LISA SOMEDA

ほたる (5)

出町柳の北西角にいます。

 

そして結局、京都に帰りました。

四条河原町のノムラテーラーで、姪のワンピースにと素敵な花柄の生地を買い、大宮に戻って、三条会の「やのじさくえん」で麦茶とほうじ茶をオトナ買い。

オトウトの家に寄って自転車を借り、ロマンザで髪を切ってもらう。
進々堂でパンを買い、そのあと、出町柳でハルさんと待ち合わせ。

出町柳の北西角にいます。とメールを打つ。
空が広い。

「自転車じゃないと、なんだか疎外された気がするの」と言ってハルさんに「そういうところ寂しがりやなんだ」と嗤われる。

下鴨神社に行ったものの、その蛍は「放流モノ」と知り落胆。
気を取り直して、疎水に向かうがすっかりフラれ、最後、哲学の道に向かう途中で穴場スポットを発見。

蛍が舞っている。

ふーわふーわ舞いながら、光をともしたり、すっかりひかえてしまったり。
はかなげな様子にぐっと魅きこまれる。

たしかあの夜も蛍を見た。
鴨川を自転車を押しながら歩いていたとき、蛍を、そして、つがいのカモを見たのだ。

つんと胸が傷む。

また出町柳に戻り、年代もののビートルズバーで軽い夕食をとる。

この土地で出会ったひとは、みなウルトラ繊細でやさしいひとたちばかりだったんだ、と、あらためて思い知る。
ほんのひとときの穏やかでやさしい時間。

帰りたい。

 

そろそろ、蛍の季節じゃないか。

まだ何も見つからない。

 

京都に帰りたい、と、
一心に願う。

離れてみてはじめて、あの街は、街自体が文化なのだ、と判る。

はやく京都に帰りたい。

桜の季節が去ると、大家さんが大切に手入れしている藤棚が紫色に染まり、しばらくすると蛍の季節を迎える。祇園、大文字と街が観光客でごったがえすのを脇目で確認しているうちに、ふと秋風がほほを撫で、紅葉の季節がやってくる。

おだやかな陽射しのなか川べりで本を読んだり、近くで汲んできた湧水で美味しいコーヒーをいれたり。なにより、急かされずにものごとを考えられるだけの、ゆったりとした時間の流れがそこにはあった。

そういうかけがえのないものを、わたしはいとも簡単に手放してしまった。
ここには過剰なほどなんでもあるけれど、大事なものはまだ何も見つからない。

桜を見ると京都を想ってしまうから、
今年だけは、桜を見たくなかった。

今年は蛍を見なかった。

 

いざとなるとやっぱり、作業は夜にずれこむ。

26時、中京の郵便局に出かけた戻り、
この時期にしては星がたくさん見られたので、まわりみちをする。

輪郭はまだたよりないけれど、こまかい星までたくさん見える。
寒くなったら、もっとくっきり見えるんだろうな。

今年は蛍を見なかった。
夏の暑さもほどほどだった。

だからだろうか。
暮れに向かっている、という実感がまだ湧かない。

この数年は、季節のうつろいにすら、ひりひりしていたのに。

ほたるの季節。

 

ほたるの季節。
忙しさにかまけていたら通り過ぎてしまうであろうささやかなこと。
今年も立ち止まれる境遇に、感謝。