明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

いただいた賀状のなかに、

コロナ後のソメちゃんの作品がどうなっていくのか、また見せて欲しいです。

という添え書きがあって、年始からハッパがかかったというか、とてもうれしかったです。ありがとう。

正直に書くと、
昨年オンラインの展覧会で手もちの作品をすべて出し切ったあと、気が済んだような状態(もうここでやめてもいいのかも…)になっていました。

正確には、その少し前から、自分の制作がある種の箱庭療法のようなものだとすれば、人様に見せる必要があるのか?という迷いがありました。

というのも、川べりでの撮影で、移動しながら撮影する一連の動作の繰り返しのうちに、トリップのような感じで自分の内面の深いところ(抑圧された感情)に触れるようなことがたびたび起こるようになり、

ちょっとおっかないなぁという思いと、もしかしたら自分を制作に向かわせているのは深いところにある傷なのではないか?という疑い。仮にそうだとすれば、それを視覚表現の文脈に沿わせることへの違和。そして、内面の課題が解決すれば、制作へのモチベーションが失われるのではないかという恐れ。そういったもろもろの思いにがんじがらめになっていました。(これがいわゆる中年の危機やろか…)

そういった感じで迷いに迷っていたのですが、それでもなお欲が残っていることに気がついたのです。

そして、昨年から新しいプロジェクトに仕掛かっています。正確には、手遊びのように試したことに作品化できそうな手応えを感じはじめています。今回は〝何も写らんかも…と思いながら三脚にカメラを据えてみたら予想しなかったものが見えた〟経験からスタートします。

RIVERSIDEプロジェクトが「見てはいるけれど、そのようには見ていなかった」だとすれば、新しいプロジェクトは「見てはいるけれど、見えていなかった」事象をとりあげたいと思います。

RIVERSIDEプロジェクトの作品が、くっきりはっきりだとすれば、新しいプロジェクトの作品はモヤモヤ〜っとしています。