フレーミングについて前から考えていたこと。
画面の中の何らかを際立たせるために、撮影者は画面からさまざまなものを排除する。
物理的なフレーミングと抽象的なフレーミングで。
なるべくフレームを意識させないような体裁を採用し、
できるだけ排除しない、という見せかけをしているにもかかわらず、
そこにフレーミングは存在している。
自分は何を排除しているのか。
物理的な矩形によるフレーミング
徹底的に排除するのは、此岸の情報。
対岸にフォーカスするためには、撮影者の置かれている状況を示すものは排除
撮影者と被写体との関係性を見えなくすることで、撮影者の存在をできるかぎり見えなくする。
ピント位置による奥行きの中でのフレーミング
ある奥行きにピントをあわせ、その奥行きにあるもの以外をぼかすことで、
ある奥行きにピークをつくる。わたしはこの方法はとってはいない。
撮影条件の選択による抽象的なフレーミング
くっきりとした画を得るために、悪天候は忌避。
逆光や、順光でも影が濃すぎる状況は忌避。
長時間露光による被写体のブレも極力避けている。
何が周到に排除されているのか、完成物を見せられた者が想像するのはほんとうに難しい。
おそろしいほど無防備に、画面の中の世界をありのままに信じてしまうきわどさ。
この夏、経験したばかりではないか。
写真のドキュメント性を手放さないのであれば、
自分が何をフレームアウトしているかを自覚しなければ。
今まであたりまえに選択してきたフレームをゆさぶることはできないだろうか。
それが今、興味を持っていること。