LISA SOMEDA

対話 (27)

再読

 

20年前に買いそびれたHysteric Sixを入手したのをきっかけに『なぜ、植物図鑑か』を再読。いま手元にあるのは2012年第3刷の文庫本だから、2000年代初頭の学生時代にコピーか何かで読み、2013年ころ文庫で再読。なので正確には再再読だろうと思う。

その直後、撮影中にふっと考えたことをX(旧twitter)に投稿したので、こちらにも移して(写して)おこうと思う。

季節によっては夜明け前に目が覚めてしまうようになり、ならばと早朝に散歩や読書、ブレストをするようになった。朝のブレストで頭に浮かんだことをメモするかのようにXに書き留めている。もしかしたら今後、Xをメモとして使い、その中から残したいものや話題を広げられるものをこちらに移すというスタイルになっていくかもしれない。

冬至だからなのか薄明から三脚立ててスタンバイしている人を多く見かけ、中平さんのテキストに自身が薄明や夜を撮ることを挙げてその情緒性を批判する記述があったのを思い出していた。学生の頃はそんなものなのかと教科書的に受け止めていたが、だんだんその叙情を排除する姿勢に違和が芽生えたのよね。けっこうそれって極端だよね…と。

そして、そのテキストが書かれた半世紀前よりカメラの性能が格段に上がり、薄明でも夜間でも高感度、拡大表示で対象を視認・凝視することが可能になって、いまや叙情性や情緒性と具体性・客観性・凝視的ふるまいは「どちらか」ではなく両立する可能性があるのではないかと。

これまで叙情的ととらえられてきた光景(ものがはっきり見えにくい状況)をバチッと隅々まで解像して捉えることが可能になったので、写真を巨視的にみて叙情的ととらえるか、微視的、具体的にみて客観的ととらえるかは作家が決めるのではなく、観者に委ねることもできるのではないかと思うようになった。

札幌での撮影以降、見えにくい状況で対象を精密にとらえることにこだわるようになったのは、道具が変わったことが大きいが、何かしら自分が感じた違和に応答するという側面もあったんだと気がついた。

中平さんのテキストをずっと覚えていたわけではない。むしろすっかり忘れていたというのが正しい。それでも、最初にテキストに触れた時点ですでにもう対話に巻き込まれていたんだと思う。

再読、してみるもんだね。

(2023-12-23 Xの投稿より

ここまでたどり着いたあなたは相当ニッチな関心領域をシェアしているとお見受けするので、もしよろしければXアカウントのフォローもどうぞ😊

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原初の動機

 

なぜ写真なのか?という問いはずっとわたしの中に留まり続けていて、問答のあとで思い至ったことを記しておこうと思う。

かつて同じ問いを恩師に差し向けたことがあって、そのとき返ってきたのが「写真術に恋をしている」ということばだった。な、なんと素敵な…。それを聞いて、この人に学ぶことができて良かったと心底思ったのを覚えている。そう。気がつくと母娘で韓流アイドルの推し活をしているように、好きは感染る。つまり…感染ってしまったのだ。写真への想いが。

カメラを手にとったころはそんな感じだったと思う。それから20年あまり。写真が好きという初々しい気もちは感謝へと変わっていった。前の記事(今でもわたしは)でも触れたが、わたしにとって暗室はアジールのような場所だった。明るい太陽のもとカメラを携え世界の素晴らしさを探し歩く行為は、つらい現実から距離を置くという効果をもたらした。ある時期のわたしは、撮影や現像といった写真にまつわる行為そのものによって支えられていたと言っても過言ではない。そのことへの深い感謝がある。

それともうひとつ。

いつもお世話になっている美容師さんはわたしよりすこし年上の女性で、髪を切ってもらうあいだに交わす会話から学ぶところが多い。先日「70歳になったときにどういう働き方をしているか?」という話になり、彼女が「お客さんは年配の方も多く、これからは訪問でカットするようなことをふやしていこうと思う。髪を整えることで華やいだり、シャンと背筋が伸びるような気もちになるから」と言ったとき、ことばが自分の中の熱いものに触れるような感覚があった。

わたしが忘れかけていたもの、イメージの力だ。

イメージには力があって、間違った方向に使われることもあるけれど、ひとを喜ばせたり力づけたりすることもできる。まだ気づかれていない良さを引き出したり、これまでとは違う側面から光を当てることもできる。見落とされがちなものに価値を見出したり、既存の価値を問うこともできる。イメージの持つそういう力を信じ、誰かのため社会のためにその力を使おうと思って、わたしは視覚表現の領域に進んだ。

なぜ写真なのか?を問ううちに、写真以前、原初の動機に辿りついた。

今でもわたしは

 

今年はあいにく体育館での開催となったのだけれど、赦免地踊を観に行った。

はじめて訪れたのは4年前。
市街地から北に向かうにつれ、少しずつ空気がひんやりと、夜がその存在感をましていくように感じられた。そして、山あいの夜の暗さと静けさに圧倒され、蝋燭の灯に揺らぐ切り子燈籠のうつくしさ、女性に扮する少年たちの妖しさに魅了された。

それこそ京都は祭りの宝庫で、雅なものから勇壮なものまで多種多様な祭りがあるのに、なぜこの小さな集落の祭りにひときわ心魅かれるのだろう?と、帰宅後もしばらく考え続けていた。


この数年、訪れた土地の夜の暗さにほっとすることがある。
ここは夜が夜らしい暗さだ、と。


半月ほど前、ある人から「なぜ写真なのですか?」と尋ねられた。

わたし絵が描けないんです/学生時代、自分で問いを立てることが求められたのは写真の課題だけだった。もしその課題が写真ではなく彫刻だったら、わたしは彫刻をしていたかもしれない/暗室だけが安心して泣ける場所だった/なにか素敵なもの、それまで見たことのないようなあたらしいものの見えかた、そういったものに意識を向けながら世界をまなざすこと、太陽の下を歩くという路上スナップの行為そのものが、当時の自分のこころを支えていたように思う

そんなふうに答えたと記憶している。

「もしかして暗室は…」
言いかけた相手のことばを引き取るように、わたしは答えた。
「子宮なのかもしれません。唯一、安心できる場所でした」


山あいの夜の圧倒的な暗さと静けさ。それに抗うのではなく、折り合いをつけるかのようにひっそり執り行われる集落の祭り。自分の輪郭がほどけるような暗さと静けさのなか、揺らめく灯に誘われ、ふだんは届くことのないこころの深い場所に触れられる気がした。

ああそうか。
今でもわたしは暗く静かな場所を求めているのかもしれない。

書くこと

 

「書くこと」について、友人と話をした。

友人は、わたしがどこに着地するかわからないままでも書き始められることに、すこし興味を持っている様子だった。彼女は、どういうことを書くか決めてからでないと書けないと言う。

書いているうちに思いもよらない方向に展開したり、思いもよらないものに接続することが、即興演奏のようでおもしろいと感じていたが、書く人がみなそういう風に書くわけではない、ということを、わたしはその時はじめて知った。

書くことや、ものづくりで一番おもしろいのは、手を動かしているうちに、まったく想像もしなかったものが生まれる(というより「出会う」)ことだと思っている。とりかかった時点で、何ができあがるか、自分にはわかっていない。むしろ、わからないからこそ、自分の手が生み出す、まだ見ぬ何かを見たいと願う。そして、それが書いたり作ったりする強い動機になっている。

下條信輔さんの、『サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)』に、前意識についての記述を見つけた。「知っている」と知っている範囲(意識 conscious representation)の外側に同心円状に、知らずに「知っている」範囲(前意識 sub-conscious representation)が広がっている図を見て、なるほどなぁと思った。

書いたり、手を動かすことが、前意識と呼ばれる部分に働きかけをしているのかもしれない。

ここで特に私たちが考える前意識の知は、意識の知と無意識の知の境界領域、またはインターフェースにあたります。人が集中して考えたり、あるいはぼんやりと意識せずに考えるともなく考えているときに、突然天啓が閃く。スポーツによる身体的刺激や、音楽による情動の高揚、他人がまったく別の文脈で言った何気ない一言などが、しばしばきっかけになるようです。

こういう場合には、新たな知は外から直接与えられたわけではなく、といって内側にあらかじめ存在していたとも言えません。その両者の間でスパークし「組織化」されたのです。

この意味で前意識の知は、意識と無意識のインターフェースであると同時に、自己の心と物理環境、あるいは社会環境(他者)とのインターフェースでもあります。前意識を通してさまざまな情報や刺激が行き来するのです。(後略)

(『サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)』 下條信輔著 筑摩書房 2008 pp.258-259から抜粋)

投影

 

先日、とても興味深い話を聞いた。

現在子育て中の友人。
彼女は母親から「昔、子育てをしていたときあなた(友人自身)は神経質で、寝ついても音ですぐ目が覚めたけれど、孫(友人の息子)はよく眠ってくれる」と言われたのだそう。

わたしの知る限り、神経質なのは友人の母親のほうで、友人自身はおおらか。きっと友人の母親は、娘の寝つきの悪さを、ふつうの人よりずっとずっと心配したのではないかと想像する。

この話を聞いたとき、「投影」ということばが頭をよぎった。他者をとらえようとするとき、そこには「私」の気質や性質が否が応にも投影されてしまうのではないかと思う。

自他の境界は、思っている以上に曖昧なのかもしれない。

七夕の夜

 

七夕の夜、珍しく母に作品の話をした。

フレームの中に何を選びとり、そして、焦点によってどの奥行きを選んで際立たせるか。写真は徹底して「選ぶ」ことに依拠しているけれど、フレームとピントによる選択を無効化してもそれでも作品として成立するだろうか?ということを考え続けている。と。

母に話したのはそこまでだけれど、選択を無効化するということを目指しながらも、それでもやはり周到に避けている(選ばないでいる)ものがあることには薄々気がついていて、最近は、何を撮るかより何をフレームからはずしているか、に関心が向いている。

先日、IZU PHOTO MUSEUMでフィオナ・タンの《Accent》を観た。

戦後、検閲は廃止され、報道の自由が保障されるようになったが、アメリカは検閲を行い、日本人の愛国心をかきたてるおそれがあるとして、映画から富士山のシーンを削除した。そして、その検閲は日本国民には知らされず、富士山の削除自体がわたしたちの認識から削除されていた。

わたしが展示室に入ったのは、おおよそ、そのような内容のセリフが語られているシーンだった。(正確にセリフを覚えていない)

少し面食らった。

時間軸(タイムライン)から削除されたり、フレームからはずされたりしたものがある、ということに、ふつう人は気づけない。

さまざまな情報戦が繰り広げられるこの時世に、はずされたものについて考える重みをずっしりと感じた。

抑制が効いているからこそ

 

抑制の効いた表現に、ぐっときた。
あるときは、アウシュビッツを描いた体験記録に。またあるときは、広島をうつした写真群に。
むしろ、抑制が効いているからこそ、なのかもしれない。

「淡々と描かれているから読めるのよ」そう母は言った。
それ以来、抑制が効いているからこそ、ということを考えるようになった。

はっきりいえば、私たちは他人の「涙」に泣くのではなく、他人の抑制に泣くのである

多田道太郎

涙の記憶は誰にも数知れずあるから、他人のそれにもついほだされる。けれどもそのとき人は「泣きたい心持ちをぐっとこらえるその抑制の身ぶり」に涙しているのだと、仏文学者は言う。かつて泣きたくても泣けぬ口惜しさを必死でこらえた自分への憐憫(れんびん)? 実際、抑えきれるのは演じうるということでもあって、それに騙(だま)された人も少なくはない。「しぐさの日本文化」から。(鷲田清一)

折々のことば http://digital.asahi.com/articles/ASJ6C779DJ6CUCVL006.html?rm=130 より

息をあわせる

 

こころが少し疲れてしまった人と話をするとき、自分の呼吸を相手の呼吸とあわせるようにすると、相手も話しやすく、そして自分も相手の心理状態が少しわかるのだ、と教えてくれたのは中学校の養護教諭をしている友人。

その友人が顧問をつとめる大所帯のマンドリン部で、指揮者なしで数十名がタイミングをあわせて音を出すには、文字通り息を、呼吸をあわせるのが重要だという。

そんなことをふと思い出したのは、安田登さんの『日本人の身体 (ちくま新書)』にこんなくだりがあったから。

 エスキモーには、鯨を獲るクジラ・エスキモーとトナカイ(カリブー)を狩るカリブー・エスキモーがいます。クジラ・エスキモーの人たちは音痴ではありません。同じエスキモーでも音痴なのはカリブーを狩る人たちだけです。
 彼らも歌を歌いますが、二人で歌っても、音程や拍子を合わせることをしません。それに対してクジラ・エスキモーの人たちは、非常にリズム感がいい。同じエスキモーなのに、なぜこう違うのか。
 それはクジラを獲るためにはリズム感が必要だからです。
 クジラを獲るチャンスが年に二回しかありません。非常に少ない。しかもクジラが息を吸うために氷の割れ目に現れた、その瞬間しかありません。そのときに、みんなで息を合わせて一斉に攻撃する、それができなければ獲ることができません。
 一本や二本の銛が刺さってもクジラはびくともしません。みなの銛が一斉に刺さってはじめて捕獲することができるのです。「せーの」で一斉に銛を投げる、そのためにはリズム感が必要です。
 このようにクジラのような大型の獲物を捕獲するときには、みんなで息を合わせることが必要になります。ですから、クジラ・エスキモーの人たちは音痴ではなくなるのです。それに対してカリブー(トナカイ)はひとりで捕獲できるので、他人と息を合わせる必要がない。音痴でも全然かまわないのです。

(『日本人の身体 (ちくま新書)』安田登 ちくま新書 2014 p215-216から抜粋)

キッチン問答

 

日の出が6時、南中11時すぎで日の入り4時、となると、
撮影のためにしぜんと朝型生活になる。

朝ごはんをつくっていると、同じ時間帯にキッチンを利用する方がいて、
それぞれ自分の朝ごはんを作りながら、作品の話をするようになった。

相手の質問が鋭くて、最初はたじたじやったし、
朝6時台からえらい切り込んで来るなぁ…と思ったりもしたけれど、
それはそれで、だんだんおもしろくなってきた。

ろくに自己紹介もしないまま、
朝ごはんを「つくっている間」だけ話をする関係が一週間ほど続き、
彼の滞在の終盤でやっと、お名前と作品を知る機会が得られた。

はじめから作品や経歴を知っていたら、もっと身構えていたかもしれない。
半分パジャマで頭ぼさぼさの無防備な状態だったから、
ベテラン作家からの突っ込んだ質問にも、率直に答えられたのもしれない。
いま思えば、とても貴重な時間やった。

既知のもの

 

既知のものが、既知のものに見えなくなるときが、いちばんおもしろい

このフレーズはずっとたいせつに抱えてきた宝物。

心をこめる

 

その日は、保育の仕事をしている友人と話をしていた。

休日に仕事を持ち帰ったという話をきいて、家に持ち帰らなければならないほど仕事量が多いのかと問うたところ、
新学期の帳面に子どもたちの名前を書くの、バタバタしている仕事中ではなくて、心をこめて書きたいから。という返事がかえってきた。

心をこめて名前を書く

という話が、おそろしく新鮮に聞こえるくらい、心をこめて何かをする、ということからわたしは遠ざかっていた。

彼女曰く、テキパキと合理的に仕事をするよりも、心をこめて名前を書くようなことのほうが、むしろ自分にできることなのではないか。と。

そのとき、わたしは虚をつかれた感じだったと思う。
わたしの仕事観のなかには、テキパキ合理的というチャンネルはあったけれど、ゆっくり心をこめて何かをするというチャンネルは、存在すらしていなかった。

少し話はそれるけれど、視覚表現に携わるなかで感じてきたことのひとつに、「ひとは、言語化されたり明示された内容よりも、その表現のもつニュアンスのほうに、大きく影響を受けるのではないか」というのがある。
たとえば、ひとが話をしていることばやその内容よりも、間の置きかたや声色、トーンといったもののほうから、より多くの影響を受けるようなこと。

そうであればなおさら、表現する立場のひとが「心をこめる」ことはとても重要だ。
受けとるひとは、心のこもっているものと、そうでないものを、とても敏感にかぎわける。

なのに、わたしはずっとそれをないがしろにしてきた。

心をこめる、ということをもう一度、考え直したい。

ひと

 

水曜日のテレビ番組で、「行政の大きなお金を使って大きなモニュメンタルな建築をつくって、本当にひとのためになっているのか?と自問していたことや、難民キャンプや震災の現場で紙管の構造体が利用されたことで、建築がひとの役に立つことを実感した」という坂茂さんの話が印象に残っていた。

そして翌日、建築事務所を営む友人とご飯を食べながら話していたときに、その友人が、「最近、自分はかわってきたと思う。以前は綺麗なものが好きで、自分の設計した建物に趣味の悪いタンスが置かれてたらいやだなぁと思ったけれど、最近そういうのは気にならなくなった。むしろ、そこにひとがいることこそが大事やと思うようになった。」と言っていた。

どちらも、もの(作品)ではなく、ひとを中心に据えるというところで、共通していると思う。立て続けにそういう話を聞いたので、今日はずっとそのことばかり考えていた。では、写真はどうなのか?

もうひとつ、彼女に訊かれた「最終的にはどういうものを撮っていこうと思っているのか?」という問いも、意外と鋭く刺さっている。たぶん、いまの段階ではわからない。風景/ポートレイト/うんぬん…という既存の分類の中のひとつを選ぶような選択にはならないと思う。得手-不得手や、撮るもの-撮らないものはあるけれど、もっと違う分節の仕方をすると思う。その場では、そういうことをうまく説明できなかった。

彼女の問いはドキッとしたけれど、ものすごく嬉しかった。学生時代は仲間同士で相手の制作の核心に近いところまで遠慮なく切り込むことも多かったけれど、最近そういう問いを投げかけてくれる人はめっきり減った。
あるいは、わたし自身が避けていたのかもしれない。

出会い直す

 

ここ数年、制作時間の確保に固執していたところがあって、ひとと会うことに対しては、積極的に「消極的な態度」をとっていたのだけれど、それではまずい、ということに気づきはじめて、一旦、他者と時間や経験を共有することに寛容になろうと決めた。(「積極的」と言いきれないあたりが、潔くないのだけれど…)

その途端に、さまざまな方面のしばらくぶりのひと(びと)からお声がかかった。もちろん、自分からそんなアナウンスはしていない。

水流を塞き止めていた石をどかしたら、急に水が流れ込んで来たかのよう。ひととのご縁とは、不思議なものだと思う。

ここ数週間にわたって、たてつづけに、しばらくぶりのひとと会っていた。そして、おそらくそれは、旧くからの友人と新しく出会い直す作業でもあった。

まともに話すのは数年ぶりだし、まったく違うフィールドで生きているにも関わらず、お互いが問題意識を持っていることについて、深く話せることに驚いた。彼女が教育現場で日々考えていることが、わたしが制作の中で感じたり考えていることと、深いところでつながっているということもうれしかった。

「あるレベルに到達した人々が言うことは、それがどんな分野のひとでも、案外同じなんだよ。」という友人のひとことが印象的だった。わたしたちのどちらも、途上のひとではあるけれど、いま時点での、お互いのいる場所から見えている景色も、そう大きくは違わないのかもしれないし、そもそも思っているほど遠くにいるわけではないのかもしれない、と思った。

結局、他者によってしか自分を知ることができない、ということも、あわせて実感。ひとは他者からの期待によって成長することとか、他者との対話の中にあってはじめて新しいものを見つけるとか、そういうことを、わたしはあまりに過小評価していたのだと思う。

0.5

 

撮った写真のうちどのくらいが、作品になるのですか?という問いに、

0.5%くらいかな
とそのひとが答えたことを思い出した。

ネガチェックをしてみて、実際そんなもんなんだなぁ、という実感があって、全然、撮り足りていない、ということもよくわかった。

そのものがなんであるか、ということよりも、
もののたたずまい、に興味があるということもわかったし、
狭い地域で撮ることの限界もはっきり見えてきている。

ここで、いったん総括したことは、その先を考えるうえで良かったのだと思う。

ということで、今日も路上へ。

びは乱調にあり

 

「びは乱調にありは瀬戸内寂聴。貴女にとってびとは?」

唐突なメールをよこしてきたのは、おかん。
び→美くらい、ちゃんと変換せえよ…。

「ゆらぎ そして、きわ」
と返す。

その返答には納得した様子だけれど、
たまに、こういう問いを携帯メールで送ってくるから、油断ならない。

機会損失

 

ひとり屋台は、孤独であるという点で、
あるしんどさを背負ってはいるけれど、組織に属さない気楽さがある。

逆に言えば、組織のなかでひとに揉まれて学ぶことが、学べていない。
ひとと一緒に仕事をすることがあって、強く感じた。

そうとう自覚的でないと、あたまでっかちのまま、
自分ひとりのことしか考えない人間になってしまう。

教職に就いている友人がかつて言っていたこと。
狭い世界で「センセイ」と呼ばれ続けて、意識的でなければ、
長い教師生活のなかで自分は偉いのだと勘違いしてしまう、
そういう先生がたくさんいる、と。

それぞれの立場で内容は違うけれど、
危機感を抱いておかなければならないことがらはあるのだと思う。

わたしの場合は、組織に属していないことで、
ひとから学ぶ機会を損なっているということを、
肝に銘じておかなければならない、と思う。

電気系ターム

 

あろうことか、このわたしにレンアイの相談をしたいとのこと。
久しぶりに、大阪で大学時代のともだちと飲んでいた。

コイバナなのに…。

たしかに、理系やったけど、
なんで、恋愛の緊張関係をエネルギーバンドで例えるのか…。
なんで、「量子化」とか「励起」とかいうことばが飛び交うのか。

話しているふたりとも、大学での成績は最悪だったから、
ことばの意味をわかったうえで使っているんじゃなくて、
子どもが覚えたてのことばを使いたがるようなもの。

電気系180名のうちたった6名しかいない女子。
6名がすべて仲が良いというわけでもなかったから、恋愛相談と、
マニアックな電気系タームの両方でつながる相手なんて、そうはいない。
単純に、その二極にあることばを共有できる連帯感がここちよかった。

落ち込んでいた彼女も、だんだんお酒がまわってきて、途中から悪ノリ。
「どっちも含み込むような、でっかいバンドをつくれっちゅうねん。」
「二次元や三次元で考えんと、八次元くらいで考えてくれっちゅうねん。」
くだの巻きかたがマニアックで、おもろすぎ…。

だから、言わんこっちゃない。
わたしに恋愛の相談役はムリやっちゅうねん。

幾千のディテイルの積みかさね

 

母は映画が好き。
BSで放映されている辺境の地の映画をもっぱら好んで観ている。
居間で一緒にゴロゴロしながら映画を観ていると、彼女が言う。

「(映画って)すごいわよね。それこそ幾千のディテイルの積みかさねじゃない。」

おっと、おかん。ええこと言うやん。
「幾千のディテイルの積みかさね」
素敵なフレーズや。どこからパクってきたんやろ…。

そんな母に、
「深夜、寝しなにテレビつけたら、ニューシネマパラダイスやっとってん。」
と言うと、「あら、そんなん寝られないじゃない。」と。

まったくその通りだったのが可笑しかった。
翌朝早くに用事があるのがわかっていながら、
〜早朝4時の放映を最後まで観てしまった。

4度目なのに、泣きながら。

坂井さんのふく

 

寺町を自転車で通り過ぎようとしていたところ、坂井さんとすれ違う。

一見の客なんて覚えてないだろう、と思ったら、
すぐにわかったようで、声をかけてくださった。

そりゃそうだ。
わたし、そのとき、彼のつくったふくを着ていたのだもの。
自分のつくったふくを着ているひととすれ違ったら、そりゃ、わかるやろ…。

お店の外で、着ているふくをつくったご本人と対面するという状況は
ちょっと気恥ずかしい。

追い打ち。
新しい店舗がガラス張りなのを良いことに、
外からうっとりふくを眺めているところを、目撃されていたそうな。

メンズラインばかりだし、
クールな店内にはなかなか入る勇気がなかったの。と、こたえたら、

「僕のいるときに来たらいいよ。」
と、やさしく微笑む。

頑固で筋のとおったふくづくりをされていて、相当気難しいであろうそのひとが、
やさしく微笑んでくれるのが、ちょっと、いや、すごく嬉しかった。

男物で、そのうえかなりハードなのに、
つい、お店の前でぼうっとしてしまうくらい、吊られているふくが美しい。
吊られた状態の造形が美しいと思うふくは、そうは多くない。

ふだんはそんなこと思わないのだけれど、
このときばかりは、男に生まれたかったと思う。

ヘラクレス座の

 

なりゆきで深夜のドライブデート。

今出川より北、
お互いの思い出をなぞるように、
なつかしすぎて甘ずっぱい場所をうろうろ、と。

どんどん空が広くなって、漆黒の空にとびきりの星。

運転席のそのひとが「ヘラクレス座の…」と、それらしく言うから、
真剣に見上げると、「うそ言うた。テキトー。」とかわされて。

目的のないドライブだったし、
共通の友人のたちあげたNPOの建物をのぞきに行ったり、
クルマに乗らなきゃできないこと、
たとえば、スタバのドライブスルーでラテを頼む、
なんてことを、ひとつずつ、叶えていった。

新年早々、の、うれしい夜。

平成の大改修

 

家にひとがいるから。
家にひとがいないから。
そのどちらの理由でも、家に帰りたくないと思うことがあった。

唐突にそんなことを思い出したのは、今日は日暮れまで家に帰りたくなかったから。

平成の大改修。
築年数不詳の住まい、早朝から大工さんが出入りして瓦をふきかえている。電ノコの容赦のない音が、リアルタイムで通っている歯医者の処置を思わせて、音だけで歯がいたい。

そんな事情で、家に帰りそびれているときに、そのひとのことばを思い出す。

家にいるのがいやでよく旅に出ていた。

それを聞いたとき、わたしはことばに詰まってしまった。
帰るのがいや、ではなく、いるのがいや、なんて、あまりに切ない。

寒いさん

 

「家内が外気温より寒い。このままじゃ、自宅で凍死するよ。」
と、泣き言を言うと、
「晴明神社に行って、寒いさんに出て行ってもらうようにお願いせなあかんな。」
と、母。

ものは試しということで、撮影がてら晴明神社に。
これで、寒いさんが出てってくれたらええんやが。

雲間から、かすかに見え隠れする今朝の光は、
けっこう色っぽかったな。

しっかりしなさい。

 

「しっかりしなさい。」

部屋のなかには、母とわたししかいない。
え?…と思ってふり向くと、
母は扇風機に向かって話しかけてる。

しっかりしなさい。

聞けば、扇風機の首がぐにゃぐにゃして、落ち着きが悪い、とのこと。
自分のことかと思ってドキドキしたわ。

Home / Away

 

ここ数日ずっと寝しなにShinjukuBuenos Airesを見ている。

「近所で写真を撮って作品つくるのは作家の怠慢」

という写真家の厳しいことばがずっと頭にあって、どこか遠くに行くことを考えはじめたから、一人の作家のホームタウンで撮る写真と、アウェイで撮る写真とを比べて見てみたい思った。

同じ写真家が撮っているのに、ずいぶん違うものに思える。

被写体の違い、だけなんやろうか。
ShinjukuよりもBuenos Airesのほうが作家のまなざしが自由になっている印象を受ける。

Buenos Airesは、特に見開き2ページの写真の組み合わせ方がおもしろい。

左ページのタンゴを踊る女性の網タイツが目をひけば、
右ページでは黒く濃く焼き付けられた橋脚の複雑な構造体が存在感を示している。
左右のページの被写体がまったく違っていても、どこか共振するところがあって、それがほどよい緊張感をもたらしているのだと思う。

1枚だけを見るのと、2枚を対で見るのは、2枚のたとえ片方を見ているつもりでも全然違う経験なんだと思う。

と、じいっと見ていると、寝そびれて起きそびれる。
明日は雨だから今夜はよふかしもいいかな。

dialogue

 

やっぱりdialogueって大事やと思った。

ひとつは、写真家とのメールのやりとりのなかで、やっと言語化できたこと。

「既知のものが、既知のものに見えなくなるときが、いちばんおもしろい」

もうひとつは、年下の先輩との会話において。
NPO宛に送られてきた写真展のDM。団地を大判カメラで真正面から撮ったと思われるそのハガキの写真を見ながら、「10年続けててここに辿り着いたんだったら、見に行こうかなぁと思うんだけれど、このひとの経歴を見ているとそうでもないみたい。」と彼は言う。10年、団地を撮り続けたひとにしかたどりつけないものがあるだろうと。

なるほど。時間の蓄積や、経験を積み重ねたひとにしか見えてこないものってあるから、それを見たいという気持ちはわたしにもよくわかった。継続が力となること、を客観的に理解する。

最終的には孤独な判断の積み重ねになるのだけれど、ひととことばを交わすことも大事。自分ひとりのあたまで考えることなんて、たかが知れてる。

100均のコップ、ゴディバのチョコレイト、あるいは藤原紀香

 

「そのコップかわいいね。」と言うわたしにFはこたえる。
「これ、100均のコップやねん。」
つい、100均のわりにかわいいコップやろ、という話かと思ったら、
「小学生の弟がな、誕生日に買ってくれてん。小学生にとってはな、100円は大金やねん。」
その小さなガラスコップは歯みがきセットの受けになってて、いつも彼女はたいせつにそのコップを持って食後の歯みがきに行く。

「バレンタインデーに、女子からパーティーをしてもらったのはいいんですけどね、そのお返しにゴディバのチョコレイト、2個入りのんが800円もするの、6つ買ったら、お財布なくなりました。」
Mが言う。お財布の中身がなくなりました、ではなくて、お財布なくなりました、というあたりに実感がこもっている。

「あの日、ダムタイプのS/N見てレクチャー聴いて、ひとがひとを好きになることとかけっこういろいろ真剣に考えさせられたんですよ。でも、その帰り、電車乗るときに、藤原紀香と陣内の結婚の話をともだちから聞かされて、そのふたつの出来事のあいだで、僕どうしたらええんかわからんかった。あの日はそういう日だったんです。」
とはS。

いずれも学生の話で、ふとした機会に見せてくれるこまやかさや温かさ。
かわいいなぁの一言に縮約するには、あまりに彩りがあって。
そういうものに、わたしは少なからず救われていたんだと思う。

同心円上をぐるぐるまわっている。

 

先日のミソヒトモジたちとの会話の中で「写真の本質って何?」と訊かれ、まったくコメントできずにいた。そのことでひどく、ひどく悶々としている。

そういうことは、案外近すぎて見えていない。いちばんシンプルな回答は、「光の記録媒体」なんだと思う。レコードが音の記録媒体であるように。

それにしても写真にはいろいろとロマンティックな言説がつきまとう。
過去性や記憶というキーワードはよく耳にするけれど、はたしてそれが「写真」の本質なのか。写真にしか言えないことなのか。それとも記録媒体全般にあてはまるものなのか。そういうことを、寝しなにつらつら考えながら、そういえば、王家衛の『ブエノスアイレス』で、南米最南端の岬をめざすチャンが、ファイにさし向けたのはカメラではなくてテープレコーダーだったな、とか。映画のラストで、ファイが台北にあるチャンの実家でくすねたのはチャンの写真だったな、とか。

核心にはたどりつけずに、同心円上をぐるぐるまわっている。まだしばらく悶々としそうだ。