ごく私的な経験を通じた写真論として読んでほしい。

12年前、わたしは妹を亡くした。
わたしはその喪失をうまく受け入れることができず、妹がいない現実を生きるために「妹が生きていた」ということのリアリティを失った。

わたしに妹はいたのだろうか?ほんとうに彼女は生きていたのだろうか?

遺影を見ても家族写真を見ても「妹が生きていた」ということが実感としてわからない。

そんな状態で数年が過ぎたあるとき、机まわりの片付けをしていて小さな紙片を見つけた。そこにはわたし宛の感謝のことばが妹らしい几帳面な字で短く綴られていた。その字を見てはじめて「あぁ、妹は生きていたんだ」と腹に落ちた。

「妹が生きていた」という実感をわたしにもたらしたのは手書きの文字だった。

以前、読んだ『半透明の美学』という本に戦地に赴く恋人の影をなぞったのが絵画の起源(プリニウス)という話があり、なぜ絵画ではなく影うつしでなければならなかったのか?というところで立ち止まったことがある。

その話は「コピーのコピーのそのまたコピー」に記しているが、誰かの存在を身近に感じようとしたとき、その代わりとなるものは相手の存在から直接得られるものでなければならないという気づきであった。

わたしの場合、それは手書きの文字であり写真ではダメだった。