千島列島の海辺の葦の中で救出されたあと、リンドバーグ夫妻は東京で熱烈な歓迎をうけるが、いよいよ船で横浜から出発するというとき、アン・リンドバーグは横浜の埠頭をぎっしり埋める見送りの人たちが口々に甲高く叫ぶ、さようなら、という言葉の意味を知って、あたらしい感動につつまれる。

「さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ」

(『遠い朝の本たち』 須賀敦子著 ちくま文庫 2001 より抜粋)

ものごころついたときから、そうだった。
どうしようもなくかなしいときは、むさぼるように本を読んで、いっとき、現実から身をひく。
今日もまたそのように現実から遠ざかろうとして、当の文章に引き戻された。

さようなら
「そうならねばならぬのなら」

91歳で他界した祖母の葬儀で、
最後に母が棺の中の祖母に向けて「おかあさん、さようなら」と言ったのを覚えている。

そのときの、さようなら、には、
その別れを、かなしみもろとも受け入れる、母の決意が感じられた。

「そうならねばならぬのなら」

でも、一生かかっても、
さようなら、と諦めることのできない別れも、あるんじゃないだろうか。