おもしろいのは、アングルの肖像画(1829)を見たときに、フォルムが正確で精密なわりに素早い線で迷いがなく、さらに、ウォーホルがプロジェクターを用いて描いた作品の描線に似ているという、画家ならではの気づきからこのプロジェクトがスタートしているところ。

オールドマスターの作品を年代順に壁に並べることによって、自然主義の歩みが緩やかに進行したのではなく、突然の変化として現れたことが明らかになる。そして、その急な変化は、線遠近法の登場だけでは説明しきれない点が多いこと。さらに、画面中に、ピンぼけ、遠近法の歪み、複数の消失点など、光学機器ならではの特徴が見出されたことで、光学機器を利用したという仮説につなげていく。

絵画なのにピンぼけが確認されたり、線遠近法に基づけば一つしかないはずの消失点が2つ存在したり。いわゆる”エラー”に光学機器の存在がチラリ垣間見えるのが興味深い。

さらに、本来上から見下ろす視点で描かれるべきものが、なぜか正面から見た図となっているという点に着目し、当時の光学機器では広範囲を一度に映写できないため、人物ごと、あるいは部分部分に分けて描きコラージュしたのではないか?という説が浮上する。

あくまで仮説の積み重ねであるが、最終的には、

西洋絵画の根底をなすもっとも重要な二つの原理、つまり線遠近法(消失点)とキアロスクーロは、光学的に投影した自然の映像観察から生まれたことを理解した(p198)

というところまで進んでいく。線遠近法を獲得したことにより新しい空間表現が生まれたのではなく、まず先に光学的に投影された映像があって、そこから線遠近法が生まれたという。

さて、ちょうどこの本を読んだ直後に『カラヴァッジョ~天才画家の光と影~』という映画を観た。映画の中で、画家は平面鏡を利用していた。ホックニーは、鏡に映ったものを見るのと、鏡が投影したものを見るのはまったく違うという。

果たして画家はどのようにして描いたのだろうか。