あるひとから、モノクロで写真を撮って欲しいという依頼があった。
「遺影」という言葉がチラリとよぎる。
話を聞いてみると、やはり遺影を撮ってほしいとのこと。
朝日新聞に遺影のシリーズがあって、そのプロジェクトに応募したが、応募が殺到して、無理だったと。それでもきちんと遺影を残しておきたいという気持ちはかわらないのでぜひ撮ってほしい、という。
かっこつけたりきばったりしない、ごく普通の表情が写っていればいいな…と思って、36枚ラフに撮りきる。きっと数枚は顔をくしゃくしゃにした笑顔で、ほとんどはカメラを向けられることに慣れていないひと特有のこわばった表情。でも、それが彼女のリアルだ。
遺影で思い出す。
18歳で亡くなった友人の実家。居間にある写真立てに、その友人が仲間と一緒に写っている写真が入れられていた。ある年、線香を上げにうかがうと、その写真の、仲間が写っている部分だけが、亡くなった友人の幼い頃の写真に差しかえられていた。
その不自然なコラージュを不思議そうに見ているわたしに、亡くなった友人の母が言う。
「ほかのみんなは生きているのに、失礼やと思って。」
しばらく言葉を失った。
こんなにせつない遺影を、わたしはほかに知らない。