もう身体が思うように動かなくなるくらいの年になってやっと、芸とは何か、ということがわかるのではないだろうか。そして、そこに辿り着くためには、いまこの時期にこそ、精進しなければならない。
そのようなことを、海老蔵が語っていた。
どうにでも自由がきき、無理もできる若い時期、ではなく、自由がきかなくなる、身体の制約が課される頃になって「こそ」、というところが、すごい。
老い、が、ただただ、人生のピークからの引き算でしかとらえられない時代にあって、こういう考え方に接することはなかなか少ない。
そうだ、思い出した。
22,23歳の頃、老齢のピアニストを見て、つくづく思ったのだ。
年を重ねることが、技の円熟につながるような仕事をしたい、と。
『定年』などという他人に決められた期限で途切れるような仕事ではなく、一生、精進し続けられるような仕事をしたい、と。
そう思って、でも結果を急ぎすぎてからまわりをしていた時期があって、そこで「長丁場で行こう」と思い直したときに、多少なりとも、わたしは自分を甘やかした。
違うのだ。
結果を急いてはならないけれど、でも、
この先で、少なからずなにかを体得したければ、
いまこそ精進しなければならない。