LISA SOMEDA

COVID-19 (3)

トレードオフ

 

コロナ禍の影響で、商業地では空きテナントが増え、そのガラスにシートや板があてがわれている光景が目立つようになった。いっぽう住宅地では、地方移住の需要を見込んだ旺盛な投資により集合住宅の建設ラッシュ。真新しいガラスがシートで覆われている光景をよく見かけるようになった。

ガラスに映る像を見ようとすると、木目やシートの皺といった支持体が介入する。
木目やシートそのものを見ようとすると、映り込む像に阻まれる。
拮抗やトレードオフといったことばが脳裏をよぎるが、トレードオフは今の社会状況をもっとも象徴することばだ、とも思う。

17世紀のパラダイムシフト

 

ついこのあいだ、不可視性について考えたことをまとめたあと、とてもおもしろい本に出会った。

フェルメールと天才科学者 17世紀オランダの「光と視覚」の革命

フェルメールとレーウェンフックの二人の生涯を軸に、望遠鏡と顕微鏡の発明によってもたらされたパラダイムシフト、当時の人々の世界認識がドラスティックに変わるさまが丹念に描かれている。

これまで遠すぎて見えなかったもの、小さすぎて見えなかったものが望遠鏡と顕微鏡の発明によって見えるようになったときにはじめて、人々は「自分たちの肉眼では見えない世界がある」ことを知り、受け容れなければならなかった。

わたしたちは何の疑問も抱かず、新型コロナウイルスは(肉眼では見えないけれど)存在すると思っているけれど、それは決してあたりまえの認識ではなく、この17世紀のパラダイムシフトを通じて獲得したものである。

望遠鏡が見せてくれるはるか彼方の天界、顕微鏡が見せてくれる微小な生物、それ自体とても大きな発見ではあるが、何より大きい発見は「肉眼では見えない不可視の世界がある」とわかったことだという。

 顕微鏡と望遠鏡が幅広く受け入れられるために必要だったのは、その作用原理を説明する光学理論だけではなかった。むしろ、世界は見かけどおりではなく、我々の眼には見えない隠された部分があるということを積極的に受け容れる姿勢のほうが重要だった。肉眼で観測するさまざまな現象の背後には不可視の世界があり、人間の眼に見えない部分にこそ目に目に見える自然現象の原因があることを理解しなければならなかった。この時代は〝世界は見かけ通りのものではない〟という認識が急速な勢いで広まった時期と見ることができる。

フェルメールと天才科学者 17世紀オランダの「光と視覚」の革命』(ローラ・J・スナイダー著 黒木章人訳 原書房 2019 p24より抜粋)

この「不可視の世界がある」という17世紀の発見がなければ、見えないものがあるという構造を前提とする無意識は発見されなかったかもしれない。21世紀のいま、わたしたちは実際に道具で観察できるケースだけでなく、無意識のように道具で観察できないケースであっても、「不可視の世界がある」ことを受け容れている。そこがとても興味深い。

隔たり

 

平時モードに戻る前に、もうひとつ書き残しておこうと思う。

「隔たり」ということばは、ふつう二者の空間的・時間的な距離を指す。それだけでなく、たとえ二者の距離が限りなく近くても、ガラスや壁のような遮蔽物が間にあるような場面でも「隔たり」ということばを使う。これらはまったく異なる状況のはずなのに同じことばを使う。そのことに興味を持った。

この二つの状況に共通点を見出すとすれば、距離や遮蔽物によって二者の接触が阻まれているということではないか?「隔たり」ということばのベースには「触れることができない」(接触不可能性)というチクッと心が痛む経験が横たわっているのではないだろうか?

かつて、そんなことを考えたことがある。(隔たり 2014.04.26)

奇しくも、新型コロナウイルスの感染防止対策として、日常生活ではソーシャルディスタンスを保つよう促され、公共施設や商店の窓口には薄い透明のシートが貼られるようになった。ぼんやり考えていたことが、突然、可視化されてしまった。