LISA SOMEDA

滞在制作 (13)

ヴンダーカンマー

 

8年前の2016年、ロシア滞在も終わりに近づいた頃、予定していた撮影をなんとか終えたわたしは、ほかの撮影候補地を探しつつサンクトペテルブルクにある美術館、博物館に足を運んでいた。はじめ、博物館リストにあるクンストカメラをカメラに関連する施設と勘違いしていたが、調べてみると小さな博物館らしいことがわかった。そしてわたしはそこに「何が展示されているか」わかったうえで、クンストカメラを訪れた。クンストカメラが博物館の前身となるヴンダーカンマー(驚異の部屋)の別称だと知るのはその数年後のことになる。

歴代の皇帝の個人的なコレクションの集積場と言われるクンストカメラには、いつの時代の日本人だろう?と訝しく思うような人類学、民族学的な展示から、地球儀など科学に関連する展示まで、幅広く集められた収蔵品が魔術的な雰囲気を纏って陳列されていた。そしてほとんどの訪問者がいちばん衝撃を受けるのが、奇形の胎児(人間)のホルマリン漬けがずらっと並んだ展示室だ。

わたしも例外ではなく、そのときはただただショックを受けて帰途に着いたが、数年後に国立民族学博物館で開催された『驚異と怪異』という展示で驚異の部屋(ヴンダーカンマー)を知ったとき、人間の珍しいものを見たいという欲望の行き着く先をわたしはすでに見てしまったのだと悟った。個人のもっともプライベートな領域の深い悲しみを伴った存在を、その場から切り離し「珍しいもの」として蒐集し展示することのおぞましさ。museumの原点にはそういうおぞましさが潜んでいるのだと思った。わたしはそんな土台のうえに自分の作品を積みあげるのか?という戸惑い。そして、ほかでもないわたし自身が「何が展示されているか」わかったうえで観に行ったのだ。おぞましさはわたしの中にもある。

そんな経緯でmuseumというシステムに関心を持つようになったが、過去を掘り下げ起源に遡る方へと向かうと、どうしてもネガティブなことばかりが目についてしまう。それがだんだんしんどくなっていったというのもあるのかもしれない。今回、豊田市美術館の「未完のはじまり 未来のヴンダーカンマー」展を訪れたのは、なにか新しい視点が得られないだろうかという期待があった。

神話と現代的なメディウムを融合させた作品や、科学と錬金術的・魔術的な世界観とが渾然とした作品など、まざる(混ざる・交ざる)ことの豊かさを感じる作品群。国民的詩人の孫であるTaus Makhachevaの、祖父のパブリックイメージとプライベートな記憶を辿る作品。さまざまな切り口で、museumの機能———もとの環境や文脈からの切断、移動、分類———が揺さぶられ問われているが、強く印象に残ったのがフィクションとして構成された映像作品3点。

Taus Mackhachevaの《セレンディピティの採掘》は「半世紀前の未来科学者たちが提案したアイデア」という架空の設定に基づき、そのアイデアをもとにつくられたアクセサリーの形をしたガジェットが展示され、実際に身につけることもできる。最新ガジェットのはずなのにどこか魔術的・錬金術的な雰囲気が漂い、科学と錬金術の境目はどこにあるのだろうと考えた。

Yuichiro Tamuraの《TiOS》では生体との結合性が強いチタン(Titan)を軸にくすっと笑いを誘う未来像が提示され、産業技術と身体(生体)の関係性が浮かび上がる。カセットテープ、フロッピーディスク、HDD…記憶はいつも回転体が担っていたという指摘がふかく印象に残っている。

Liu Chuangの《リチウムの湖とポリフォニーの島Ⅱ》のリチウムの湖では、ウユニ塩湖でのリチウム採掘、歴史を遡ってポトシ銀山にも触れ、(鉱山をはじめとする)開発、輸送、それに伴う産業といったものの構造が、一方的に「新世界」と呼ぶ地域から略奪・蒐集を繰り返してきたmuseumの構造と不可分であることを考えさせられる。富の移動。いっぽうポリフォニーの島では、人間だけが地面のうえで歌を歌うという動物学的な説明にくわえ、ポリフォニーの祖と呼ばれるバッハ以前から少数民族の歌にポリフォニーが存在していることが指摘される。うつくしい映像のところどころに西洋中心主義批判がそっと織り込まれている。

企画自体が未来志向だということもあるけれど、ほとんどの作品が批判よりも可能性に開かれていて風通しの良さを感じた。そもそもが豊田市博物館の開館に向けてmuseumの起源に遡りつつ未来を考えるという企画だったので、展覧会を観たその足で開館したての豊田市博物館にも足を運んだ。

いわゆる未完でのオープン、と理解。未完は決して悪い意味ではなく、市民がグループをつくってその土地土地の石を集める取り組みが紹介されていたり、持ち寄られた「豊田での生活史を象徴するもの」が展示されていたり、ここで暮らすひとが自分たちで自分たちの歴史や環境を調べ考え続ける場として機能する博物館像が示されていた。それは「美と知の殿堂」といった啓蒙主義的な存在としてのmuseumから脱却する試みとしてもとらえられ、その意味で、あたらしいmuseum像を見ることができたと思う。3年後、5年後、10年後に今の未完がどんな未完に変わっていくのか楽しみである。

museumの起源には血生臭い簒奪の歴史が、そして未だに蒐集する/される非対称な構造が横たわってはいるが、それを乗り越え新しいmuseumをつくっていくことができると示されたように感じ、明るい気もちで博物館を後にした。

参考
未完の始まり:未来のヴンダーカンマー(豊田市美術館)
豊田市博物館(公式)
驚異と怪異(国立民族学博物館)
クンストカメラ(wiki)
クンストカメラ(公式)
ロシア最古の博物館にして、ロシアの科学のゆりかご。ピョートルのクンストカメラ誕生物語(ロシアビヨンド)
奇形児などが展示されているピョートル大帝のクンストカメラ(ロシアビヨンド)

松宮秀治さんの「ミュージアム思想」はmuseumを考えるうえでとてもよい書籍ですが、高額で入手しづらくなっています。近くの図書館に蔵書がないなど事情がある方はご一報ください。お貸しします。

エクソセントリック・オリエンテーション

 

先のピダハンの続き。方向の認識のくだりが印象的だったので、少し長いけれど抜き出してみる。

 その日の狩りの間、方向の指示は川(上流、下流、川に向かって)かジャングル(ジャングルのなかへ)を基点に出されることに気がついた。ピダハンには川がどこにあるかわかっている(わたしにはどちらがどちらかまったくわからなかった)。方向を知ろうとするとき、彼らは全員、わたしたちがやるように右手、左手など自分の体を使うのではなく、地形を用いるようだ。

わたしにはこれが理解できなかった。「右手」「左手」にあたる単語はどうしても見つけることができなかったが、ただ、ピダハンが方向を知るのに川を使うことがわかってはじめて、街へ出かけたとき彼らが最初に「川はどこだ?」と尋ねる理由がわかった。世界のなかでの自分の位置関係を知りたがっていたわけだ!

(中略)いくつもの文化や言語を比較した結果、レヴィンソンのチームは局地的な方向を示す方法として大きく分けてふたつのやり方があることを見出していた。多くはアメリカやヨーロッパの文化と同様、右、左のように体との関係で相対的に方向性を求める。これはエンドセントリック・オリエンテーションと呼ばれることがある。もう一方はピダハンと同様、体とは別の指標をもとに方向を決める。こういうやり方をエクソセントリック・オリエンテーションと呼ぶ者もいる。
(『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット著 屋代通子訳 みすず書房 2012 pp.301-302から抜粋)

最初はこの方向の認識を、ふしぎに感じたけれど、よくよく考えると、わたしたちもけっしてエンドセントリック・オリエンテーションだけで生活しているわけではない。

友人が京都に来たときに「西宮や神戸での生活が長いと、どうしても山があるほうを北だと思ってしまう。だから京都に来ると山に囲まれているから、うっかり東山のほうを北だと勘違いしてしまう」と言っていたのを思い出す。地元、神戸の百貨店では店内の方向を示すのに「山側」「海側」という表示が採用されている。

友人の話を聞いたときは、「ふーん、そうなんだ…」と、まったくひとごとのように聞いていたけれど、札幌で撮影をしたときに、南に山があるせいで方向感覚がからっきし狂ってしまって驚いた。「山=北」の認識は相当根深いようだ。「北」と言葉で認識するというよりは、山を背にして左手から日が昇るものだと思っている、というほうが正確かもしれない。

3週間強の札幌滞在の最後まで、山を背にして右から日が昇ることに馴染めなかった。「なんでこっちに太陽があるの?」と違和感を感じては「そうか、山は南にあるんだ」と思い直す。毎日ずっと、それを繰り返していた。

なんだかほっとする

 

マルシュルートカから地下鉄に乗り継ぐЧёрная Речка(チョールナヤ レーチカ)の駅前。撮影の行き帰りに通る駅なので、帰りにこれを見かけると、なんだかほっとする。いつの間にかヒゲ生えとるし。

雪遊び

 

最初、木にひっついている目と口っぽい造作を見たときに「たまたま?」と思ったけれど、いくつか同じようなものがあったので雪遊びなんだと確信。

play in snow 染田リサ

こちらはベースに色をつけている。

play in snow 染田リサ

滞在中に見た中で一番いいなぁと思ったのは、この木にへばりついている謎の動物。しかも、脚がはずれたりしていたら、通りすがりの子どもがちゃんと補修していた。

play in snow 染田リサ

クロンシュタット

 

kronstadt 染田リサ

フィンランド湾に浮かぶコトリン島の中にクロンシュタットという街があります。要塞だったのでお堀に囲まれているゾーンがあり、レジデンスはこのエリアに位置します。サンクトペテルブルクの市街地へは、マルシュルートカ(K-405)と地下鉄を乗り継いでおよそ1時間半。

ところで、以前、ブリューゲルの雪景の絵を見たときに「ほんとうにこんな色なんかなぁ?」と疑ったことがあったけれど、ほんとうにこういう色に包まれることがあるのね。

旅をして、はじめて知る光の色があるなぁ。

ようやく雪が。

 

聞くところによると、1月には-25度まで下がったというのに、到着した時点では雪はほとんど残っておらず。気温も3度と例年よりも高く、「このまま春になるかな」と茶化されたりしたこともあって、不安に思っていたところ、ようやく雪が。

snowfall 染田リサ

ふしぎなご縁

 

同時期に滞在するアーティストが日本人だということを到着するまで知らなかった。奇しくも年齢も同い。ロシア西端の小さい島で、同い歳の日本人と一緒に滞在するとは思わなかった。

Jun’ichiro ISHIIはフランス在住のアーティスト
http://www.reart.net/

Artist in Residence Program in St. Petersburg

 

2016年2月10日〜3月10日までの1ヶ月間、サンクトペテルブルクにて、NCCA(National Centre for Contemporary Arts)のARTIST IN RESIDENCE PROGRAMに参加します。

サンクトペテルブルクの雪景の撮影を計画しています。

NCCA
http://www.ncca.ru/en/main?filial=6

第3回札幌500m美術館賞グランプリ展「SNOW」

 

おかげさまで無事、
第3回札幌500m美術館賞グランプリ展「SNOW」オープンしました!

2015年4月24日までの開催となります。
お近くにお越しの方は是非ご高覧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

同時開催されている田村陽子さんの「記憶する足形」も素敵な展示なので、ぜひ!

場所:札幌大通地下ギャラリー500m美術館
会期:1月31日(土) 〜 4月24日(金) 無休
時間:7:30~22:00 ※最終日は17:00まで
料金:無料

札幌大通地下ギャラリー500m美術館
http://500m.jp/exhibition/3263.html

展示風景 撮影 松村康平
撮影 松村康平

I will be back soon.

 

最終日は、もうほぼ撮り終えたという安堵のせいか、緊張がほどけていたんだろうな。たくさんの方から「いい写真撮れましたか?」と、話しかけられた。

そうやって通りすがりに話しかけてこられる方、落としたSDカードを雪道をわざわざ届けてくれた高校生、定食屋のご主人、レジデンスのスタッフの方々。こそっとキャラメルをくれたおそうじのナベシマさん。いきつけの六花亭の店員さん。(撮影の携帯食に六花亭のどらやきが最適だった…)
札幌では、みな好意的に接してくれたなぁと思う。

その土地の方が好意的かどうかは、けっこう強く印象に残るもので、夏に訪れた欧州でも、最後、スキポール空港でキャセイの係員と雑談をしながら、I will be back soon.と言った記憶がある。とりわけオランダの居心地が良かった。

札幌を発つときも、また1月末に戻ってきます、と言ったものね。

その土地に少し愛着がわくと、不思議と「また来ます」ではなく「戻ってくる」という表現になるんだな。

オランダに「戻れる」のはいつになるかなぁ…

豊平川

 

札幌にとって母なる川なんだよ。
というフレーズを、聞くのは二度目だ。

札幌と豊平川の歴史と、五輪の時期の開発の話を聞かせてもらった。
展示スペースと被写体との関係についての示唆に富んだ話。
ものすごくおもしろかった。

札幌に来てから、おもしろい出会いがいくつもいくつも。

キッチン問答

 

日の出が6時、南中11時すぎで日の入り4時、となると、
撮影のためにしぜんと朝型生活になる。

朝ごはんをつくっていると、同じ時間帯にキッチンを利用する方がいて、
それぞれ自分の朝ごはんを作りながら、作品の話をするようになった。

相手の質問が鋭くて、最初はたじたじやったし、
朝6時台からえらい切り込んで来るなぁ…と思ったりもしたけれど、
それはそれで、だんだんおもしろくなってきた。

ろくに自己紹介もしないまま、
朝ごはんを「つくっている間」だけ話をする関係が一週間ほど続き、
彼の滞在の終盤でやっと、お名前と作品を知る機会が得られた。

はじめから作品や経歴を知っていたら、もっと身構えていたかもしれない。
半分パジャマで頭ぼさぼさの無防備な状態だったから、
ベテラン作家からの突っ込んだ質問にも、率直に答えられたのもしれない。
いま思えば、とても貴重な時間やった。

小さな劇場

 

見てすぐにパシャっと撮るのではなく、
三脚を立ててピントをあわせるのにじっとファインダーをのぞいていると、
ファインダーの中に、人やものがこまごまと動く小さな劇場みたいなのが出現する。
(たぶん、あまり遠近法的な構図ではない場合によく出現すると思う)

デジタルのファインダーだと、それが映像のようにも見えるのだけれど、
中判を使っていた頃から、なんかこの暗いハコの中に小さな劇場があるな、とうすうす気づいていた。

そして、その小さな劇場の中で人が動いたり、ものが動いたりしている様が、なんとも愛おしいのだ。
もう、実に実に愛おしい。

雪の中、対岸の建物のタイルの目地を目安にピントをあわせながら、
ピントをあわせるために凝視する、その所作にともなう時間に「幅」があるからこそ、その小さな劇場の存在に気づけるのかもしれないな、と、あらためて思った。