LISA SOMEDA

身体 (32)

1:25 a.m.

 

寝る前に小腹が空いてうっかりナッツを頬張ったせいで、案の定、深夜の逆流性食道炎。

こういうときはたいてい、不安や恐れ、悲しみといったものがアマルガムのようになった忌々しい夢を見て、ぎゅっと鳩尾を締めつけられるような痛みとともに目覚めるものだが、今夜の夢は祖母のものらしきワンピースと白いサンダルを手に彼女が行きたかったであろう場所を訪れ撮影するという夢だった。

見覚えのないワンピースだったが、縫い代にマジックでフルネームが記されているから施設に入った後のものだろう。断片的に、水面のきらめき、まだ浅い緑、初夏の風景だ。そして、その旅を通じて祖母のさびしさに触れた気がした。

鳩尾の痛みはいつもとさほど変わらないのに、なぜか今夜は、私の身体にはまださびしさが残っていたのかと、かつて置き去りにした感情をやさしく迎えにゆく心もちになっていた。

これまでずっと頑なに遠ざけたり固く閉ざされた箱に押し込むようにしてきた感情を、それもまたわたしの一部とやわらかく受け止められたのは、これがはじめてかもしれない。

1:25 a.m. まだ鳩尾は鈍く痛む

ヴンダーカンマー

 

8年前の2016年、ロシア滞在も終わりに近づいた頃、予定していた撮影をなんとか終えたわたしは、ほかの撮影候補地を探しつつサンクトペテルブルクにある美術館、博物館に足を運んでいた。はじめ、博物館リストにあるクンストカメラをカメラに関連する施設と勘違いしていたが、調べてみると小さな博物館らしいことがわかった。そしてわたしはそこに「何が展示されているか」わかったうえで、クンストカメラを訪れた。クンストカメラが博物館の前身となるヴンダーカンマー(驚異の部屋)の別称だと知るのはその数年後のことになる。

歴代の皇帝の個人的なコレクションの集積場と言われるクンストカメラには、いつの時代の日本人だろう?と訝しく思うような人類学、民族学的な展示から、地球儀など科学に関連する展示まで、幅広く集められた収蔵品が魔術的な雰囲気を纏って陳列されていた。そしてほとんどの訪問者がいちばん衝撃を受けるのが、奇形の胎児(人間)のホルマリン漬けがずらっと並んだ展示室だ。

わたしも例外ではなく、そのときはただただショックを受けて帰途に着いたが、数年後に国立民族学博物館で開催された『驚異と怪異』という展示で驚異の部屋(ヴンダーカンマー)を知ったとき、人間の珍しいものを見たいという欲望の行き着く先をわたしはすでに見てしまったのだと悟った。個人のもっともプライベートな領域の深い悲しみを伴った存在を、その場から切り離し「珍しいもの」として蒐集し展示することのおぞましさ。museumの原点にはそういうおぞましさが潜んでいるのだと思った。わたしはそんな土台のうえに自分の作品を積みあげるのか?という戸惑い。そして、ほかでもないわたし自身が「何が展示されているか」わかったうえで観に行ったのだ。おぞましさはわたしの中にもある。

そんな経緯でmuseumというシステムに関心を持つようになったが、過去を掘り下げ起源に遡る方へと向かうと、どうしてもネガティブなことばかりが目についてしまう。それがだんだんしんどくなっていったというのもあるのかもしれない。今回、豊田市美術館の「未完のはじまり 未来のヴンダーカンマー」展を訪れたのは、なにか新しい視点が得られないだろうかという期待があった。

神話と現代的なメディウムを融合させた作品や、科学と錬金術的・魔術的な世界観とが渾然とした作品など、まざる(混ざる・交ざる)ことの豊かさを感じる作品群。国民的詩人の孫であるTaus Makhachevaの、祖父のパブリックイメージとプライベートな記憶を辿る作品。さまざまな切り口で、museumの機能———もとの環境や文脈からの切断、移動、分類———が揺さぶられ問われているが、強く印象に残ったのがフィクションとして構成された映像作品3点。

Taus Mackhachevaの《セレンディピティの採掘》は「半世紀前の未来科学者たちが提案したアイデア」という架空の設定に基づき、そのアイデアをもとにつくられたアクセサリーの形をしたガジェットが展示され、実際に身につけることもできる。最新ガジェットのはずなのにどこか魔術的・錬金術的な雰囲気が漂い、科学と錬金術の境目はどこにあるのだろうと考えた。

Yuichiro Tamuraの《TiOS》では生体との結合性が強いチタン(Titan)を軸にくすっと笑いを誘う未来像が提示され、産業技術と身体(生体)の関係性が浮かび上がる。カセットテープ、フロッピーディスク、HDD…記憶はいつも回転体が担っていたという指摘がふかく印象に残っている。

Liu Chuangの《リチウムの湖とポリフォニーの島Ⅱ》のリチウムの湖では、ウユニ塩湖でのリチウム採掘、歴史を遡ってポトシ銀山にも触れ、(鉱山をはじめとする)開発、輸送、それに伴う産業といったものの構造が、一方的に「新世界」と呼ぶ地域から略奪・蒐集を繰り返してきたmuseumの構造と不可分であることを考えさせられる。富の移動。いっぽうポリフォニーの島では、人間だけが地面のうえで歌を歌うという動物学的な説明にくわえ、ポリフォニーの祖と呼ばれるバッハ以前から少数民族の歌にポリフォニーが存在していることが指摘される。うつくしい映像のところどころに西洋中心主義批判がそっと織り込まれている。

企画自体が未来志向だということもあるけれど、ほとんどの作品が批判よりも可能性に開かれていて風通しの良さを感じた。そもそもが豊田市博物館の開館に向けてmuseumの起源に遡りつつ未来を考えるという企画だったので、展覧会を観たその足で開館したての豊田市博物館にも足を運んだ。

いわゆる未完でのオープン、と理解。未完は決して悪い意味ではなく、市民がグループをつくってその土地土地の石を集める取り組みが紹介されていたり、持ち寄られた「豊田での生活史を象徴するもの」が展示されていたり、ここで暮らすひとが自分たちで自分たちの歴史や環境を調べ考え続ける場として機能する博物館像が示されていた。それは「美と知の殿堂」といった啓蒙主義的な存在としてのmuseumから脱却する試みとしてもとらえられ、その意味で、あたらしいmuseum像を見ることができたと思う。3年後、5年後、10年後に今の未完がどんな未完に変わっていくのか楽しみである。

museumの起源には血生臭い簒奪の歴史が、そして未だに蒐集する/される非対称な構造が横たわってはいるが、それを乗り越え新しいmuseumをつくっていくことができると示されたように感じ、明るい気もちで博物館を後にした。

参考
未完の始まり:未来のヴンダーカンマー(豊田市美術館)
豊田市博物館(公式)
驚異と怪異(国立民族学博物館)
クンストカメラ(wiki)
クンストカメラ(公式)
ロシア最古の博物館にして、ロシアの科学のゆりかご。ピョートルのクンストカメラ誕生物語(ロシアビヨンド)
奇形児などが展示されているピョートル大帝のクンストカメラ(ロシアビヨンド)

松宮秀治さんの「ミュージアム思想」はmuseumを考えるうえでとてもよい書籍ですが、高額で入手しづらくなっています。近くの図書館に蔵書がないなど事情がある方はご一報ください。お貸しします。

自由になった前足

 

このサイトでいちばんアクセスが多いのが「感覚比率」という2007年の投稿で、そこでは電話をしながらつい落書きをしてしまうという経験に触れたが、ちょうどいま読み終えた
ハンズ 手の精神史』にも、会話と手の動きについての記述があったので抜粋しておこうと思う。

この本では、わたしたちがいかにせわしなく〝手を動かさずにはいられない〟存在であるかが描かれており、電話であろうとなかろうと会話と手の動きはそもそも切っても切れない関係にあるようだ。

 第一世代の研究者たちは、手の使用がおおよそ二つのグループに分かれるという意見で一致していた。一方の「対象に焦点を当てる」手の運動は———特に、言葉を強調したり、区切りを入れたり、修飾したり、例示したりする際に———話し言葉と密接に関連していた。他方、引っ掻いたり、こすったりするような「身体に焦点を当てる」運動には、話し言葉との関連はみられなかった。対象に焦点を当てるジェスチャーは、発話のリズムにあわせて調整されており、その二つの同期のゆらぎが言語符号化における問題を直接的に示していると考えられた。発話と運動がうまく噛み合わない場合には、話者が何かを表現することに苦労している可能性がある、というわけだ。しかし、身体に焦点を当てる運動は、それとは異なったものであることがわかった。 それらの運動は、発話のリズムにはそれほど同期してはいなかったのである。そして、そうした運動は、分離や死別などの喪失の後にしばしば起こっていた。それはまるで、身体が痛みや悲嘆に反応して自分自身を刺激しているかのようであった。

 あらゆる研究者によって確認されていたように、先の二つのグループの違いは、実際にはより複雑なものであった。古典修辞学者もそう考えていたように、「対象に焦点を当てる運動」が話すことと結びついていたことは確かである。だが、「身体に焦点を当てる運動」が言語から完全に切り離されているわけではない。後者の運動は、話すこと自体にはほとんど関係がなかったが、そういった運動はまさに「聴く」という経験に関係していたのである。私たちは、聴衆を説得しようとしたり、あるいは単に聴衆とコミュニケーションをとろうとしたりするときに、意図的であるかどうかにかかわらず、ジェスチャーを用いることがある。しかし聞き手の側にも、身体の関与が存在する。実際、他人から話しかけられているときに、手を動かさないままでいられる人がいるだろうか?
ハンズ 手の精神史』(ダリアン・リーダー著 松本卓也・牧瀬英幹訳 左右社2020 pp.187−189より抜粋)

続く文章では、この問いに対して職業的に「聴く」ことが求められる精神分析家の例が挙げられている。

 実際、現在までの精神分析の文献についての調査記録を読むと、話を聴いている精神分析家がもっとも頻繁に行っていることは、メモをとることではなく、編み物をすることだったようだ。
(同書 p190より抜粋)

そして、フロイトの娘のアンナが分析中に編み物をしていたこと。フロイト自身は、喫煙するために手をせわしなく動かしたり、宝石の指輪を舐めたり、古美術品の置物やお守りをひっかき回したり、なでたりしていたことが描かれ、

 そのほかに分析家たちのあいだで頻繁に行われていたのは落書きで、それが話を聴くという経験と密接に関連しているのは間違いない。
(同書 p191より抜粋)

と括られている。

自分の経験に照らすと、対面だと話しづらいことも、作業だったりドライブしながらのほうが話しやすいことがある。養護教諭の友人は、わたしがなかなか話を切り出せないでいるとき、それを察して車のなかで運転しながら話を促してくれた。話しやすい場をつくってくれるってすごいな…と思った記憶がある。聞き手が手を動かしていることは聞き手自身の感覚のバランスをとっているだけでなく、話し手側の話しやすさにも影響を及ぼすのかもしれない。

さて、この本を読んだ直後、遺体科学の研究者である遠藤秀紀さんが、人間は木から下りて二足歩行になったことで、前足(手)が自由になり、重力によって喉のパーツが下にひっぱられて口に空間ができたことで音声言語を獲得したのではないか?とラジオで話されているのを聴いた。

もしその仮説が正しいとすれば、二足歩行によってもたらされたふたつのもの、自由な手(前足)と音声言語が切っても切れない関係にあるというのは興味深い。

つまるところ、わたしもまた自由になった前足を動かさずにはいられずに、この文章を綴っているのだ。

二足歩行についての話は52:17〜58:46まで。

世界にやさしく触れる

 

三脚を立て水平垂直をあわせ、最後にファイダーを覗きながらピントリングを繊細にまわすとき、世界にやさしく触れているような感覚になる。そして、そのことで自分自身が癒やされたり救われたりしている部分が少なからずあるのかもしれない、とふと思った。なにかにそっと触れるとき、やさしさは触れる対象だけでなく自分にも向けられる。

ここで話題にしたいのは、前段のほう。
ほんのわずかでも回しすぎるとピントが甘くなるので、必然的にピントリングには繊細に触れざるをえないが、その手つきによって、事後的にやさしさが喚起されるのではないか?と。

ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんと池谷裕二さんの対談に、興味深い話がある。(https://www.1101.com/ikegaya2010/2010-10-06.html

イーと発音するときの口をしてマンガを読んだときのほうが、ウーと発音する口で読んだときよりマンガがより面白く感じられるという実験結果について。脳は外界から隔離された存在で、脳それ自体では外界のことはわからず、唯一身体を通じて理解をする。ここで言えば、脳に届くふたつの情報「笑顔をつくっているようだ(イーを発音する口)」と「マンガを読んでいる」から脳は「マンガがおもしろい」という合理的な解釈を導き出すのだそう。身体の状態が先にあって、脳はあとからそれに解釈をくわえる。

だとすれば、繊細な手つきによってやさしい気もちが喚起されることも、あり得ない話ではない。

もうひとつ。
日日是好日という映画で、「お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ。」という台詞があった。ふるまいが先にあって、心は後からついてくる。そのことを、先人たちはよく知っていたのかもしれない。

近すぎて見慣れない山。はるか遠くの見慣れた山。

 

昨年5月に記したメモより。

先日実家で窓の外を眺めたとき、はるか遠くに見える山が紀州山地だということにはじめて気がついた。

神戸の海と山に挟まれたほんなわずかな平地で、しぜん太陽の射す海側に気もちが向くのと、うしろの山(六甲山系)はまなざすには近すぎるのとで、日常生活では、六甲山系よりもむしろ、遠く紀州の山影のほうが視界に入りやすい。

ほぼその上で生活しているにもかかわらず、視界に入らない六甲山系に感じる馴染み深さはどこか抽象的。いっぽう、訪れたことすらない紀州の山々に感じる馴染み深さは日々の生活で見慣れている分、現実的。

近すぎて見慣れない山と、はるか遠くの見慣れた山。
物理的距離と心理的距離は必ずしも一致しないのかもしれない。ひとが土地ととりむすぶ関係は、案外複雑だ。

さらに言えば、六甲山系をあたりまえのように「うしろ」と認識しているのもふしぎなことだ。海沿いの埋立地のあたりから六甲山系を眺めるときは、ただ山を眺めているだけなのに、「うしろをふりかえる」気もちになっている。

京都にあっては、必ずしも北が「うしろ」ではないし、特定の方角の山を「ふりかえる」と感じたことは一度もない。

隔たり

 

平時モードに戻る前に、もうひとつ書き残しておこうと思う。

「隔たり」ということばは、ふつう二者の空間的・時間的な距離を指す。それだけでなく、たとえ二者の距離が限りなく近くても、ガラスや壁のような遮蔽物が間にあるような場面でも「隔たり」ということばを使う。これらはまったく異なる状況のはずなのに同じことばを使う。そのことに興味を持った。

この二つの状況に共通点を見出すとすれば、距離や遮蔽物によって二者の接触が阻まれているということではないか?「隔たり」ということばのベースには「触れることができない」(接触不可能性)というチクッと心が痛む経験が横たわっているのではないだろうか?

かつて、そんなことを考えたことがある。(隔たり 2014.04.26)

奇しくも、新型コロナウイルスの感染防止対策として、日常生活ではソーシャルディスタンスを保つよう促され、公共施設や商店の窓口には薄い透明のシートが貼られるようになった。ぼんやり考えていたことが、突然、可視化されてしまった。

オリジナルとコピー

 

増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い (岩波現代文庫)』にあった遷宮の話が、ずっとひっかかっていた。世界遺産への登録が検討された際、遷宮によって建て替えられた“新しい建物”をどうとらえるかが議論になったという。

コピーがオリジナルにとってかわるという存在のしかたが取りざたされたようだけれど、わたしたち自身、その細胞は日々新しいものに入れ替わっている。むしろ遷宮のシステムは、生物の在りように近いのではないか、とも思う。「存在のしかた」は、ひとつではないのだ。もっと世界に視野を広げれば、もっと多様な「存在のしかた」が見つかることだろう。

それと同時に、あたりまえに交わされる「オリジナルとコピー」という議論が、実に西欧的(西欧ローカル)な問いであることにも気づかされた。

最近、芸術の枠に組み込まれていない視覚表現に関心を持つようになった。そういったところから、芸術における議論を相対化する視点が得られるのではないか、と期待している面もある。そう考えるようになったきっかけは、この遷宮の話だ。

以下、『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い (岩波現代文庫)』 高階秀爾著 岩波現代文庫 2009より抜粋。

 ところが、伊勢神宮においては、コピーが本物にとって代わる—というか、コピーこそが本物である—という、西欧の論理ではあり得ないはずのことが、現実に行われている。神殿が二十年ごとに建て直されるというのは、もともとは建物が古くなって損傷が激しくなったから新しいものに代えるという理由から始められたものであろうが、それは、本物がいたんできたからコピーで間に合わせるというものではない。新しく出来上がった瞬間に、それは「本物」となるのである。(p31より)

 問題は、もちろん伊勢神宮だけにあるのではない。日本古代のこの神殿が、西欧の論理を戸惑わせるようなやり方で今日まで生き続けているということは、とりも直さず、それが日本人の心性、価値観、ものの味方と、深いところでつながっているからであろう。

 差し当たりまずはっきりしていることは、日本人は西欧人ほどものそのものに価値を置いていないということである。あるいは、ものそのもののなかに本質はないと考えている。と言ってもよいかもしれない。伊勢神宮で大事なのは、建物そのものではない。いや建物はむろん大事ではあるが、その大事だということが、建物の材料であるものとは、必ずしもそのまま結びついていない。現実には二十世紀に建てられたものであっても、あるいは途中で何回も壊され、建て直されたものであっても、現在の伊勢神宮は、われわれにとって、やはり千数百年前とまったく同じ価値を持っている。(p32より)

 この「形見」という言葉は、もともと「かた」(型、形)に由来するものであろうが、とすれば、そのこと自体、きわめて意味深い。事実、西欧に「ものの思想」というものがあるとすれば、日本には「かたの思想」とでも呼ぶべきものがあって、ものそのものよりもかたないしは形の方を重要視する傾向が強いからである。伊勢神宮が六十回も建て直され、そのたびにものとしてはまったく新しい別の存在になりながら、一貫して同じ価値を保ち続けた理由は、それが同じ「かたち」を受け継いでいるからなのである。

 日本人のこのような価値観は、宗教の世界を離れて日常の世界においても、その現われを見出すことができる。さしずめ、歌舞伎の名跡などというものはその代表例であろう。

 かつては、梨園においてのみならず、武家でも商家でも似たようなことが行われていたが、団十郎とか歌右衛門という名前は、それを名乗る人が何回入れ代わっても、一貫してある一定の価値を示している。ちょうど伊勢神宮が、何回建て直されてもつねに伊勢神宮であるのと同じである。(p38より)

積みすぎた方舟

 

熊谷晋一郎さんの著書を読むのは『リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)』以来。外出先で読んでいたのに、思わずうるっときてしまった。

未踏の社会に対して、失敗しつつも一歩を踏み出しつづけられるのは、どこかで社会のこと、他人のことを信頼している子供です。その、いわば根拠なき他人への信頼は、おそらく親との関係によって育まれる部分が大きいように思います。困ったときに誰か助けてくれるはずだと信じ、助けを求められるようになるには、困ったときに、下手でもいいから誠意をもって応じてくれた親との関係の記憶が、何よりの財産になるでしょう。そしてまた、自分を育てるにあたって、困った親が社会にヘルプを出したということ、そして、社会が親を救ってくれたということを、子は見ています。小さい子にとって、自分と親の境界線はあいまいで、親が社会によって助けられる姿は、自分が社会によって助けられる姿と不分離なものです。子が社会を信頼できるようになるという意味でも、育児を抱え込まず社会にヘルプを出す姿を子に見せることは大変重要だと思います。

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」』 熊谷晋一郎 大澤真幸 上野千鶴子 鷲田清一 信田さよ子 青土社 2013 p108より抜粋

人が社会(他者)に抱く印象は、その人と養育者との関係とパラレルだと、うっすらと感じていた。養育者への不信感は、そのまま社会(他者)への不信感だ。だから、まず、我がこととして刺さったというのもある。でもそれ以上に切実なのが、今の不寛容な社会が、想像以上のダメージを次世代に与えるかもしれないという危機感。

今、子育てをしている親たちは、不寛容な社会の中で、多かれ少なかれ萎縮していると思う。社会の側から「助けるよ」というメッセージを明確に示さない限り、「ヘルプを出す」ことすら難しいのではないかと思う。親たちを救えるように、また、親たちが躊躇なく救いを求められるように、社会を整えることが急務だと思う。

時間と空間の抹殺

 

〈パノラマ的視覚〉の一語に勢いづいて、ヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行の歴史 〈新装版〉: 19世紀における空間と時間の工業化』を繙いた。

のっけからすごい表現だなぁと思ったのが、この「時間と空間の抹殺」という表現。そのくらい、当時の人々にとって鉄道のもたらした速度は脅威だったのだろう。

 時間と空間の抹殺、これが鉄道の働きを言い表す十九世期初期の共通表現(トポス)であった。この観念は、新しい交通手段が獲得した速度に由来している。所与の空間的隔たりを踏破するためには、伝統的にはある決まった旅行の時間または輸送の時間が必要であったが、この距離が、突然その時間の何分の一かで踏破されることとなり、これを裏返せば、同じ時間で昔の空間的な隔たりの何倍かが進められることになった。

鉄道旅行の歴史 〈新装版〉: 19世紀における空間と時間の工業化』(ヴォルフガング・シヴェルブシュ著 加藤二郎訳 法政大学出版局 1982) pp.49から抜粋

(前略)抹殺されたものとして体験されるのは、伝統的な空間及び時間の連続性である。この連続性は、自然と有機的に結びついていた昔の交通技術の特徴である。昔の交通技術は、旅をして通過する空間と模倣的関係にあったので、旅行者には、この空間を生き生きとした統一体として知覚させたのである。(後略)

鉄道が空間と時間とを抹殺するという考えは、交通技術が突然に全く新たな他の交通技術によって代替されたときに見出される、知覚のこのような現実喪失と理解することができよう。鉄道が作り出す時間・空間の関係は、技術以前の時代のその関係にくらべると、抽象的なものに見え、時間・空間感覚を阻害するものと写る。(後略)

同書 p53より抜粋

高速移動があたりまえの時代に生きる者としては、「抹殺」とまで言う衝撃は想像しにくいけれど(正直、大げさだなと思うし)、翻って考えると、鉄道以前の旅では、それだけ濃密な関係が、人と空間の間にあったということなのだろう。

このことで少し思いあたることがある。
写真を撮るようになってから、歩くことで、その土地への親近感が増すのに気がついた。ひと月に満たない滞在でも、歩いた土地には愛着が湧く。徒歩の次が自転車。逆に、バスで観光地を巡るパッケージツアーでは、そのような親近感は抱き難い。
「歩くと、土地との関係が近くなる」というのが、近年のわたしの発見で、鉄道の登場以前に馬車や徒歩で移動していた時代には、むしろその感覚のほうがデフォルトだったのかもしれない。

十九世期初期の人々に抹殺とまで言わしめた、鉄道の速度がもたらした「時間・空間感覚の阻害」は、朝夕通勤電車にゆられ、ときに新幹線で移動するわたしたちに、もはや何の違和感ももたらさない。テクノロジーによって、ひとびとの知覚のありようが変わるということは、今後もっと顕著に起こるだろう。
シンギュラリティーに戦々恐々としているわたしたちの有様は、22世紀からまなざせば、なんと大げさな、と、とらえられるのかもしれない。

動くものを見る

 

昔、教習所で「動くものに視線をとられるから、フロントガラスに揺れるものをぶら下げないように」と言われたことを思い出したのは、降雪の中で撮影をしていたとき。ピントをあわせるために被写体を凝視しても、雪のチラつきにずいぶん注意を奪われることに気がついた。

それから、人は動くものに、(本人たちが思っているよりもずっと強く)注意がそがれてしまうのではないか、と考えるようになった。逆に言えば、写真の「静止していること」がもたらす効果は、想像以上に大きいのではないか、と。

静止しているからこそ、つぶさに観察ができる。
誰もが知っている、ごくあたりまえのことだけれど、これは案外、重要なことではないだろうか。

先日、ふと手に取った本にいくつか視覚に関する興味深い記述を見つけた。

適切な条件下で、ある映像を左目に、別の映像を右目に同時に見せられると、その両方を何らかの重なり合った形で見ることはなく、一方の映像だけが知覚される。そして、しばらくするともう一方の映像が見え、その後再び最初の映像が見えるというように、二つの映像が際限なく切り替わる。

 しかしコッホのグループは、片方の目に変化する映像を、もう片方の目に静止した映像を見せられると、変化する映像のほうだけが見え、静止した映像はけっして見えないことを発見した。つまり、右目に、卓球をしている2匹のサルのビデオを、左目に100ドル札の写真を見せられると、左目はその写真のデータを記録して脳に伝えているにもかかわらず、本人はその写真に気づかない。

(『しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ著 水谷淳訳 2013 ダイヤモンド社 p56より抜粋)

このあと、変化する映像が優先的に意識にのぼり、変化しない映像は無意識の領域で処理されるという話につながっていくが、無意識の話はさておき、変化する(動く)映像のほうしか意識にのぼらないというのはすごいな、と思う。

それほどまでに、視覚のなかで「動き」が優先して処理されるとは思っていなかったから、ただただ驚いた。

認知と文化

 

先の『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』(ダニエル・L・エヴェレット著 屋代通子訳 みすず書房 2012)から、認知と文化に関する記述で気になったところを書き留めておく。

“写真を読み取るという一見ごく誰でもできそうなことの背景にも、文化が色濃く関わっている”

アナコンダを流木と見誤ったこの経験から、わたしは心理学者がとうの昔に知っていた事実を教わった。認知とは学習されるものなのだ。わたしたちは世界をふたつの観点から見聞きし、感じ取る。理論家としての視点と宇宙の住人としての視点と。それもわたしたちの経験と予測に照らし合せて見ているのであって、実際にあるがままの姿で世界を見てとることはほとんど、いやまったくと言っていいほどないのである。
(p.314から抜粋)

わたしのような都会人は、道を歩く時には車や自転車、ほかの歩行者には注意を払うが、爬虫類を警戒はしない。ジャングルの道を歩くときに何に気をつければいいのか、わたしにはわからない。この夜のことも、認知と文化に関する教訓であったわけだが、とはいえそのときにはそれをはっきり意識していたわけではなかった。わたしたちは誰しも、自分たちの育った文化が教えたやり方で世界を見る。けれどももし、文化に引きずられてわたしたちの視野が制限されるとするなら、その視野が役に立たない環境においては、文化が世界の見方をゆがめ、わたしたちを不利な状況に追いやることになる。
(pp.345-346から抜粋)

都市の文化的社会ではジャングル暮らしの秘訣が身につかないように、ピダハンのジャングルを基盤とした文化では都会生活への備えがうまく身につかない。西洋文明育ちなら子どもでもわかるようなことが、ピダハンにはわからない場合もある。たとえば、ピダハンは絵や写真といった二次元のものが解読できない。写真を渡されると横向きにしたりさかさまにしたりして、ここにはいったい何が見えるはずなのかとわたしに尋ねてきたりする。近年彼らも写真を目にする機会が増えてきたので、だいぶ慣れてはきたが、それでも二次元描写を読み解くのは、彼らには難儀なようだ。(後略)

写真を読み取るという一見ごく誰でもできそうなことの背景にも、文化が色濃く関わっていることが、ここからもわかる。
(pp.347-348から抜粋)

エクソセントリック・オリエンテーション

 

先のピダハンの続き。方向の認識のくだりが印象的だったので、少し長いけれど抜き出してみる。

 その日の狩りの間、方向の指示は川(上流、下流、川に向かって)かジャングル(ジャングルのなかへ)を基点に出されることに気がついた。ピダハンには川がどこにあるかわかっている(わたしにはどちらがどちらかまったくわからなかった)。方向を知ろうとするとき、彼らは全員、わたしたちがやるように右手、左手など自分の体を使うのではなく、地形を用いるようだ。

わたしにはこれが理解できなかった。「右手」「左手」にあたる単語はどうしても見つけることができなかったが、ただ、ピダハンが方向を知るのに川を使うことがわかってはじめて、街へ出かけたとき彼らが最初に「川はどこだ?」と尋ねる理由がわかった。世界のなかでの自分の位置関係を知りたがっていたわけだ!

(中略)いくつもの文化や言語を比較した結果、レヴィンソンのチームは局地的な方向を示す方法として大きく分けてふたつのやり方があることを見出していた。多くはアメリカやヨーロッパの文化と同様、右、左のように体との関係で相対的に方向性を求める。これはエンドセントリック・オリエンテーションと呼ばれることがある。もう一方はピダハンと同様、体とは別の指標をもとに方向を決める。こういうやり方をエクソセントリック・オリエンテーションと呼ぶ者もいる。
(『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット著 屋代通子訳 みすず書房 2012 pp.301-302から抜粋)

最初はこの方向の認識を、ふしぎに感じたけれど、よくよく考えると、わたしたちもけっしてエンドセントリック・オリエンテーションだけで生活しているわけではない。

友人が京都に来たときに「西宮や神戸での生活が長いと、どうしても山があるほうを北だと思ってしまう。だから京都に来ると山に囲まれているから、うっかり東山のほうを北だと勘違いしてしまう」と言っていたのを思い出す。地元、神戸の百貨店では店内の方向を示すのに「山側」「海側」という表示が採用されている。

友人の話を聞いたときは、「ふーん、そうなんだ…」と、まったくひとごとのように聞いていたけれど、札幌で撮影をしたときに、南に山があるせいで方向感覚がからっきし狂ってしまって驚いた。「山=北」の認識は相当根深いようだ。「北」と言葉で認識するというよりは、山を背にして左手から日が昇るものだと思っている、というほうが正確かもしれない。

3週間強の札幌滞在の最後まで、山を背にして右から日が昇ることに馴染めなかった。「なんでこっちに太陽があるの?」と違和感を感じては「そうか、山は南にあるんだ」と思い直す。毎日ずっと、それを繰り返していた。

ピダハン

 

ずっと読みたいと思っていた『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』(ダニエル・L・エヴェレット著 屋代通子訳 みすず書房 2012)。

ピダハンには「こんにちは」「ご機嫌いかが」「さようなら」「すみません」「どういたしまして」「ありがとう」といった交感的言語使用が見られない(感謝や謝意、後悔の気持ちは言葉ではなく行動で示す)。彼らは色の名を持たず、数を持たず、左右の概念を持たない。また、彼らは精霊を見ることができ、夢と日常をほぼ同じ領域のもの、同じように体験され、目撃されるものととらえている。絵や写真といった二次元のものを解読できないが、暗闇の中で30m先に佇むカイマン(ワニ)の存在を感知することができる。

伝道のためにその地に赴いた著者が、最終的には無神論者になってしまう結末は小気味いい。”ピダハンは類を見ないほど幸せで充足した人々だ”と著者に言わしめるほど幸せに見え、そもそも迷える子羊ではなかったのだ。

どれも興味深いのだけれど、その中でもいちばん興味深いのは、ピダハンの文化では体験の直接性が重んじられること。

ピダハンは食料を保存しない。その日より先の計画は立てない。遠い将来や昔のことは話さない。どれも「いま」に着目し、直接的な体験に集中しているからではないか。(p.187から抜粋)

ピダハンの言語と文化は、直接的な体験ではないことを話してはならないという文化の制約を受けているのだ。(p.187から抜粋)

叙述的ピダハン言語の発話には、発話の時点に直結し、発話者自身、ないし発話者と同時期に生存していた第三者によって直に体験された事柄に関する断言のみが含まれる。(pp.187-188より抜粋)

そして、色名や数を持たない理由が、この文化的制約に結びつく。

ここに挙げられたピダハンの表現をできるだけ逐語的に訳すと、「血は汚い」が黒、「それは見える」または「それは透ける」が白、「それは血」が赤、そして「いまのところ未熟」が緑だ。

 色名は少なくともひとつの点で数と共通項がある。数は、数字としての一般的な性質が共通するものをひとまとめに分類して一般化するものであって、特定の物質だけに見られる、限定的な性質によって区分けするわけではない。同様に色を表す表現も、心理学や言語学、哲学の世界で縷々研究されてきたように、多くの形容詞とは異なり、可視光線のスペクトルに人工的な境界線を引くという特異な一般化の役割をもっている。

 単純な色名がないとはいえ、ピダハンが色を見分けられないとか、色を表現できないというわけではない。ピダハンもわたしたちと同じように身のまわりの色を見ている。だが彼らは、感知した色を色彩感覚の一般化にしか用いることができない融通の利かない単語によってコード化することをしない。その代わりに句を使う。(pp.169-170から抜粋)

直接体験したことを話すのに、すでに一般化された単語では用をなさないということか。思わず太字にしてしまったこのくだりが、ものすごく刺さった。

 

テレビで、「手で洗うのは効率は悪いけれど、固さやハリで、ネギの甘みや出来がわかる」と農家の方がネギを洗いながら話している場面があった。

おもしろいなぁと思う。

ふだん洗いものをするとき、洗い残しがないか最後指でなぞって確認するように、意識していなくても、目で確認しきれないものを指先の感覚がとらえることを、わたしたちは知っている。手の繊細さは、なにも特殊な技能習得者だけのものではない。

指先を切ってパックリ傷口があいたとき、その感覚がまったく狂って困ったことがある。こんな小さな傷で、こんなに困るのか!と驚いたことを思い出す。

わたしたちは生活の中で、うまいこと感覚を使い分けている。
そして、案外、多くの場面でその感覚に頼っている。

フレームの解体

 

同僚が買ったばかりのおもちゃを嬉しそうに見せびらかしていた。
RICOH Theta

テレビショッピングさながらに機能を披露していたが、そのなかでもおもしろかったのが、360度の動画。動画なのに、視界を自分の好みの方向にかえられる。それもYouTubeにアップされた360度動画を、PCやスマホで見ることができる手軽さがすばらしい。

今まで、静止画の360度をおもしろいとは思ったことがなかったけれど、なぜかこれが動画になるとおもしろい。ストーリー性の強い動画、例えば事件の起こっている場面で、全然関係のない方を向くこともできる。フレームが解体された動画だ。

もしフレームがないと成立しないのであれば、逆に、どれだけフレームに依存していたかということがあぶりだされる。暗黙のうちに了解されていた映像の文法が無効になることで、逆に、どういう文法を使っていたのかということが明らかになるかもしれない。

もうひとつおもしろかったのが、スマホで見る場合、画面を操作するのではなく、スマホ本体を右に向けたり左に向けたりすると、360度動画の視界も右や左に移動する。マウスやタッチパネルで操作するよりも、スマホをリアルに動かすほうが、映像が連動する感動が大きいのと、リアリティを感じる。スマホが異空間に向けて穿たれた穴のようにすら思えてくる。操作が日常行為に近ければ近いほど、映像とリンクしたときのリアリティが強いのかもしれない。

息をあわせる

 

こころが少し疲れてしまった人と話をするとき、自分の呼吸を相手の呼吸とあわせるようにすると、相手も話しやすく、そして自分も相手の心理状態が少しわかるのだ、と教えてくれたのは中学校の養護教諭をしている友人。

その友人が顧問をつとめる大所帯のマンドリン部で、指揮者なしで数十名がタイミングをあわせて音を出すには、文字通り息を、呼吸をあわせるのが重要だという。

そんなことをふと思い出したのは、安田登さんの『日本人の身体 (ちくま新書)』にこんなくだりがあったから。

 エスキモーには、鯨を獲るクジラ・エスキモーとトナカイ(カリブー)を狩るカリブー・エスキモーがいます。クジラ・エスキモーの人たちは音痴ではありません。同じエスキモーでも音痴なのはカリブーを狩る人たちだけです。
 彼らも歌を歌いますが、二人で歌っても、音程や拍子を合わせることをしません。それに対してクジラ・エスキモーの人たちは、非常にリズム感がいい。同じエスキモーなのに、なぜこう違うのか。
 それはクジラを獲るためにはリズム感が必要だからです。
 クジラを獲るチャンスが年に二回しかありません。非常に少ない。しかもクジラが息を吸うために氷の割れ目に現れた、その瞬間しかありません。そのときに、みんなで息を合わせて一斉に攻撃する、それができなければ獲ることができません。
 一本や二本の銛が刺さってもクジラはびくともしません。みなの銛が一斉に刺さってはじめて捕獲することができるのです。「せーの」で一斉に銛を投げる、そのためにはリズム感が必要です。
 このようにクジラのような大型の獲物を捕獲するときには、みんなで息を合わせることが必要になります。ですから、クジラ・エスキモーの人たちは音痴ではなくなるのです。それに対してカリブー(トナカイ)はひとりで捕獲できるので、他人と息を合わせる必要がない。音痴でも全然かまわないのです。

(『日本人の身体 (ちくま新書)』安田登 ちくま新書 2014 p215-216から抜粋)

実は、かなり戸惑っている。

 

たとえば、部屋に差し込む光がいいなぁと思って、カメラを構える。

ピントをあわせようとすると、カメラが自動的に拡大して見せてくれるから、数メートル先のカーテンの織のパターンまでしっかり把握できる。

確かにピントはものすごくシビアにあわせられるんやけど、最初に撮ろうとカメラを構えた欲望が何だったのかを忘れてしまうくらい、突如違う視覚にすり替えられる。

カメラを構えたつもりが、顕微鏡やったんか!と思うくらいの、不思議な経験。

ひとは慣れた道具を使うとき、自分の身体感覚を道具と一体化させたり拡張させたりする(※)、というけれど、わたしはこの機械と、どこまで身体感覚を一体化させられるのだろうか。

実は、かなり戸惑っている。

※『〈身〉の構造―身体論を超えて』

「みる」と「きく」

 

安田登さんの『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』に興味深い文章をみつけた。

「閉じることができる」という、行為に対する負の方向の可能性こそが、その器官の主体性を担保している、というところが、すごくおもしろい。

 顔には、目と口と鼻と耳の四種類の穴があります。このうち目と口には「みる」という動詞が使われます。味を「みる」といいますよね。そして、耳と鼻は「きく」。香りは、中国(漢文)でも、かなり古い文献から「聞く」という動詞を使っています。

 「みる」と「きく」の違いは何かというと、「みる」器官(目と口)は自分の意思で閉じることができるのに対し、「きく」器官(耳と鼻)は自分の意思では閉じられないというところにあります。「みる」器官には閉じたり開いたりする筋肉があるけれども、「きく」器官の筋肉は退化しているか、かなり弱くなってしまっています。耳と鼻も手や道具の助けを借りれば閉じることはできますが、しかし完全に外とのつながりを断つことはできません。耳栓をしても外の音は聞こえてきますし、強烈な匂いがするところでは、鼻を塞いでも匂いを遮断することはできません。

 ところが、「みる」器官である目や口は、自分の意思でいつでも、しかも完全に外とのつながりを断つことができます。見たくないものは目を閉じれば絶対に見えないし、食べたくないものは口を閉じれば食べなくて済みます。

 ロロ・メイは、五感を「主体的(subjective)」と「客体的(objective)」の二つに分けます。そのうち「みる」器官は「主体的(subjective)」であり、「きく」器官は「客体的(objective)」であるというのです。

(『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』安田登著 ミシマ社 2014 p47より抜粋)

追いつかない

 

先日潜入した、東洋医学の養生のクラスで、先生が興味深いことをおっしゃられていた。

春は上半身、とりわけ頭に血が昇りやすく、
前のめりに、あれもやりたいこれもやりたいというきもちになって、
下半身が追いつかないのだそう。

さらにPCやネットがそれを助長していて、
PCだと、頭で考えたことをクリックひとつで実現できてしまう。
けれど、現実ではわたしたちには身体があって、
クリックひとつで何かを実現させられるようには、身体は動いてくれない。

これはPCでの制作作業を生業としている身としては、とても興味深い話で、
素材との格闘のないPCでの制作、
とくに最終成果物がモノとして存在しないWEBデザインに関わっているときは、
集中すればするほど、モノと対峙する時間が切実にほしくなって、
調理をする時間を生活の中につくってバランスを保っていたように思う。

春という時期に限らず、職種的な視点でも、
頭だけがどんどん先にいってしまって、身体が追いつかない、
ということに対しては、よくよく気をつけようと思う。

ちなみに、養生の観点からは、
スクワットとか、腹式呼吸、足首をまわす、など、
上にのぼったものを、下におろしてくるのが良いそうです。

観想

 

先日読んだ『チベットのモーツァルト』の中の身体技法に関する部分から、視覚と世界認識に関わるところを抜き出しておこう。

 観想は映像的な想像力の訓練にかかわっており、視覚がたえまなく外の世界を構成しつづける対象化の意識作用に変容をもたらそうとしている。観想の訓練をおこなおうとするには、生き生きとした視覚的なヴィジョンにみちた像を、自分の前方ないし頭上の空間にありありと想起させ、また自分の身体そのものまで神々の純粋なイメージに変容させていかなければならないタントラ仏教は訓練のあらゆる場面で、この技法をフルに活用しているのである。
 太陽や月や星あるいはロウソクの炎などを凝視する訓練も、それにおとらず重要な技法だ。それは意識を一定の対象に集中することによって、意識の内部でたえまなく立ち騒ぐ認識作用を静止にむかわせる。それはまた、外界の対象世界を静止像として固定するためにめまぐるしく動き回っている眼球の運動まで停止させていこうとするから、視覚による世界の構成作用にいちじるしい変化がもたらされるのだ。
(『チベットのモーツァルト』中沢新一著 講談社 2003 p148-149より抜粋)

もういっちょ。

 「風の瞑想歩行」の訓練は、わたしたちをただちにタントラ仏教の身体論や意識論の心臓部にいざなっていく。それは、この歩行訓練が、「風の究竟次第」とか「管と風」などと呼ばれる密教身体論(それは同時に意識の本性をめぐる教えなのである)の核心にふれる重要なテーマを学んでいくのに必要な準備段階をなしているからである。
 この瞑想歩行は、身体をめぐる意識に確実な変容をもたらす。この訓練は「内部の対話」を止めていく。間-主観的なディスクールが構成するリアリティの喚起力を静止に向かわせようとするのである。そのために「からだの重さをまったく感じなくなった」歩行訓練中の行者には、自分の身体とそれをとりまく世界とがまったく異なるように体験されるようになる。眼球が外にとらえている世界には、対象志向性をもった意識が構成する現実につきものの「人間味」のようなものが消えている。周囲の光景は「まるで夢の中に出てくるように」どこか超然としているし、それを見ている意識主体も奇妙な宙吊りの状態にある。しかも夢のなかとちがって、日常の客観的現実につつまれた身体感覚を失いながらも、身体はそれとは別種の直感的な意識の流れにしたがって、正確な実際行動をおこしているのである。
 この歩行訓練は、身体が対象化のできるたんなる客観的リアリティではなく、そこを貫いていくいくつもの層に折りたたまれた意識の流れが構成する、これまた多層的なリアリティにほかならないことを体得させるために、絶妙の効果を発揮する。ことによると、身体が稠密な物質でできているという考えはまちがっているのかもしれない。それはこちたき幻影の皮膜として身体の本性をおおいかくし、もともとそこにあってそこを貫いている「風」のように軽やかな運動体を見えなくさせているだけなのかも知れない。(中略)
 「風の究竟次第」の身体技法は、日常的意識がたえまなく「内部の対話」をつづけながらかたちづくっている稠密な表層的身体(表層的と言っているのは、それがのちに言語シンタックスに展開していくような二元論化する構造潜勢力のつくりあげる現象学的身体であるからだ)の脱ー客体化ということを、おしすすめる。そして同じ場所に、微細な差異の感覚をともないつつ運動し、流動していく無数の力線を見出し、そのダイナミックな現実領域に手違いなく踏み込んでいくためのテクノロジーをあたえていこうとしているのである。
(同書 p155-157より抜粋)

密教修行の記述が続くので、これだけ読んだ方は、「そめちゃんは一体どこに向かっとるんやー」と、少し戸惑うかもしれない。けれど、世界のとらえかたを変えるための方法のひとつのバリエーション、あるいは、現状の世界認識のありかたを対象化するために、まったく違うフィールドの知の体系に対して自分をひらくておくというのは必要なことだと思う。

話を写真に戻すと、先日、写真家とのやりとりの中で、「なんで自分がそれを撮ったのか自分でもわからない写真があって、それがおもしろい」という話がでていたことを思い出した。
撮った自分ですらわからないものに、そのときの自分が反応していた、という事実はとても興味深い。なにかを感じシャッターを押すにいたった経緯を言葉として整理できないまま、それでもなお、なにがしか「気にかかる」感触だけを残している。このことは、もしかしたら、ここで抜粋した「対象志向性をもった意識」からするっと抜け落ちたなにかを身体がひろった…とは考えられないだろうか。

身体技法というアプローチ

 

チベットのモーツァルト』読了。
最近、かなり読書のペースが落ちているにもかかわらず、自分にとって必要な本にはうまく出会うものだなあと思う。

いきなり呪術とか聞きなれないことばが出てくるので面食らうかもしれないけれど、大事なことが書かれているので抜き出してみよう。

 カスタネダによればこの老呪術師は人類学者にむかってつねづね、呪術というもののもっとも大きな課題は「世界についての考えを変える」ことにつきるとまで語っている。彼は「世界」のリアリティというものが、人々がおたがいに会話を交換しあう間-主観的な過程をつうじて構成されると考える現象学者と、とても似た考え方をもっていた。つまりドン・ファンによれば、わたしたちは子供の頃から「他人が世界とはこうこうこういうものだ」と話すのを聞いて育ったおかげで、一定の形式をそなえた世界についての考え方とか感覚を獲得してきたのである。言いかえれば、他者のディスクールを中継点にしながら、世界のとらえ方をかたちづくってきたわけである。しかもわたしたちはこうして意識の内にとりこまれた他者のディスクールとのたえまのない「内部の対話」をくりかえし、そのディスクールの秩序にしたがって「現実」なるものを不断に構成しつづけている。だから「世界がかくかくでありしかじかであるというのは、ひとえにわしらが自分にせかいはかくかくでありしかじかであると言いきかせているから」なのであって、多様なレヴェルでたえまなく流れつづけている「内部の対話こそがわしらを縛りつけているもの」にほかならない、とドン・ファンは言いきるのである。

 だがその言いきりに関して、このインディアンの呪術師のほうが、同じことを主張するヨーロッパの現象学者よりもずっと自信にみち、さらにその先にある地点にまで踏みこんでいこうとする確かな手ごたえさえ感じられるのは、呪術師には現象学的認識を越えでていくのを可能にする確実な身体技法の伝統があるからだ。(中略)

 じつを言えば、チベット仏教の「風の行者」たちの場合も、それと同じなのだ。彼らもただたんに超能力なんてものを身につけるために、こんな訓練をしているのじゃない。そこからよけいな仏教的外皮をさっぱりぬぐい去ってみれば、早い話が「風の行者」のめざしていることも「世界についての考えを変える」ことにほかならないからである。チベットの密教行者たちも、「現実」が多層的な構成をもち、またその「現実」の表層部分の構成にたいしてディスクールの秩序が決定的な重要性をもっているという現象学的思考を前提にしている。しかも彼らはさらに、幻覚性植物ならぬ精巧をきわめた瞑想の身体技法を駆使して「内部の対話」を止め、たえまなく流れつづけている「世界」の構成作用を停止して、ダイナミックな流動性・運動性にみちた別種の「現実」のなかに踏みこんでいこうとしている。
(『チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)』 中沢新一 講談社 2003 p153-154から抜粋)

そんな大それたことばを使って考えたことはなかったけれど、自分が写真表現に携わるうえでやりたいと思っていることは「世界に対する認識をかえる」ことだと思っている。ガラッとではなくても、認識を少しズラすくらいのことでもできれば、現在あたりまえとされているものの見方(世界に対する考え方)を、多少は対象化できるのではないか、と思っていた。そして、日常の生活世界のかすかな破綻、亀裂のようなものを探すような方法を探ってきたと思う。

わたしは神秘主義者ではないし、西洋式のものの考え方にどっぷり身を浸しているほうだとは思うけれど、身体技法の獲得という方向からアプローチする、という方法は一考の価値ありだと思う。
というのも、ヨガの実践を通じて、ほんの少しの予備動作や運動イメージの持ち方によって、身体の可動範囲が広がったり、難しいバランスがとれたり、まさか自分がこんなことができるとは思わなかったことが、わりとあっさりできてしまうという体験をして、実はわたしたちは身体のごく限られた能力しか使っていないのではないか。逆に言えば、正しく修練すれば、違った身体のありかた、精神のありかた、ものの感じ方、にたどりつけるのではないか、と思うようになっていたからだ。

実際、いまのやりかたに行き詰まりを感じているし、方法を変えてみるというのは、安直な気がしないでもないけれど、もし修練のすえに違った世界認識や、世界の見えが得られるのであれば見てみたいと思うのは、視覚表現に携わる者として、まっとうな願いなのではないかとも思う。

近い—遠い

 

リハビリの夜 (シリーズケアをひらく)』(熊谷晋一郎 医学書院 2009)を読む。

少し気になる文章があったので抜き出しておこう。

 車いすに乗ったときに見える三次元の世界は、床に寝そべっていたころに見た二次元の世界とは異なる。それはただ単に、視点の位置が高くなったということだけではなくて、時間の流れの感じ方や、空間の広がりの感じ方にも変容をきたすものだ。

 まず空間の〈近いー遠い〉という感覚について考えよう。

 現在の私には車いすから降りたとたんに、それまで近くにあったモノが、急に遠くへ離れていってしまうような感覚がある。おそらく世界にある対象物への〈近いー遠い〉という距離感覚は、「対象との協応構造にあいた隙間」によって大きく影響を受けているように思う。

 たとえば、協応構造の隙間が小さくてすぐにつながることのできる範囲、すなわち手を伸ばせば届く範囲が「近くの場所」で、息切れしない程度の移動でつながれるところは「少し離れた場所」、やっとの努力でつながれる場所は「遠くの場所」、努力してもつながれない場所は「向こう側」というふうに。

だから床の上に転倒した二次元の世界では、多くの人や、モノとのあいだに大きな隙間が生じるために、それらが遠くの場所や向こう側に存在しているように感じられる。二次元の私にとってモノたちや人々は、数十センチの至近距離にこない限り、私とは関わりのない遠くの存在なわけで、それは壁や天井と違いのない風景とも言える。

 このように、協応構造にあいた隙間の大小によって空間の感じ方は変容する。その関係を整理するならば、「身体外協応構造の隙間が大きいものは遠くに、小さいものは近くに配置する」ということになるだろう。そして、空間の中で隙間が最も小さいのが「身体」である。
(前掲書 p169-p170から抜粋)

写真にたずさわるうえで、へだたり、遠近、ということについて、無関心ではいられない。ここでは、協応構造という専門的な用語が使われているが、距離あるいはへだたりの感覚が、単なる計量的なものではなく、生身の身体を介する「かかわりのもてなさ」としてマッピングされていることを、あらためて思い起こさせられた。

 電動車いすに乗っているときの世界の感じ方は、乗っていないときとはまるで違う。さまざまな場所へ機敏に移動できるようになるだけで、外界との隙間が小さくなり、それまで自分には関わりのなかったモノや場所が、急に遠くから近くにやってきたような感じがして、空間の距離感覚も変わる。運動の変化量、ひいては世界の見え方の変化量が大きくなることで、時間の流れ方も早くなるような気がする。行動の選択肢が格段に増えることで、自己身体のイメージもより可能性を持ったものとして感じられるようになる。

 このように電動車いすは、身体を含めた世界のイメージをすっかり変えてしまうのである。
(前掲書 p171から抜粋)

ここでさらに変数が増える。運動の変化量、時間の感覚。

ここまではっきり認識したことはないけれど、体調の悪いとき、からだをかばいながら少し緩慢に動いて撮影しているときは、普段立ち止まらないようなものにぐっと引き寄せられることがある。いつもとは違うものに呼び止められるような感じ。それは、さっさと機敏に歩いているのでは気づかないようなこと。
あるいは、移動手段が歩くのと、自転車に乗るのとだけでも、撮影対象もそこで撮る写真もまったく違ってくる。それが車になり飛行機になると、まったく次元が違ってくる。そう。運動の変化量が上がるにつれて、遠いものを撮ることが多くなる。こういった経験から、運動の変化量と距離感覚とに関連があることは、少し想像がつく。

それに加えて時間の感覚。著者は電動車いすによる、加速する方向の変化について書いているけれど、わたしにとっては、スロウダウンのほうがよりリアルだ。これも、体調が悪く緩慢に動くときの、じっと床を這うような時間の感覚をよりどころにするしかないのだけれど。

さまざまな場所へ機敏に移動できるようになるだけで、外界との隙間が小さくなり、それまで自分には関わりのなかったモノや場所が、急に遠くから近くにやってきたような感じがして、空間の距離感覚も変わる。
このフレーズは、今の自分にとってすごく大事な気がする。

そして、電動車いすは、身体を含めた世界のイメージをすっかり変えてしまうという文章の「電動車いす」を、車や飛行機にかえてみてもいい。
飛行機と車で移動しながら撮影をする写真家の作品を思い起こす。彼の作品のバックボーンは、その運動の変化量の大きさ。動力を利用することで、ヒューマンスケール(生身の身体)のリミットをはずしてしまったところにあるのではないか、ということを考えていた。

身体を含めた世界のイメージをすっかりかえるという経験を、身体感覚を研ぎすます方向で見いだそうとしていたけれど、運動の変化量をかえる、ということで得られるのであれば、これを試さない手はないだろう。

これはまだまだ、もっともっと時間をかけて考えていきたい。

ほどかれ

 

リハビリの夜 (シリーズケアをひらく)』(熊谷晋一郎 医学書院 2009)を読む。

医学的な運動論かと思っていたら、官能を軸にして、運動や他者との関係性について語られていて、それがすごく新鮮だった。

規範からはぐれそうなときには体をこわばらせ、規範から解放されればほどける。そしてこのような、規範をめぐるこわばりとほどけの反復運動には、官能が伴う。

なるほど。たとえば文章であったり、ひとのありように色気を感じるとき、わたしはその対象のほどかれように官能を見いだしていたのだと、妙に納得した。
では、我が身は?となると、身構えているのが意識化されないくらい常態になっていて、ほどかれるというのはなかなか難しい。

そして、本書で何度も繰り返されるキーワードのひとつ《ほどきつつ、拾い合う関係》には、ものであれひとであれ、拾ってくれる他者が必要とされる。

下絵

 

 真っ暗な部屋に入ったときって、身体はガチガチになりますよね。本当はそういうときこそしなやかな身体であるべきなのに、真っ暗な部屋で、この先に何があるかわからないときに、人間は硬直してしまう。逆に、遠くまで見通せるときって、運動の自由度はすごく上がるでしょ。遠くまで見えると、肩の力を抜いて、すたすたと歩いていける。

 これから自分が進む道についてはっきりとした下絵があると、下絵とまったく違うことができるんですよ。下絵の縛りがあると自由になれる。逆に下絵がないと何にもできない。何が起こるかわからないから、いつもどぎまぎしていて、思いがけない、ほんのわずかな、砂粒のようなものに蹴つまずいて転んでしまう。

 ですから、「予祝」の「予祝」たるゆえんというのは、「予め」ということにあると思うんです。自分の身にこれから起こることに関してある種の予断を下してしまう。「私はこれからこうなる」と断定してしまう。これはすごく大事なことなんです。「『こうなる』と決めちゃうと、あとあと不自由になりませんか?」と訊かれることがありますけれど、そういうものじゃないんです。「私はこれからこうなる」と決めてしまうと、いくらでも変えられるのです。逆に「何が起きるかわからない」と思っていると、わけのわからないことが起きたときにコントロールできない。不思議なもので「決断」と「不決断」が同時に自分の中で行われている状態が一番生きる力が強くなっている。

(『現代人の祈り―呪いと祝い』 釈徹宗 内田樹 名越康文 サンガ 2010 p61-62から抜粋)

選択の自由やあそび(機械などの少しの隙間のほうのあそび)の余地をと思って、いろいろ判断を留保してきたけれど、実はそれは自分で思い込んでいたほど前向きなものではなくて、むしろ、臆病になっていたのかもしれない。しばらくフリーランスを続けていたことで、つい「この先に何が起きるかわからない」と思って、計画を立てるのを避ける癖がついていたのだと思う。

逆に下絵がないと何にもできない。何が起こるかわからないから、いつもどぎまぎしていて、思いがけない、ほんのわずかな、砂粒のようなものに蹴つまずいて転んでしまう。

これは、ぐさっときたなぁ。
確かにそうなのだ。ほんのわずかな、砂粒のようなものに蹴つまずいて転んでしまう

旅などで、なりゆきまかせが、本当になりゆきまかせになってしまうと、実はあまり実りがない(大枠を決めておいた方がうまくいく)ことが多いというのは経験済み。いろいろ留保しておくよりも、多少、不確定要素があっても、決められることはさっさと決めてしまったほうが自分もすっきりする…とつい最近、身をもって学んだところだ。

とりあえず、ひとつ決めよう。
2013年は必ずヨーロッパに撮影に行く。

そして少し時間をかけて、今後の生活の下絵を描こう。

またりんごだ…

 

先日読んだホックニーの本でセザンヌのりんごが出てきたけれど(「りんご」)、また全然違う文脈でセザンヌのりんごが登場していたので、メモしておこう。前者においては、単眼で見た世界と双眼で見た世界の違いの例としてとりあげられていたが、ここでは、見る行為に含まれる原初的な経験(なぞる-なめる)との関わりで紹介されている。両者で共通しているのは、視点は一点に固定されていない、ということ。

(前略)なぞるためには、まずはそれに触れなければならない。舌を押しつけるのであれ、歯茎で齧るのであれ、唇で挟むのであれ、はたまた舌先や唇、さらには指先で間を測りながら、そっとつついたり、さすっとり、撫でたりするのであれ。なぞるのは、まず輪郭である。物の外皮、物の表面をなぞりながら、ひとはその形状を、つまりはそのカーヴを、テクスチュア(肌理)を、そしてその硬軟を知る。カーヴやテクスチュアや硬軟は、口や手といった触れる器官で知る。けれども、物のそのカーヴは、物の全体的な輪郭の一部であるからには、視覚的にこそより完全にとらえられるもののようにおもわれる。メルロ=ポンティはその点について、描画といういとなみにふれてこう言う。

 林檎の輪郭を、続けて一気に描けば、この輪郭がひとつの物になるが、この場合、輪郭とは、観念上の限界であって、林檎の各面は、この限界を目指して、画面の奥の方へ遠ざかるのである。いかなる輪郭も示さなければ、対象から、その自同性を奪い去ることになるだろう。ただひとつの輪郭だけを示せば、奥行きを、つまり、われわれに、物を、われわれの前にひろげられたものとしてではなく、貯蔵物にあふれたものとして、汲み尽くしえぬ実在として示してくれるような次元を、犠牲にすることになるだろう。それゆえに、セザンヌは、色で抑揚をつけるに際して、対象のふくらみにしたがい、青い線で、いくつかの輪郭線を引くということになるわけだ。(M・メルロ=ポンティ「セザンヌの懐疑」粟津則雄訳)

 対象をあやすように、愛おしむようにしてその表面をなぞる手の運動、まるでその奇跡を視覚的にたどり、再現しているかのような、ひょろひょろとしたセザンヌの描画の線。セザンヌの描く林檎のひゅっひゅっと走るあの無数のかすり傷のような輪郭は、舌で舐め廻し、指でなぞる、そういうわたしたちの原初的な知覚の轍のようにみえないこともない。三木の表現をあらためて引けば、そうした「目玉による舐め回し」には、口による、そして手による対象の舐め廻しの記憶が蓄えられている。そうしたことがあるから、メルロ=ポンティは、「われわれは、対象の奥行きや、ビロードのような感触や、やわらかさや、固さなどを、見るのであり—それどころか、セザンヌに言わせれば、対象の匂いまでも見る」とまで言い切ったのである。これは、視覚から触覚、嗅覚まで、異なる感覚とされるものがその実、単独の感覚である以前にまずはたがいに交叉しあい、また深く侵蝕しあう、シネステジー(共感覚)の現象を言いかえたものであり、さらにそのことを敷衍して、別の著書では次のように書いている。「質・光・色彩・奥行といったものは、われわれの前に、そこにあるものではあるが、しかしわれわれの身体のうちに反響を喚び起こし、われわれの身体がそれを迎え入れるからこそ、そこにあるのだ。この内的等価物、つまり物が私のうちに引き起こすその現前の身体的方式、今度はそれが、これもまた目に見える見取り図を生ぜしめないわけがあろうか」(M・メルロ=ポンティ『眼と精神』滝浦静雄・木田元訳)、と。

(『「ぐずぐず」の理由』 鷲田清一著 角川選書 2011 p132-134より抜粋)

セザンヌに関する記述だけ抜き出したけれど、その前段には、以下のような文章がある。

 乳を吸う、味わうといういとなみに飽いてくると、つぎに赤子は口で外界の探索をはじめる。いやというほど物を舐め、しゃぶり、くわえ、齧る。人間のばあい、外界の物は、まずはしゃぶること、舌と唇と歯茎でなぞることで知られるのだ。

幼児たちは、やがてこの口の過程を卒業し、もはや内臓とは関係のない「手と目」の両者だけで満足するようになってくる。そこでは、この二種の触角による“撫で回し・舐め回し”の感覚・運動の共同作業が営まれるのであるが、そのうち、ここから“手を退き”、ついに目玉という、たった一つの触角でもってこと足りる世界が開かれて来ることになる。

 しかし、重要なことはその次にある。たしかにひとは、まずは口で、次に手で、そして眼で「舐め回す」ようになるのだが、「この最後に残った目玉による舐め回しの奥底には、かつてえんえんと続けられてきた本物の“舐め回し”の記憶が、そこではかけがえのない礎石となって、そうした視感覚をしっかり支え続けている」。

(同書 p131-132より抜粋)

これに関して、少し思いつくこと。

  • ある表面に対して垂直方向の運動、例えばぐっと対象に寄ってじっと(解像度を上げて詳しく)見るというような視覚の運動は、舐める、撫でる、との連携では説明しにくい。そういうのは、どうとらえるのだろうか。
  • 触覚の連携を示唆する視覚表現、あるいは触覚との連携で解釈される視覚表現を、最近目にする機会が多くなったように思う。これは制作者の関心が「絵画とはなにか?」や「写真とはなにか?」という問いから「見るとはなにか?」という、より根源的な問いに移行してきたからだろうか?

メッセージのコンテンツではなく送り方を聴いている

 

最近また‘身体’に関心が戻ってきて、パラパラと読んでいた本のなかに、少し苦いフレーズを見つけた。

(前略)詩として成立する言葉と成立しない言葉がある。その違いというのは直感的にしか言えないことなんだけれど、詩にならない言葉というのは「うるさい」と谷川さんは言うんです。「わたしが、わたしが」と言い立てる詩は、どんなに切実であっても、うるさい。たった三行でも、「わたしが、わたしが」と言いつのる詩はうるさい。逆に、言葉が、詩人の「わたし」から離れて、自立している言葉というのは、言葉自身が静かで、響きがよいということを言ってらした。

 今の若い人たちが、単一の「自分らしさ」をあらゆる場で押し出すというのは、谷川俊太郎的に言うと「うるさい」ということですね。そのうるささ、その不愉快さというのは「礼儀正しくない」とか「敬意がない」というようなレベルのことではなくて、「わたしが語る」ということそのものの不快さなんです。

(『身体(からだ)の言い分』内田樹 池上六朗著 毎日新聞社 2009 p24・25より抜粋)

後半の若いひとたちが…のくだりでイメージされているのは、キムタクが扮する若者役に代表されるような若者像だと、ほかの著書で読んだ記憶がある。たしかに、彼の役柄はいつもいつも鼻についた。だから話はよくわかる。それでも、不思議なことに、自分のことばかり話していても、それが鼻につくひとと、つかないひとがある。その違いはどういうことなんだろう。

 自分の目の前でしゃべっている人が、正直者か詐欺師かって必ずわかりますよね。わかるのは、結局、相手のメッセージを受信する時に「コンテンツ」を聴いているわけじゃない、ということです。何を聴いているのかというと、メッセージの「送り方」を聴いている。正直な人がまっすぐに語っている言葉は直接深く入ってくる。それは言葉の内容が理解できるできないとは別の次元の出来事なんですね。わからないけど、わかっちゃう。頭を使っているわけではないんです。もっとトータルな関わりですよね。

(同書 p83より抜粋)

メッセージのコンテンツではなく送り方を聴いている、というのは面白い。
なぜかこのひとの話は聞いてしまう、ということもあるし、
逆に、このひとの話すことばはまったく響いてこない、ということもある。

「わたし、わたし」というコンテンツでも、余裕なく切羽詰まった様子で話されるのと、本人自身が客観視できる程度に余裕を持って話されるのでは、受け手には違って聞こえてくるのかもしれない。大事なのはむしろメッセージの「送り方」のほうなのか。

きっと(芸術)作品においても、コンテンツだけでなく、作品の差し出し方まで、
観賞者にまるごと観られているのだろう。実際、視覚表現領域でもコンセプトを押しつけてくる作品は「うるさい」。

だから、ここらへんの話は、うかうか人ごととして読んでいられないのだ。

抜かなかった。

 

9月下旬、歯痛が激しくなって歯医者に行った。

まえに一度、歯医者ではいやな思いをしていたので、
少し慎重に選んだ町の歯医者さん。

同い年くらいの若い歯科医は、
状況を丁寧に聞き取りレントゲンをとる。

目立った原因が見当たらない。

初診で彼はそう言った。
そうして、とんぷくを処方され、しばらく様子を見ることに。

激しい歯痛のせいで肩や首のあたりがずっと力んでいて、
ついには頭痛まで併発していたので、
早く、早く、痛みをとりのぞいてもらいたかった。

でも、その歯科医は、慎重に時間をかけて様子を見る。
とんぷくで、多少、痛みは軽減されているものの、
集中力を欠いて仕事に身が入らない状態だった。

10日ほどかけて様子を見ているうちに、少しずつ原因が明らかになっていった。
すでに神経をとって銀をかぶせてある歯の根っこのほうにヒビが入っていて、
そこが化膿しているとのこと。

状況によっては、抜かないといけないけれど、
その前後の歯も綺麗だし、できるだけ残す方向で処置していきましょう。と。

2年前、同じように激痛に襲われて駆け込んだ歯科医院では、
原因も特定できないまま、あてもののように、つぎつぎと3本、神経を抜かれた。
「これだけ抜いてまだ痛いようなら、あなたは化け物ですよ」
そう言われて帰ったあと、まだ痛みが続いていたから、慌てて歯医者をかえた。

そのときの処置のことを、いまお世話になっている歯医者さんに話したら、
「神経をつぎつぎと抜くなんて、そんな処置は絶対にしたらいけない」と、
苦々しい顔でつぶやかれた。

2年前は、
次々と神経を抜いた歯に保険適用外のかぶせものを勧めてきた時点で、
その歯医者がヤバいことが決定的になったのだけれど、
同業者の意見を聞いて、やっぱりダメだったんだと納得する。

でも…と思う。

わたし自身、医者に行けばいとも簡単に、痛みをとってもらえる、
と思っていなかっただろうか?

正直なところ、今回の通院では、原因がはっきりわかるまでのあいだ、
なんで痛がってるのに、積極的に痛みをとる処置をしてくれないんだ?と
相当恨めしく思っていた。

自分の身体の不都合を、簡便に解消してもらえる。
そう期待したのは、ほかならぬわたし自身ではなかったろうか?

2年前に不適切な処置をした歯医者をずっと非難がましく思ってきたけれど、
慎重な処置よりも「いますぐ痛みをとってほしい」と、
まるでファストフード店やコンビニに期待するのと同種の期待をしたのは、
ほかならぬわたし自身ではなかったろうか?

今回、抜かない歯医者さんにめぐりあって、そう気づいた。

「一週間で3kgダウン」というような謳い文句のダイエットも然り。

コンビニエントに、自分の身体をどうにかできる、どうにかなる、
なんて、考えてはいけなかったんだ。

ことばはいつも後から

 

なんだかいやな感じ、だとか、なじめない感じ、だとか、
そういう齟齬としてとらえられた感覚が、
ずいぶんあとになって、他人や自分のことばに輪郭づけられることが多い。

ことばはいつも後から追いついてくる。

最近やっとそういうことがわかりかけてきた。

ことばで輪郭づけられるまでの、居心地の悪さのようなものは、
勘違い、くらいのことばで簡単に片付けられるものかもしれない。

でも、ことばにならなくても、そういうもやっとした感覚は、
もやっとしたまま大事にとっておいたほうがいいのだ。

0.01とか0.00023くらいの、
ともすれば、端数や誤差として削られて0にされちゃうくらいの微細なズレの感覚は、
ことばに出会って増幅され、確たる差異として認識されうるものかもしれないし、
簡単に切り捨ててしまってはならない。そういうことを考えた。

なんとなく気持ちがわるい、とか、
なんとなく居心地がわるい、とか、
なんとなくなじめない、とか、
そういう気分にはならないにこしたことはないけれど、
そういのをなかったことにし続けると、
知らないあいだに大きくなにかを損ねてしまう、気がする。

感じていることに気づかないふりをする、なんてことは、
絶対にしないほうがいい。

身体で感じることをあなどってはならないし、
ほかでもない自分が感じるところを、もっと信用してやろうよ、と、
なぜかそう、強く思った。

調子が悪いくらいがちょうどいい、

 

今年の春先からか。腸の調子がすこぶる悪い。
いまはやりの過敏性腸症候群だ。

週末はついに、胃までしんどくなって、早朝5時に胃痛で目覚める。
だめな一日…と思いながら、からだを引きずるようにして撮影に出かける。

本調子でない分、動きも緩慢になっていたのだけれど、かえって、世界の肌理を近くに感じた。

最近、忙しくしていたせいで、しっかりものを見るペースで生きてなかったのかもしれない。

ものをつくるのには、調子が悪いくらいがちょうどいい、というのは、たしか仲條正義さんの言。

絶好調で全速力、では見えないものもあるんだな。

マウスピース

 

なんてこった。

一日一本ずつ神経を抜いていたのですが、
今日ほぼ原因の歯を特定できました。

食いしばりの加圧によって、歯に縦にヒビが入り、
そこから水やお湯が入り込んで、神経を直に刺激していたようで。
歯の中で神経が炎症を起こしてはった。

原因は、かなりきつい食いしばりなので、
これ以上歯を痛めないように、マウスピースをつくることになりました。

正直、マウスピースなんて色気ないなぁ…とげんなりしているんだけど、
まるでアスリート!と、テンション上げて、渋々、型どり。

しかし、長年の生活態度や習慣が、
モロに身体に出てくる年になったということに、率直に驚いています。

なんせ今年は本厄やしね。

なんだかんだ、この数年、ずっと気を張ってたんかも。
うまく脱力する方法を身につけないと、ね。

ストレス耐性

 

が低いということは、重々承知していたが…。

先日から、歯の激痛に見舞われています。
歯みがきで激痛、熱かったり冷たかったりする食べ物でも激痛。

日に日にひどくなるので、歯科に行くと、
「あなたは食いしばりがひどいけれど、ストレスためてる?」
と訊かれた。

おおいに。

食いしばり(噛みしめ)がひどくて、歯が硬いひとは、
食いしばり(噛みしめ)の圧力で歯がしならずに、割れるんだと。
もしかしたら、犬歯に断裂が入っているかもしれない…と。

そして、いまはまだ初期段階だけれど、これが本格的に割れると、
いまの痛みどころじゃない、とのこと。

とりあえず経過観察で、麻酔と痛み止め。

昨日は頓服飲んで痛み抑えて、嵯峨芸の学生さんとご飯を食べたけれど、
もう今日は麻酔で口半開き。

ストレスが、こんなところに発現するなんて、きっついわ。
そこで登場したのが、歯医者さんにもらった食いしばり(歯ぎしり・噛みしめ)を改善するプリント。

たとえば、前準備。
「布団に入ったら何も考えないようにしてください。もし、どうしても考えることがあれば、もう一度、布団から出て考えてください。布団の中は眠るだけの所と決めて下さい。あるいは、朝目覚めてから布団の中で考える習慣をつけると良い考えがでてきます。」

と、この調子で延々、A4 2枚両面。

この季節、一旦入った布団から出るのは寒いし、
布団を「眠るだけの所」と決意するくらい几帳面なひとは、きっと食いしばっちゃうよ。
「あるいは、朝目覚めてから布団の中で考える習慣をつけると良い考えがでてきます。」
と言いきっているのも不自然だし…。

痛いのは深刻なんだけど、親切すぎるA4プリントはつっこみどころ満載。

歯医者さんの言う
「南の島に行くとか、温泉でゆっくりするとか」というのが、
いちばん良いんだろうけどね。

でも、いまこの苦境をどう打破するかだよ。
あ、また食いしばってる。

手のひら

 

きっと人酔いしただけだと思うのだけれど、とてもとても疲れて。
なぜか自分の手をあわせて「ああ、手のひらってやっぱりすごい…。」となかば夢うつつの状態で考えていたら、知らないあいだに眠っていた。

先日、NHKのプロフェッショナルという番組で専門看護士の北野愛子さんが、患者さんの手を握ることに対して、「手と手を触れ合わせることで、言葉でも表情でもないものが通じると思っている」というようなことを言っていた。

真偽のほどはわからないが、手をつないだほうが夫婦仲も良い、という話も聞く。

思い出したのは、いちばん不安だったとき、わたしはボーイフレンドの背中にやたら手のひらをくっつけていたこと。手のひらを相手のからだにくっつけるとびっくりするほど安心できること、そのころのわたしのちょっとした発見だった。

新年会の帰りみち、ひとりひとりの手を両手で握って別れの挨拶をする作家さんがいた。そのひとの両の手で自分の手が包まれたとき、じかに感情をさわられるような感覚にうろたえた。

根拠はないけれど、手のひらってやっぱりすごいんだと思う。
今度祖母に会うときは、そっとやさしく手を握ろう。