しかし油絵の伝統ほど、傑作と凡作の差が大きい文化はないだろう。この伝統においては、差は技術や想像力の問題ばかりではなく、絵に対する精神の姿勢の問題でもある。十七世紀以降、ますますその傾向が強いのだが、標準的な作品は多かれ少なかれ冷笑的に生みだされたものである。つまり、画家にとっては、依頼された作品を制作したり売ったりすることのほうが、その作品が表現している価値よりも意義があった。凡作は、画家が不器用だったり乱暴だったりした結果生まれたというより、市場の要求が芸術上の要求よりも強い結果として生まれてくるのだ。
(『イメージ Ways of Seeing―視覚とメディア』ジョン・バージャー著 伊藤俊治訳 PARCO出版局 1986年 より抜粋)
市場が活発であればあるほど売れ筋が顕著になる。それにのっかるほうを選ぶ作家が多かったということ。精神の姿勢の問題とは、なるほどそういうことか。
しかし、作品を「売ること」をどうとらえるかは難しい。
売れ筋を狙うようなあざとい作家はまわりにはいないけれど、まっとうな作家のなかでも意見は二つに分かれている。「売る」からこそ生まれる緊張感によって作品のクオリティがあがるという考え方と、売るのを意識することから自由になりたいという考え方。前者は無意識のうちに市場のニーズをとりこんでしまう危険性を、後者はいわゆる「趣味」のレベルに埋没してしまう危険性を孕んでいる。
どちらのリスクをとりながら制作するかはそれぞれの作家しだいだ。ただ単に、作品をつくっているのではなく、どう経済とかかわるかは、作家であれば誰しも考えるところなのだろう。
そういった制作活動の基本的なスタンスにはじまり、細かいことをひとつひとつ丁寧に繊細に選択していくことが、よりよい作品の生まれる土壌になるのかもしれない。