LISA SOMEDA

祖父の朝顔 (5)

朝顔考

 

祖父が遺した朝顔の種を播いたのは一昨年のこと。
その花が種を落としていたのか、今年は播いたつもりのない鉢から二株の朝顔が芽を出した。

せっかくだからと鉢をわけて育ててみたら、片方は葉っぱも花も強く縮れた畸形だった。
しばらくのあいだ、畸形の株をかばうような心もちで水をやっていたのだけれど、ある朝、堂々と花を咲かせているのを見て、これがこの花の個性なんだと気がついた。

その発見はなんとも嬉しく、清々しさと開放感に溢れていた。ほんの少し自分の心がふくよかになった気もした。

つまりは、息苦しかったのだ。
正常や標準といった狭い範囲をくくり、そこから外れたものを排除したり、標準に近づけようとする社会の圧は日増しに強くなっている。その圧が恒常的であるがゆえに、気づきづらく、さらには、知らずしらず内面化してしまっていたのだろう。ずいぶん、無頓着になっていたものだ。

朝顔の花から学んだものは、大きい。


一昨年は、朝顔のつるを巻いて他者に寄りかかるありさまに、嫌悪感を隠せなかった。
できることなら、向日葵のように己の力ですっくと立っていたい、と思ったものだ。

でも今夏の台風で、強い風にあおられるなか、朝顔だけがまったく動じない様を見て、
他者の支えを前提として生きるしなやかな強さを朝顔に見出した。

平時だけを考えれば、向日葵の生き方でもいいのかもしれない。
けれど、有事を想定すれば、朝顔の生き方にも一理ある。

朝顔ひとつとっても、見える景色が変わることもあるのだと知った。

祖父の朝顔

 

20年近く前に亡くした祖父の朝顔の種。
なんとなく持ち続けていたのを、今年は、なぜかふと植えてみる気になった。

植物の種とはすごいもので、そんな昔のもの(採取されたのはもっと前かもしれない)でもしっかり蔓を伸ばし、青々と葉を茂らせている。

みるみるうちに蔓を伸ばす朝顔を朝に夕に眺めながら、紫陽花には紫陽花の、向日葵には向日葵の、朝顔には朝顔の生存戦略がある、ということを考える。

じいちゃん、おかえりなさい。

 

今朝起きると、朝顔の花が開いていた。

15年前に亡くなった祖父がおとりおきしていた朝顔の種を、
咲くかどうかもわからず蒔いたもの。

芽が出たあとも、
陽当たりの悪いこのベランダではまさか咲くまいと思いながら育てていたから、
感慨もひとしお。

淡い藤色の花は、祖父らしい上品な色あい。
お盆だし、じいちゃん、帰ってきたんだね。

開くところを見たいから、明日はもう少しはやく起きよう。

朝顔を愛でる姫

 

年をおうごとに、毒づく母。

しばらく母からのメールには、面倒がって文字なし絵文字(表情)のみのメールしか返さなかったのだけれど、昨日ちゃんとした文章を送ったところ、母から返ってきたメールは、

おお、朝顔を愛でる姫より文あり、恙無きや。

「文あり」というおおげさな表現に、最近のつれない絵文字のみのメールに対する非難が。

「朝顔を愛でる」のくだりは、ここのところ「帰って朝顔に水をやらなきゃ」と言っては早々に実家をあとにするわたくしに対する揶揄が。

三十すぎの娘をわざわざ「姫」と呼ぶところには、ほとんど悪意が。

ひしひしと感じられる。

母よ、腕を上げたな。

いのちがくるくるめぐる。

 

おじいちゃんのおとりおきしていたアサガオの種を植えてみた。

陽当たりの悪いベランダだし、期待はしていなかったけれど、
今朝見ると、心配になるくらい色白の芽が出ていた。

半年ほどのあいだ、こぶりなクローバーが一輪、葉を広げていた。
ふゆの寒さも陽当たりの悪さも乗りこえて、たった一輪、生き続けるその頑な姿に、
ほんとうは、毎朝、励まされていた。

さすがに、葉に穴があいてきて、もうそろそろ引退かな、と思った矢先、
バトンタッチ、新しいクローバーが芽を出した。

小さい鉢のなか、いのちがくるくるめぐる。