たとえば、部屋に差し込む光がいいなぁと思って、カメラを構える。
ピントをあわせようとすると、カメラが自動的に拡大して見せてくれるから、数メートル先のカーテンの織のパターンまでしっかり把握できる。
確かにピントはものすごくシビアにあわせられるんやけど、最初に撮ろうとカメラを構えた欲望が何だったのかを忘れてしまうくらい、突如違う視覚にすり替えられる。
カメラを構えたつもりが、顕微鏡やったんか!と思うくらいの、不思議な経験。
ひとは慣れた道具を使うとき、自分の身体感覚を道具と一体化させたり拡張させたりする(※)、というけれど、わたしはこの機械と、どこまで身体感覚を一体化させられるのだろうか。
実は、かなり戸惑っている。
※『〈身〉の構造―身体論を超えて』