まったく安寧な場所に在って、なにひとつ賭すところのないひとのありよう、が、ほんとうにつまらない、と感じることがあって、それは、他人のフリ見て、我がフリ直せという意味で深く考えさせられている。

重々しい雰囲気とか、深刻すぎるものは、はなから苦手で、しぜん、気持ちは軽やかなものに向かうのだけれど、ただ、その軽やかさのなかにも、なにか賭されたものがなければ、と、思うようになった。

たとえ技巧的には稚拙であっても、ぎりぎりのところまで賭されたものには、切迫感がある。むかし友人の作品に、そういうものを見た。

作品の内容を安全なところから評価できないくらい、巻き込まれてしまうということ。つくり手の、もうどうにもならないこころのありようが、言葉や意味を介さないところで作用して、見る者のこころをゆさぶる、ということ。

その一回のシャッターに、一本の線に、ひと色に、どれだけのものが賭されているか。最近、そういうことをすごく意識するようになった。