クラフト・エヴィング商會の「星を賣る店」の展示会場で、月下密造通信という名の壁新聞をいただいた。

その壁新聞に

子供のころにも思い、いまもなお実感するのですが、人は皆、夜の静かな時間を持つべきかもしれません。その時間に何をするか、何もしないか、何もしないとしても、どんな時間が流れるかを見守ったり考えたりする。船が港に帰ってきて、夜の海の底に錨をおろすみたいに。(中略)世の中にはさまざまな本がありますが、自分はつまるところ、こうした冬の夜に心静かにひもとく本があれば、あとは何も要らないのです。

というくだりがあって、ものすごく共感してしまった。

Dzibilnocac という遺跡。
現地の方にすらなじみが薄い遺跡のようだったけれど、どうしてもどうしても見たくてユカタン半島に向かった。それは、ル・クレジオの『歌の祭り』の、ジビルノカク、夜の書 で描かれていた情景がものすごく美しかったから。

 寺院の名は、ジビルノカク、「夜の書」という意味で、伝説によるとここにはマヤの文化英雄、文字の発明者である偉大なるイツァムナの弟子のひとりがかつて住み、長い夜を幾晩も費やして、イチジクの樹で作った紙片に神聖文字を描き、空にマヤの人々の秘密を読みとったのだという。(中略)

 ぼくがジビルノカクのことを語りたいと思ったのは、夜を費やして人が文字を書くというこの孤立した場所の伝統が、ぼくには美しいと思われるからだ。世界でもっとも居心地のよい場所。世界を忘れてただひとり、記号の中へと入ってゆくための影の部屋のように美しい。その記号が石に刻まれたものであれ、アコーディオンのように折りたたまれた紙に描かれたものであれ、夜の沈黙の中で人がゆっくりとめくる絵のない本のびっしりと文字がつまったページに印刷されたものであれ。夜、書き、夜、読むことは、あらゆる旅のうちでもっとも驚くべき、もっとも簡単な旅だ。(『歌の祭り』 ル・クレジオ著 菅啓次郎訳 岩波書店 2005 pp.204-205から抜粋)

つまるところ、
静かな夜にことばを紡いだり、本をひもといたり、
そういうことを、わたし自身が、ものすごく愛しているのだと思う。

静かな部屋で雨音を聞きながら、
つくづく、そう思った。