抑制の効いた表現に、ぐっときた。
あるときは、アウシュビッツを描いた体験記録に。またあるときは、広島をうつした写真群に。
むしろ、抑制が効いているからこそ、なのかもしれない。

「淡々と描かれているから読めるのよ」そう母は言った。
それ以来、抑制が効いているからこそ、ということを考えるようになった。

はっきりいえば、私たちは他人の「涙」に泣くのではなく、他人の抑制に泣くのである

多田道太郎

涙の記憶は誰にも数知れずあるから、他人のそれにもついほだされる。けれどもそのとき人は「泣きたい心持ちをぐっとこらえるその抑制の身ぶり」に涙しているのだと、仏文学者は言う。かつて泣きたくても泣けぬ口惜しさを必死でこらえた自分への憐憫(れんびん)? 実際、抑えきれるのは演じうるということでもあって、それに騙(だま)された人も少なくはない。「しぐさの日本文化」から。(鷲田清一)

折々のことば http://digital.asahi.com/articles/ASJ6C779DJ6CUCVL006.html?rm=130 より