RIVERSIDEプロジェクトの最初の作品を撮ったのは2004年の夏至。
20年ぶりに撮ってみようと思ってロケハンに出かける(正確にはここ数年ロケハンを続けている)。

梅雨の入りばな、うすぐもり。
出町柳から川下のほうへ歩きながら思ったのは、空気の湿り気、木々の緑の微かな違いを写したい。

20年前とは視点が変わったことについてすこし整理したので、メモしておこう。

1.
20年前はドイツ写真の影響が強く、学生たちの間にベッヒャーの方法論を無批判に受け入れる雰囲気があり、わたしもまたその影響下にあった。当時は対岸を「モノ」として正確に写すための条件を選んでいたが、今は梅雨の湿気を含んだ空気によって霞んだり青みがかることも含め「状況」を写したいと思うようになった。(関心の変容)

雪景の撮影を経て、以前は悪条件として排除していた霞・降雨・雪などといった対岸の被写体を「見えにくくするもの」への寛容度が上がったように思う。見えにくいのであれば、その見えにくい状況を精密にとらえたいと思うようになった。

2.
20年前は木々の緑の微かな違いに気づく余裕がなかった。

これは個人の成長・変容というより道具が変わったことが大きいように思う。
カメラが小さく軽く扱いやすくなり、時間的・体力的余裕が生まれたこと、フィルム撮影に比べデジタル撮影は失敗のリスクを取りやすくなったこと(撮り直しになってもフィルム代・現像代のロスがない)。そういったことで余裕が生まれ、被写体に向けるまなざしが変わったように思う。

また、20年前は色の感じ方そのものが「フィルムの色」の影響を受けていた可能性が考えられる。フィルム特有の色の偏りを適正範囲のカラーバランスに補正するファーストステップに大きな労力をとられ、細かく色をコントロールをする余力が残されていなかった。その点、デジタルのほうが色の偏りが抑えられているので微細な色のコントロールに注力しやすい。

道具が感覚に与える影響は大きいように思う。