いま写真はまったくのスランプ。
自分の撮っているものが自分でおもしろくない。

ひとつ土台として決めたのは、写真制作を経済活動とリンクさせようと目論むのはやめること。
どんな写真を撮ってもいい自由を確保する。

簡単にひとの感情や感傷に訴えるようなものはやめることにした。
わかりやすいものを撮るのもやめにする。

かつての級友はイラストレーターで生きていくと決めてから作風がかわった。
わたしは、同じ授業で緑やらオレンジやらきわどい色彩で描いていた彼のグロテスクな自画像が好きだった。絶対に万人ウケはしないけれど、ゴテっとした芯を感じていた。いまは、完成度の高い良いイラストを描いている。

わたしは、そうではないほうを選びたい。
たとえ受け入れづらかろうと何か言い知れぬ核のあるものをと思う。
経済活動と直結しようとすると無意識にも他者のニーズを意識する。
そこに不自由が生まれる。