近年、見えなさに関心を持っていて、つい「不可視性」ということばを使ってしまうこともあるが、けっこう意味の幅が広いことばなので、少し整理してみたいと思っていた。
ちょうどいい機会なので、「見えない/見えにくい」とはどういう状況かを、いちど整理してみようと思う。現時点で思いついたことを書き出しただけなので、あらためて分類し直したり、更新するかもしれない。「自分の近くにあるかどうかがわかる/わからない」という項目には、新型コロナの影響がモロに出ているが、現在の関心は少なからずそこにある。
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肉眼で視認できない
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-知覚する方法がない
- そもそも、その対象を思いうかべることすらできない→考察できない
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-知覚する方法がある
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- 【道具を用いて】
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- ・自分の近くにあるかどうかがわからないケース
- ウイルス、細菌等、放射能、電波、電気等
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- 【視覚以外の感覚で】
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- ・自分の近くにあるかどうかがわからないケース
- ホワイトアウト、ブラックアウトなど手探りの状況
- ・自分の近くにあるかどうかがわかるケース
- 花粉、湿度、気圧、気配、香り
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- 【現象を通じて】
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- ・現象と対象の関係を知っている
- 運動、熱、光→電気
- 風→空気
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(不完全だが)肉眼で視認できる
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- ・対象を特定できない
- 暗すぎる、明るすぎる、近すぎる、速すぎる状況など
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- ・対象を特定できるが正確に認識できない
- 複数の像の混在(反射と透過など)、半透明のフィルターを介する状況など
- 変化が非常にゆるやかな(微細な)事象 ※追記
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新型コロナウイルスの感染拡大を機に、なぜ、見えないことがそんなに不安をもたらすのかを考えていたけれど、こうやって例を挙げてみると、日常生活の中に「見えないもの」はけっこう沢山ある。にもかかわらず、空気や電気に対して不安にはならない。不安と結びつくのは「自分に危害をもたらしうるもの」と「見えない」が組み合わさったときだ。
そして、ひとが「見えない」というとき、その前段には、その対象が存在することを知っている。まったく意識にものぼらないものに対して「見えない」という自覚は芽生えない。肉眼で見る以外の方法で知覚されうるものや、伝え聞いて存在を知っているものにしか「見えない」という経験は成り立たない。それがわかったのは大きな収穫かもしれない。
1.「見えないけれどある」ことを知っている
2.(吹雪や霧など状況のせいで一時的に)本来見えるべきものが見えない
これらのように、「見えない」ことを自覚するためには、前提となる条件がある。
いちばん厄介なのは、見えているつもり。見えないことに気づかないこと。「見えない」が見えないことかもしれない。