど、ゆっくり心をこめて何かをするというチャンネルは、存在すらしていなかった。

少し話はそれるけれど、視覚表現に携わるなかで感じてきたことのひとつに、「ひとは、言語化されたり明示された内容よりも、その表現のもつニュアンスのほうに、大きく影響を受けるのではないか」というのがある。
たとえば、ひとが話をしていることばやその内容よりも、間の置きかたや声色、トーンといったもののほうから、より多くの影響を受けるようなこと。

そうであればなおさら、表現する立場のひとが「心をこめる」ことはとても重要だ。
受けとるひとは、心のこもっているものと、そうでないものを、とても敏感にかぎわける。

なのに、わたしはずっとそれをないがしろにしてきた。

心をこめる、ということをもう一度、考え直したい。

ひと

 

水曜日のテレビ番組で、「行政の大きなお金を使って大きなモニュメンタルな建築をつくって、本当にひとのためになっているのか?と自問していたことや、難民キャンプや震災の現場で紙管の構造体が利用されたことで、建築がひとの役に立つことを実感した」という坂茂さんの話が印象に残っていた。

そして翌日、建築事務所を営む友人とご飯を食べながら話していたときに、その友人が、「最近、自分はかわってきたと思う。以前は綺麗なものが好きで、自分の設計した建物に趣味の悪いタンスが置かれてたらいやだなぁと思ったけれど、最近そういうのは気にならなくなった。むしろ、そこにひとがいることこそが大事やと思うようになった。」と言っていた。

どちらも、もの(作品)ではなく、ひとを中心に据えるというところで、共通していると思う。立て続けにそういう話を聞いたので、今日はずっとそのことばかり考えていた。では、写真はどうなのか?

もうひとつ、彼女に訊かれた「最終的にはどういうものを撮っていこうと思っているのか?」という問いも、意外と鋭く刺さっている。たぶん、いまの段階ではわからない。風景/ポートレイト/うんぬん…という既存の分類の中のひとつを選ぶような選択にはならないと思う。得手-不得手や、撮るもの-撮らないものはあるけれど、もっと違う分節の仕方をすると思う。その場では、そういうことをうまく説明できなかった。

彼女の問いはドキッとしたけれど、ものすごく嬉しかった。学生時代は仲間同士で相手の制作の核心に近いところまで遠慮なく切り込むことも多かったけれど、最近そういう問いを投げかけてくれる人はめっきり減った。
あるいは、わたし自身が避けていたのかもしれない。

竹生島

 

竹生島

友人と一緒に滋賀県の竹生島へ。
学生の頃に一度訪れる機会を失したこともあって、すごく気になっていた都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)。

まずは宝厳寺の本堂で、弁才天にお参り。芸能の…ということなので、念入りにお参りする。少し階段を下りて、立派な唐門から入り、船廊下を渡って、都久夫須麻神社へ。

船廊下の端で、宝厳寺と都久夫須麻神社が妙にきっぱり分けられているのが不思議だったので自宅に戻ってから調べると、もともとは神仏習合だったものを明治の神仏分離の際に「宝厳寺」と「都久夫須麻神社」に分けたのだそう。なるほど…

伏見城の遺構とも言われている都久夫須麻神社の本殿。2009年以降一般の参拝客には中は非公開とのことで、外から見えるところだけじっくり拝見。木彫装飾の過剰な感じが印象的。

鳥居に向かって土器をなげる「かわら投げ」を楽しんでいると、船の出発時刻が近づいてきたので、慌てて下山。船のスケジュールで70分しか島に滞在できないけれど、丁寧に見てまわるには90分は欲しかったな。

赤いのは葉ではなく、

 

あっと言う間に秋も深まり。

えっちゃんと駒込で合流。
六義園のライトアップに行くつもりが、ライトアップには早いので、スペインバールに入ってしまう。まぁ、この方と会うと、だいたいどんな企画でも早い段階で酒が入るんだわな。

都合3時間半、ワイン片手にたわいもないことを話す。
大学時代の同級生女子は、「単位取得率の高い順に結婚しとる」という偉大な(?)法則を編み出す。結婚は計画性の問題なのだろうか。

本題の六義園のライトアップは、残念ながらまだ色づきはじめ。
「葉は赤くなっとらんが、わしらが赤くなっとる!」とはようゆうてくれたもんだ。横でえっちゃんが一生懸命葉が色づいているところを想像してるのが可笑しかった。

東京滞在もあと2ヶ月となると、会っておきたいひとと会うのに忙しくなってきた。来週末はナッちゃんとこに寄せてもらう。生まれたての赤ちゃんとの対面。楽しみでござる。

どうもありがとう。

 

今年もまたこの季節がやってきて、みなさまからあたたかいメッセージや、お祝いの品々をいただきました。どうもありがとうございます。

今年はなんとまぁ、立派なまげわっぱのおべんとばこだとか、本革のがま口だとか、

実用的で、かつ、渋いセレクトのプレゼントが、
京都から熊本から届きました。どうもありがとう!
(あ、所長にシーサーのガムももらったわ☆)

KUMAMOTOと書かれた、’からしれんこんポストカード’も秀逸です。

そして毎年恒例のように風邪をひく…(気温が下がる時季に生まれたんだよなー)

出町柳の北西角にいます。

 

そして結局、京都に帰りました。

四条河原町のノムラテーラーで、姪のワンピースにと素敵な花柄の生地を買い、大宮に戻って、三条会の「やのじさくえん」で麦茶とほうじ茶をオトナ買い。

オトウトの家に寄って自転車を借り、ロマンザで髪を切ってもらう。
進々堂でパンを買い、そのあと、出町柳でハルさんと待ち合わせ。

出町柳の北西角にいます。とメールを打つ。
空が広い。

「自転車じゃないと、なんだか疎外された気がするの」と言ってハルさんに「そういうところ寂しがりやなんだ」と嗤われる。

下鴨神社に行ったものの、その蛍は「放流モノ」と知り落胆。
気を取り直して、疎水に向かうがすっかりフラれ、最後、哲学の道に向かう途中で穴場スポットを発見。

蛍が舞っている。

ふーわふーわ舞いながら、光をともしたり、すっかりひかえてしまったり。
はかなげな様子にぐっと魅きこまれる。

たしかあの夜も蛍を見た。
鴨川を自転車を押しながら歩いていたとき、蛍を、そして、つがいのカモを見たのだ。

つんと胸が傷む。

また出町柳に戻り、年代もののビートルズバーで軽い夕食をとる。

この土地で出会ったひとは、みなウルトラ繊細でやさしいひとたちばかりだったんだ、と、あらためて思い知る。
ほんのひとときの穏やかでやさしい時間。

クロールの息つぎ

 

大手町で待ち合わせて、なっちゃんと会う。
新丸ビルで会うのはこれで2回目。
なんだかんだ、間を置かずに大学時代の友人と会っている。

いよいよ、のおなかを大事そうに抱えて現れたなっちゃんは、
あいかわらず、わたしより年下なのに、ずぅっと大人。
ほんの少しほっとした。

幼稚な関係性のなかに引きずり込まれて、知らず知らずのうちに、自分もずいぶん幼稚になっているんじゃないか、傲慢になっているんじゃないか。そんなふうに自問自答をする日々を過ごしていたから。

相手が幼稚だからって、幼稚な態度で接していいわけではないのだ。
相手が傲慢だからって、傲慢な態度で接していいわけではないのだ。

なのに。
いまのわたしは状況に甘んじて、無自覚のまま、少しずつ少しずつ、幼稚に、そして傲慢に、なっていってると思う。

友だちのおかげで、見失いかけていた自分の本来のポジションを、確認することができたと思う。

つかの間の休息は、まるでクロールの息つぎ。
もうちょっと先まで、泳げるかなぁ。

キュウちゃんと夜茶

 

ちょっと近くまで来たので、ご挨拶を。というメールが届く。
老人会(という名の同窓会)のキュウちゃんだ。

遠くに住まうことの利点のひとつは、近くに住んでいたら会わずにいるひとと、会うきっかけができることだと思う。

自転車で待ち合わせ場所に向かおうとしたら、道に迷う。余裕をもって40分のつもりが、都合1時間10分自転車をこぎ続けて無事到着。

どちらもお酒が強くないので、ケーキセットで夜茶コース。ちょっと仕事の話やら、結婚の「け」の字もないです報告やら。

気持ちはあっても無精者ばかりの老人会。
こうやってマメに連絡をくれるキュウちゃんが、かろうじてご縁をつないでくれているのだ。

どうもありがとう。
気をつけて帰ってね。

節分

 

太巻

節分です。
今年のホームメイド恵方巻の参加者は、
しいたけ
みつば
たまご
うなぎ
です。

お米二合で、太巻4本。

とりあえず、写メで記念撮影。
すると、熊本に住む妹から「我が家の自慢の太巻」写メが届く。
妹は関西を離れて、余計に関西を意識しだしたのでしょう。ふふふ。
写メを介し、ちょっとした太巻対決。

恵方巻なので、今年の恵方、西南西を向いて無言で食す。

意外とボリュームがある。

残り3本を横目で見つめ、途方に暮れる。
味が落ちないうちに食べ切るのは無理…。

ということで、
吉田神社の節分祭に行く約束をしていたハルさんに、1.5本献上することに。

吉田神社の節分には、日本中の神さまがやってくるそうです。八百万。
にぎやかでいいじゃないですか。

22時。百万遍で待ち合わせをし、まずは、本殿でお参りする。
そのあと、お菓子の神さまにも手をあわせて、
さらに八百万の神さまの集合場所らしきところに行って、お参り。

地方名とやたらと具体的な神さまの数(?)が書かれたお社を
よくわからないままに、ぐるぐるまわる。

寒いので、日本酒のぬる燗をいただき、
からだも温まって良い気分になったところで、23時。

飲食の神さまのところに少し寄ってから、メイン会場に向かう。

吉田神社の節分

2/3のメインイベント。激しくお札が焼かれています。
一年の無病息災を祈るそうです。

無事、この1年を乗り切れますように。

炎って、やっぱりテンションがあがる。
寒い夜だったから、あったかくてありがたい、というのもある。
炎のまわりは、ぎゅうぎゅう押されて大変でした。
(太巻の具材になった気分が味わえます)

純粋な信心だけでお参りしているのではなくって、
こういう行事っておもしろいんだと思う。

厄年にお参りした壬生寺の節分のほうらく割りだって、
すごく楽しかった。

炎であったり、やたらたくさんのお社であったり、
参拝者がおもしろいと感じる「仕掛け」がそこここにあって、
そこには、ちゃんとテンションがあがる要素や、
関心をひきつける要素が盛り込まれている。
そして、みな気分良くおさいふを開く。

積極的に、燃やすとか割るといった破壊行為がとられるのは、
そこに個々人の破壊衝動が転嫁されることで、
日常生活の「ガス抜き」の機能も果たしているのかもしれないと思った。

ひとを集め、ものを見せ、体験させるしくみとして、
お祭りとか寺社の年中行事だとかは、
相当練られたシステムだとあらためて思った。

え?このテンションは日本酒のせい?

ななつ

 

ふたご座流星群がやってきている、とのことで、
夜半にふらりと公園に向かう。

こないだ、ハルさんに「夜に公園に行っちゃダメだよ」と釘をさされたところやけど、
ごめんね、近くで夜空を広く見られる場所は、あいにくここしかないんだよ。

公園に着くまでにひとつ、公園でよっつ、帰りにふたつ、
合わせてななつの流れ星を確認する。

どんくさいことに、全部、願いごとのタイミングをはずしたけれど、
しっぽの長いのが、夜空をすぅっと横切るのを見るのは、
それだけで充分、愉快です。

年賀状の入稿も終ったし、
さて、今夜もそろそろ見に行きますか。

ひとのありよう

 

なかば強引にハルさんを食事に誘い出す。

こんな紅葉まっさかりの季節に生まれてきたのに、
なんで寒色ばっかり好きなんやろ?

と尋ねたら、ハルさんは、
それでも、この季節は、玄関にいっぱい紅葉を敷き詰めてる。と言う。
あの落ち葉をふむカサカサという音が家の中で聞こえるのは、ちょっと楽しそう。


おかんの話。

何年か前の同窓会で、幹事をしていたノブちゃんが、
幹事の打ち上げの席で、感極まって泣きそうになったんやけど、
おてんばで名のとおったノブちゃんを人前で泣かしてはいけない、と思って、
かわりにわたしが泣いてん…という。

かわりにわたしが泣く???
(まぁ、他人に先に泣かれたら泣けなくなるものね…)
おかんって、そんなんやったっけ?
ほんまなら、ちょっといいやつやん…。

おかんで30余年、ハルさんは10年くらいのつきあいだけれど、
まだまだ知らないことがいっぱいあるんやなぁ、と思う。

ひとのありようにこころが触れる、ということは、
このところめっきり減っていたのだけれど、
これは、たてつづけにふたつ、ほんのりこころがあたたまった。

はじめての麦わら帽子

 

幼なじみから本が届く。タイトルは『はじめての麦わら帽子』。
本をいただく、というのはとても嬉しい。作業の手をとめて少し読んでみる。
しばらくして、思い直して、表紙カバーを脱がす。ふふふ。

表紙カバーの絵がらの淡いオレンジと花ぎれの色、
同じく表紙カバーの水色と本体表紙、栞もおそろい。淡く補色にちかい色づかいが綺麗な本です。

まだ読みはじめたところだけれど、娘さんのこと、だんなさんのこと、そして強烈に個性的なおかんのこと、おとんのこと、日々の生活のことが丁寧であたたかなまなざしでとらえられている。彼女の文章を読んでいると日だまりでぬくぬくしているような気持ちになる。

出産の際に病院をかわったことは聞いていたけれど、こんな大変で、身を切るような思いをしていたとは…。大変だったことでもひょうひょうと話すから、つい安心してきいていた。ごめんよ…。

いつもわたしのほうが励まされてばっかりだったけれど、いっぱい大変だったんだ。

活字をつたって、もう一度、ともだちと出会い直すかな。

なかなか出てきません。

 

先日、内田樹さんのブログに、「こびとさんをたいせつに」というタイトルの文章があって、ちょっとおもしろかった。

私たちが寝入っている夜中に「こびとさん」が「じゃがいもの皮むき」をしてご飯の支度をしてくれているように、「二重底」の裏側のこちらからは見えないところで、「何か」がこつこつと「下ごしらえ」の仕事をしているのである。

そういう「こびとさん」的なものが「いる」と思っている人と思っていない人がいる。

「こびとさん」がいて、いつもこつこつ働いてくれているおかげで自分の心身が今日も順調に活動しているのだと思っている人は、「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。

暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。

それが有効かどうかわからないけれど、身体的リソースを「私」が使い切ってしまうと、「こびとさん」のシェアが減るかもしれないというふうには考える。

「こびとさん」なんかいなくて、自分の労働はまるごと自分の努力の成果であり、それゆえ、自分の労働がうみだした利益を私はすべて占有する権利があると思っている人はそんなことを考えない。

けれども、自分の労働を無言でサポートしてくれているものに対する感謝の気持ちを忘れて、活動がもたらすものをすべて占有的に享受し、費消していると、そのうちサポートはなくなる。

「こびとさん」が餓死してしまったのである。

知的な人が陥る「スランプ」の多くは「こびとさんの死」のことである。

「こびとさん」へのフィードを忘れたことで、「自分の手持ちのものしか手元にない」状態に置き去りにされることがスランプである。

スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。

「自分にできること」はいつだってできる。

そうではなくて「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。

それはそれまで「こびとさん」がしていてくれた仕事だったのである。

最初の大学のころは、卒業研究のCのプログラムをさくさく組んでくれるこびとさんがいた。二度目の大学では、課題の提出間際になって焦るわたしに、横からそぅっと手を貸してくれる少し大きなこびとさんがいた。それは、どちらも目に見えるこびとさんで、そのうえ、こびとさんがこびとさんを呼び、複数で作業にあたってくれたりして、とてもお世話になったことを今でもときおり思い出す。

自分で仕事をするようになると、そういう目に見えるこびとさんはもういなくて、自分のなかのこびとさんにお願いしなくてはならない。が、わたしのこびとさんは、相当引っ込み思案なのか、のんびりなのか、なかなか出てきません。最後になって出て来てくれるときもあるし、恐ろしいことに、出て来ないまま締め切りを迎えてしまうこともある。

わたしはまだ、こびとさんを確実に呼び出す術を知らない。
でも、追い込まれなければ絶対に出て来ない。
こびとさんが出てくるまでの作業は、無駄になるとわかっていても、
手を動かしはじめることなしには、こびとさんは出て来ない。

10日以上延々プレッシャーをかけて、
わたしのこびとさんは、今日になってやっと顔をのぞかせた。遅いよ…

ぎりぎりになって出てくるのはやめてほしいけど、どうしたらいいんだろう。

どうもありがとう。

 

シルバーウィークの帰省にあわせ、実家にて前倒しでお誕生日会。
その数日後、両親が京都に来た折りに、あらためてランチでお祝い。
その翌日、エッちゃんとオヨシから少し気の早いハガキが届く。

深夜、妹にはじまり、朝にはエッちゃんとクニちゃん、そして母からお祝いのメールが。
午後はイマムラさんに映画に連れ出してもらい、楽しい時間と素敵なプレゼントをいただく。
帰ったら、ポストにはサワイちゃん一家からの家族総出の寄せ書きハガキが。
そして、東京のケイコさんから届いたお菓子とカードは母屋の奥さんが預かってくれていた。

34度目の誕生日をこんなにもたくさん祝ってもらって、
これ以上いったい何を望もう。

居場所のない思いをすること、
ふと、いなくなってしまいたくなることが、決して少なくはなかったけれど、
たくさんのあたたかい想いが、この世界にしっかりわたしをゆわえつけてくれている。

どうも、どうもありがとう。

アルバム

 

純白のウエディングアルバム

昨日仕上がったアルバムに一晩重しをかけてプレスをしていました。
これでやっとアルバム完成。大きな瑕疵もなく仕上がったのでほっとしました。大きさは22cm正方くらい。

アルバム底面

表紙はBobbinRobbinでひと目惚れした薔薇の刺繍の入った白い布でくるんでいます。見返しは濃いグリーンのタント。扉にはペールグリーンのトレーシングペーパーをあしらっています。グリーンにこだわるのは、写真の撮影場所がLe Vent Vert(緑の家)だったから。前日にノムラテーラーで買った草っぽい紐も無事栞として採用されました。栞の主張が強いので、花ぎれは抑えめにして白色のものを。

アルバム上面

本文の厚みがあまりなかったので、表紙のボリュームと不釣り合いになるんじゃないかと少し不安だったけれど、サワイちゃんがうまく丸背にしてくれて、おさまりよくなりました。色が沈みすぎじゃないかと思っていた見返しの濃いグリーンも、白いボリュームの中にスッと差し色のように見えて◎

紙のT目、Y目もだいたい間違わずに判断できるようにもなっているし、細かい作法を忘れないうちに、もうひとつくらいつくらないと、教えてもらった技術が定着しないな、と思うので、目前に控えている仕事がひと段落したら、作品をまとめたものを製本することも考えておこう。(欲が出てきてる…)

スギモトさんの工房でのポイントレクチャーにはじまり、わたしのアルバムでも布の裏打ちからはじめて、丸二日、つきっきりで教えてくれたサワイちゃんに、深く感謝。どうもありがとう。

ぺルーめし

 

昨晩は来客があったので、久しぶりにぺルー料理をつくってみた。
ほんで、今日はその残りものがお昼ごはん。

セビッチェとアヒー デ ガジナ

手前の海鮮サラダのようなものが、セビッチェ(Cebiche)。奥がアヒー デ ガジナ(Ají de gallina)。セビッチェは白身魚をレモンでしめて、トマト、たまねぎなど生野菜と和えたもの。たまたま鯛が安かったので、今回は鯛でつくってみた。コリアンダーは嫌いなひともいるので、混ぜずにトッピング形式にしておく。

アヒー デ ガジナには、鶏のムネ肉をゆがいて割いたものが入っている。アヒー(とうがらし)が入っているので、もちろん辛い。カレーのようなとんがった辛さではなくて、くちあたりよくマイルドだけれどじわっとくる辛さ。来客ふたりは最後まで「カレー」と呼んでいた。

昨晩はこれにプラスじゃがいものビシソワーズ(ぺルー料理ではない)、という献立だったのだけれど、いちばんうまくできたのがビシソワーズというのが、なんとも複雑なところ。

ひとに食べてもらう、と思うと、料理って気合いが入るもんやね。

ドレえもん

 

昔の同僚が、ともだちを連れて紅葉の京都に来るということで、昨夜から一泊された。同僚が連れて来たのは、ベトナムの女性。素朴で遠慮深く、わたしより10歳ほど年若い彼女は、大学で専門に学んでいたこともあって、日本語が流暢。

盛り上がったのは、日本のアニメの話。

ベトナムでクレヨンしんちゃんが禁止になった話では、その背景に子どもたちがこぞってしんちゃんの真似をしていたという状況があったらしく、国境を越えたところでも、子どもの反応は同じなんだなぁとつくづく。

そして、ドラえもんは、ベトナムではドレえもんなんです、と言うので、
「ドレえもんって、まるで奴隷みたいやん。」と返したら、
「のび太の奴隷です。」と彼女。

鋭い。

日本に来て、まず食べたかったのが「ドラ焼き」と言ってたのには、さすがに、ジャパニメーションのパワーを思い知らされた。

成長する時期に同じ文化を共有していたことに、なんだかお互いとてもほっこり。こたつで自家製のおでんをつつきながら、国際交流。

輪郭を確かめない

 

あなたの抱える痛みを厳密に特定するために、
たくさんの言葉を重ねるよりも、
いま自分の感じているところを信じて、
ただ受けとめようと思いました。

悲しみの輪郭を確かめるための所作がかえって、
当事者であるあなたと、わたしとの距離を際立たせる、
そのことがとても暴力的に思えたのです。

グリーンアイス

 

この数日で、グリーンアイスのつぼみがつぎつぎとひらく。

今日はともだちの命日。

前に、お線香をあげにいったときに、
その家のベランダにも可憐なグリーンアイスが咲いていて、
彼のお母さんと話がもりあがった。

だから、
今朝はなんだか戻って来ているような気がしたのよ。
お盆でもないんだけど。

記憶のなかの彼を思い起こすとき、
かわらぬ笑顔の彼は、なぜか自分と同じように年をとっていて、
人間の想像力は、なんて身勝手なんだろう、と苦笑する。

年を重ね、自分が18歳から遠ざかれば遠ざかるほど、
たった18でその生命を絶たれるということが、
どれほど残酷であるか、ということを思い知らされる。

機会損失

 

ひとり屋台は、孤独であるという点で、
あるしんどさを背負ってはいるけれど、組織に属さない気楽さがある。

逆に言えば、組織のなかでひとに揉まれて学ぶことが、学べていない。
ひとと一緒に仕事をすることがあって、強く感じた。

そうとう自覚的でないと、あたまでっかちのまま、
自分ひとりのことしか考えない人間になってしまう。

教職に就いている友人がかつて言っていたこと。
狭い世界で「センセイ」と呼ばれ続けて、意識的でなければ、
長い教師生活のなかで自分は偉いのだと勘違いしてしまう、
そういう先生がたくさんいる、と。

それぞれの立場で内容は違うけれど、
危機感を抱いておかなければならないことがらはあるのだと思う。

わたしの場合は、組織に属していないことで、
ひとから学ぶ機会を損なっているということを、
肝に銘じておかなければならない、と思う。

電気系ターム

 

あろうことか、このわたしにレンアイの相談をしたいとのこと。
久しぶりに、大阪で大学時代のともだちと飲んでいた。

コイバナなのに…。

たしかに、理系やったけど、
なんで、恋愛の緊張関係をエネルギーバンドで例えるのか…。
なんで、「量子化」とか「励起」とかいうことばが飛び交うのか。

話しているふたりとも、大学での成績は最悪だったから、
ことばの意味をわかったうえで使っているんじゃなくて、
子どもが覚えたてのことばを使いたがるようなもの。

電気系180名のうちたった6名しかいない女子。
6名がすべて仲が良いというわけでもなかったから、恋愛相談と、
マニアックな電気系タームの両方でつながる相手なんて、そうはいない。
単純に、その二極にあることばを共有できる連帯感がここちよかった。

落ち込んでいた彼女も、だんだんお酒がまわってきて、途中から悪ノリ。
「どっちも含み込むような、でっかいバンドをつくれっちゅうねん。」
「二次元や三次元で考えんと、八次元くらいで考えてくれっちゅうねん。」
くだの巻きかたがマニアックで、おもろすぎ…。

だから、言わんこっちゃない。
わたしに恋愛の相談役はムリやっちゅうねん。

ヘラクレス座の

 

なりゆきで深夜のドライブデート。

今出川より北、
お互いの思い出をなぞるように、
なつかしすぎて甘ずっぱい場所をうろうろ、と。

どんどん空が広くなって、漆黒の空にとびきりの星。

運転席のそのひとが「ヘラクレス座の…」と、それらしく言うから、
真剣に見上げると、「うそ言うた。テキトー。」とかわされて。

目的のないドライブだったし、
共通の友人のたちあげたNPOの建物をのぞきに行ったり、
クルマに乗らなきゃできないこと、
たとえば、スタバのドライブスルーでラテを頼む、
なんてことを、ひとつずつ、叶えていった。

新年早々、の、うれしい夜。

リサちゃん人形

 

リサちゃん人形

ハルさんから誘いを受けて、かもめ食堂を観に行く。そのあとでご飯を食べて、「はい、プレゼント。」と渡された紙袋。

中には、茶色のショルダーバッグ。それも手づくり。裏地の布とか、さらにそのポケットの布とか、ずいぶん凝ってある。

そのバッグのなかには「Lisaちゃん お誕生日おめでとうございます」というカード。誕生日が近いから、わざわざ誘い出してくれたんだ、と彼女の心配りにやっと気がつく。そして、カードと一緒にしのばせてあったのが、この人形。

「それ、リサちゃん人形やで。」と言われて、思わずニマニマ。もじゃもじゃ頭がむちゃラブリー。そしてつい悪い癖。人形のスカートのなかを覗いてしまう。もうすぐ32になるひとのすることじゃ、ないよな…。

すこしいびつな月の高らかに輝くさま

 

仲秋の名月。

雨上がりの空は、しんと澄んでいて、
ひらけたところで月を見上げてから帰ろうと思っていたら、
ともだちが、おだんごを持って作業場に顔を出してくれた。

扉をあけたら、ちょうど良い位置に月がお目見え。
ベランダわきに腰をかけ、
すこしいびつな月の高らかに輝くさまを見上げて、お月見。

遠くの星のかすかなきらめきまで届いていたから、
これから転がり落ちるように、気温が下がる。

気がついたら、過ぎた季節をふりかえるところまで来ているんだ。

選ぶ

 

「昔から好き嫌いがはっきりしていたからね。」

この夏久しぶりに会った幼なじみから言われて、しばらく考えていた。

自分のことを優柔不断で、何かを前向きに「選ぶ」ことがあまりない…と思っていたから、そう言われたのが意外だった。でもよく考えてみたら、なにかあるものを「選ばない」という方法で、別のものを選択しているのかもしれないということに思い当たる。

Aを積極的に選ぶ、のではなくて、
BとCとDとEとFを選ばない、ということによって、
Aを選んでる。

Aを選んだつもりはなくても、
最後にAが手もとに残る。

こうやって自分は、自覚もないまま「選ぶ」を繰り返してきた。
ちょっと恐いな、と思う。

自分はこんな人生を選んだつもりはないと思っていても、
それは別の人生を「選ばなかった」だけのことだ。
きっとそういうひと、多いんだと思う。

特別なひと。

 

特別なひと。

いちばん危うくそしてキラキラした時間を共有したひとというのは、
すごく特別で、何年経とうと、その手触りはふとした瞬間に戻ってくる。

ファインダー越し、追いかけて、
楽しげに演奏するその表情があまりに綺麗で、かっこよくて、
無防備にドキドキしている。同性なのに。

14年前からかわらず、ばかみたいにまっすぐで繊細なひと。

かなっていってる。

 

嵐が来た。と、思う。

自分の立てた計画なんか、なしくずしになるくらい、めぐりあわせに翻弄される。
自分の力の及ばないなにか、が、どっと押し寄せて、
きっと拒むこともできるだろうに。


どうしてもほかの名前が見つからず、
2007年5月30日、惑星を屋号に冠し、開業しました。

母に「あなたがともだちとわいわい言いながら、仕事をしているところを夢に見た」と言われたことが、知人に「二年後くらいには、みんなと仕事やっているんじゃないですか?」と言われたことが、ほとんどそのまま実現し、チームを組んでまとまったボリュームの仕事を受けることになりました。チーム惑星。

このひとと一緒にしごとができたらいいのにな。
2年越しそう思っていたひとと一緒にしごとをします。


今年は本厄なのに。

この2年間、何より切実に求めていた、制作者としてのアイデンティティ。
それを、とても素敵なめぐりあわせによって授けられたこと。
調子の悪かったともだちが、元気になったこと。
そして、チーム惑星。

「そめちゃんには運がめっちゃあります。あるのです。全部望んでね!ゆずれないこと全部やでー。」

ともだちから届いた年賀状の文面を思い出す。
ほんまに、ゆっくり、でもたしかな手応えで、望んだことがひとつずつ、かなっていってる。

Cycling with GPS!

 

チャリをパクられて困っていたら、
友人のお母さんが、引越し祝いに余っている自転車を下さるとのこと。
ご厚意に甘えて、いただくことにした。

「枚方から大学(京都市左京区)まで3時間で行けた!」と友人が言うので、
たぶんわたしでも大丈夫。枚方まで自転車をいただきにあがる。GPSを携行して。

ひきこもりがちだった気持ちにぐっとくる、
「外に出たくなるよ」という言葉にそそのかされたボーイのオモチャ、GPS。
(オトナのオモチャと言うともだちもいるけど…)

ナビとしてのGPSじゃなくて、移動記録としてのGPSだから、
知らない街に撮影に出かけたときに携帯すると、
帰宅してから、どのあたりで撮ってたのか経路が確認でき、
次の撮影の目処を立てやすくなった。
わたしの手もとでは実用で活躍している。

本日の走行距離は約25km。

川沿いや広い道路をまっすぐ走ったから、誤差の少ない綺麗なログがとれている。
実際自分が自転車で走りながら見たVIEWと、
帰宅してからGoogle Earthで見る、上空からのアングルで経路をたどったときのVIEWが
まったく違うのがおもしろい。ついつい、何度も再生。

陽射しもやわらかで、気持ちのいいcyclingでした。

玄関にあるべきアレが

 

わがやは単身の引越しは家族総出でやっつけるのが通例だけれど、
今回は弟のガールフレンドや妹のボーイフレンドまで巻き込んで、
友人もふくめ総勢8名にお手伝いいただきました。

あまり人手が多いと収集がつかなくなりそうで、
お手伝いの申し出をおことわりした方も4名ほど。

お手伝いくださった方も、申し出ていただいた方も、
ほんまにありがとうございました!

件の冷蔵庫も奇跡的に町家の2階に鎮座しています。

築年数不詳の「新」居は、町家のはなれなので通りからは見えません。
携帯は圏外になります。
歩くと壁に寄っていくなと思っていたら、
明らかに家屋が南東に傾いています。
ふすまも引き戸も、一筋縄では開きません。

前の住まいは、玄関にインタホンがなかったけれど、
今度の住まいは、玄関にあるべきアレがありません。

隠れ家、と言えば聞こえは良いけれど、
エエ感じに浮世離れしてて、家から一歩も外に出ずに日々を過ごせます。
そう、魅惑のひきこもり物件!

あったかやった。

 

「見ておきたい。」

いままで何度も引越しをしてきたけれど、そんなことを言われるのは、はじめてのこと。転居するまえに、見ておきたいというひとが何人も。「あれは見ておいたほうがいいですよ。」という会話がわたしの知らないところで交わされているらしい。昼のホリカワを知らないひとのために、一枚だけ載せておこう。

ホリカワ

ざっくり数えただけでも、生まれてから12軒目。わたし自身もいちばん愛着のある住まいだった。この部屋に、身もこころもくるんとくるまれていた。

この住まいの良さはすべて「ねえちゃんとこは、ばあちゃんちや。」という弟の一言に集約されていると思う。部屋のしきりの磨りガラス戸とか、鉄線の入った重い窓ガラスとか。お風呂場のタイルとか。小さすぎる洗面とか。屋上にあがれることとか。撮影にでかけるときに、上の階のおっちゃんが手を振ってくれることとか。なぜか引越し祝いと言ってごちそうしてくれる管理人さん、とか。

住むひとも住まいもあったかやった。

そして何よりも、部屋に射し込む光。
さいごに迎えたお客さんが「ちゃんと外のことがわかる部屋だね」と言い残す。光のこまやかな表情が部屋の中にいても伝わる、ソトとゆるくつながっている部屋。

もうあと少しでなくなります。

遺影

 

あるひとから、モノクロで写真を撮って欲しいという依頼があった。

「遺影」という言葉がチラリとよぎる。

話を聞いてみると、やはり遺影を撮ってほしいとのこと。
朝日新聞に遺影のシリーズがあって、そのプロジェクトに応募したが、応募が殺到して、無理だったと。それでもきちんと遺影を残しておきたいという気持ちはかわらないのでぜひ撮ってほしい、という。

かっこつけたりきばったりしない、ごく普通の表情が写っていればいいな…と思って、36枚ラフに撮りきる。きっと数枚は顔をくしゃくしゃにした笑顔で、ほとんどはカメラを向けられることに慣れていないひと特有のこわばった表情。でも、それが彼女のリアルだ。

遺影で思い出す。

18歳で亡くなった友人の実家。居間にある写真立てに、その友人が仲間と一緒に写っている写真が入れられていた。ある年、線香を上げにうかがうと、その写真の、仲間が写っている部分だけが、亡くなった友人の幼い頃の写真に差しかえられていた。

その不自然なコラージュを不思議そうに見ているわたしに、亡くなった友人の母が言う。
「ほかのみんなは生きているのに、失礼やと思って。」
しばらく言葉を失った。

こんなにせつない遺影を、わたしはほかに知らない。

おかんのワンポイント英単語 ”bottomless”

 

展覧会のあいまにお昼ご飯を…と、母と友人と一緒にJICAの食堂探検をする。
JICAだけあって、メニューの表示に英語も書いてある。

お食事を頼めば食後のコーヒーがついてくるとのことで、
セルフサービスのサーバでコーヒーを入れてほっと一息。

母はセルフサービスなのを良いことにおかわりに臨む。
「おかわり自由はbottomlessって言うのよ。」と得意気。

ニコニコしながら二杯目のコーヒーを飲んでいるけど、
bottomlessって、そんなんどこにも書いてへんよ。

迷いの時期

 

「ああ、迷ってるんやなぁと思った。」

とあるグループ展を見て来た y が、出展されていた友人の作品について言っていた。

迷いの時期、というのがあると思う。

この制作日誌を読み返していたら、この1年、(前の1年とあわせて2年)まさしく迷いに迷ってて、これを y が読んだら「迷いすぎちゃう?」と言うんだろうな…と思う。

でもバラバラに思えていた問題意識や関心が、あるときふっとひとつのかたちになりかけることがあって、それは迷い続けないとそこにはたどりつけない、とも思っている。

迷いながら考え続けること、待つこと、も大事よ。たぶん。

いいことつづき。

 

いいことつづき。

どうしてもわたしに見せたい写真集があるから、と、
たいせつなともだちが会いに来てくれたこと。

好きな写真家が、送る荷物に印画紙をそっとしのばせてくれたこと。
同じそのひとが、わたしの作品を楽しいと言うてくれはったこと。

いいことは、どれもこれも写真つながり。
ほんまに幸せなことやと思う。

2007はのっけから、いいことつづき。
ありがとう。

わたしがこころに誓ってきたこと、ふたつ。

 

幼少のころ、ひとつふたつ年下のともだちを連れて、放課後の幼稚園に歩いていった。スクールバスで通っていたくらいだから、けっこうな道のりだったと思う。

一緒に行ったのに、わたしはその子をほったらかして帰ってきてしまった。
悪気はなかったのだけれど、自分が帰ろうとしたそのときに、年下のその子は帰ろうとしなかったんだと思う。ほんじゃお先に、くらいの軽い気持ちだった。

あとから知ったことだけれど、
うちの母はずいぶん、そのことでその子の親から嫌味を言われたらしい。

おさなごころに「責任」ということの意味を学んだんだと思う。
そのことばに出会う前に。

ふたつめ。
高校生の頃、ともだちと家出をしたことがあった。
夜の街を行くあてもなく歩いて、翌朝帰ったとき、ともだちの母から叱られた。

「本当のともだちなら、一緒に行くのではなくて、止めなさい。」

涙があふれた。

自分が巻き込んだことには責任を持つこと。
ともだちだからこそ、止めるべきときには止めるということ。

わたしがこころに誓ってきたこと、ふたつ。
特にいま、わたしの胸にずっしり重い。

ファインダー越し、恋をした。

 

ファインダー越し、恋をした。

40分のライブ。

たいせつなともだちと、
ともだちのたいせつなひととひと、に、わたしは束の間の恋をした。

祝福、ということ。

 

年末から年始にかけて立て続けに3人、ともだちが子供を産んだ。

ささやかだけれど、お祝いにと少し前からスタイをつくりはじめている。
いちばん最初に生まれた彩雪という名前の赤ちゃんに、雪の刺繍をしようと思って、刺繍糸を買いにでかける。

祝福、ということ。

わたしが生まれたときもきっと同じように祝福されたんだと思う。最近、実家で見つかったクレヨンは、美術家の親戚がわたしの幼い頃にくれたもの。当時、日本の子供向けのクレヨンは色数がすごく少なかった。でも、親戚にもらったそのクレヨンはびっくりするくらいたくさんの色が入った外国製のものだった。ほかにも、良質の絵本やらぬいぐるみやら、わたしは多くのひとから、祝福されて生まれ育った。

彩雪ちゃんの誕生がうれしいのは、たいせつなともだちの娘だから。
同じように、わたしが祝福されたのは、わたしの両親が周囲のひとからたいせつに思われていたからだ。たいせつに思われるためには、まずひとをたいせつにしないといけない。

わたしが祝福を多くうけて生まれ育ってこれたのは、わたしのひととなりうんぬんではなく、ひとえに、わたしの両親が周囲のひとをたいせつにしてきたからだ。それは、本当にありがたいこと。そんなシンプルなことにすら、三十余年気づかなかった。

祝福の連鎖を次の世代につなごうと思う。
おめでとう。

ゆずれないこと全部やでー。

 

最後の最後で負うた瑕。抱えたまままたいだ、年の瀬。
年明けのあたたかな陽射しで少し気持ちが上向いてきたのかな。

あけまして、おめでとう。

「そめちゃんには運がめっちゃあります。あるのです。全部望んでね!ゆずれないこと全部やでー。」
ともだちからの年賀状の唐突なエールに涙が出てしまった。
性懲りもなく、また張りつめたんかなぁ。

今年は逃げんとこうと思う。
目先のことからも、先のことからも。
「ゆずれない」自分の気持ちからも、かな。

同心円上をぐるぐるまわっている。

 

先日のミソヒトモジたちとの会話の中で「写真の本質って何?」と訊かれ、まったくコメントできずにいた。そのことでひどく、ひどく悶々としている。

そういうことは、案外近すぎて見えていない。いちばんシンプルな回答は、「光の記録媒体」なんだと思う。レコードが音の記録媒体であるように。

それにしても写真にはいろいろとロマンティックな言説がつきまとう。
過去性や記憶というキーワードはよく耳にするけれど、はたしてそれが「写真」の本質なのか。写真にしか言えないことなのか。それとも記録媒体全般にあてはまるものなのか。そういうことを、寝しなにつらつら考えながら、そういえば、王家衛の『ブエノスアイレス』で、南米最南端の岬をめざすチャンが、ファイにさし向けたのはカメラではなくてテープレコーダーだったな、とか。映画のラストで、ファイが台北にあるチャンの実家でくすねたのはチャンの写真だったな、とか。

核心にはたどりつけずに、同心円上をぐるぐるまわっている。まだしばらく悶々としそうだ。