ちまたには、時間を管理する本がたくさん出まわっているけれど、わたしは、細かく時間をきざんで、管理するのも、また、されるのも、きらいだ。
この気質は、学者の家庭に育ったことに因るものかもしれない。
ひとつのことを数十年と考え続ける人間が家族にあって、また、そうすることでしかたどりつけない境地があるということを、間近で見知っている。
締め切り間際に発揮される集中力もあれば、時間から解放されたのびやかな状態でしか発揮されない集中力もある。
わたしはもっぱら後者のほうで、ならその種の集中力を活かして仕事をする方法を考えなければならない。わたしが、わたしのなかに持っている時計は、とてもゆるやかな時を刻む時計で、のんびりしてるんだと思う。
それはこの時代にはそぐわないけれど、そぐわないなりに生きて、
そして死ぬまでの時間をかけて、
もう少し濃やかにこの世界の手触りを確かめたい、と思う。