贈与論だと思って手にとってみたら、ところどころ芸術に話が及んでいる。少し気になる箇所を抜粋。
なぜなら、芸術作品はそれが与える効果において現れているものだからです。絵画鑑賞の際にわれわれの眼差しに現れるものの中に、物質性、有用性、存在を「還元」しても残るような、視覚を超えたものを芸術は与えてくれる、と彼はいいます。これは純粋に現れているものなのです。これは視覚で捉えるけれども、ふつうに視覚で捉えている物質的なものを超えています。メルロ=ポンティの『見えるものと見えないもの』を引きながら、何か見えないものがある、それをわれわれは見ている、という言い方を彼はしています。
こういった意味で、芸術は純粋に与えられているものといえます。あるいは、もっと正確には、芸術は自らを与える出来事なのです。だから、芸術作品の芸術性について考えていくと、物質性、有用性、存在は「還元」され、「与え」が現れてくるのです。「還元をすればするほど与えがある」というわけです。
(『贈与の哲学―ジャン=リュック・マリオンの思想 (La science sauvage de poche)』岩野卓司著 丸善出版 2014 p29-p30より抜粋)
現代のテクスト理論にも影響を及ぼしていますね。フランス語だと作家や作者は「auteur」です。また、神は「Auteur」で、大文字の作者、世界を創造した人、ということになります。こういうアナロジーがあることから、「神の死」から「作者」という概念自体も問い直そう、という考えが出てきます。
僕らが作品を書くとき、僕らは何らかの意図とともに作品を書きますが、できあがった作品の中には、僕らの意図を超えて無意識をはじめいろいろなものが入ってきます。言語というのは僕らが意識的に統御できないもので、神の概念も終焉を迎えたのだから、「作者」に支配されないテクストの独自の動きを考えていいのではないか、というわけです。(後略)
(同著 p129-p130より抜粋)