LISA SOMEDA

京都 (14)

いつもベストタイミングだった

 

風が心地よく感じられるようになり、窓を開けて過ごすことが多くなった。向かいの中学から歌声が聴こえてくる。合唱の季節。

ふと目を落とすと、校門そばの桜が盛大に葉を散らしている。
あっ…。そうか、桜の木は夏の終わりから葉を散らしはじめるんだ。

2019年から毎年、木々の葉が色づく頃に鴨川/賀茂川を撮っているが、慎重にタイミングを見計らっても桜の木はいつも葉がスカスカ。毎回「ベストタイミングを逃した」と思っていた。

ちがう。桜は紅葉してから散るのではなく、散りゆくなかで紅葉する。
秋が一段深まる時期にまだ枝に残っている葉が紅葉するのだ。

葉がすべて残った状態で紅葉している桜などまったくの幻で、そうとは知らずに完璧な姿の桜を求め、まだ撮れないまだ撮れないと、ずっと幻を追っていた。

いつもベストタイミングだったし、すでにベストショットを撮っていたのだ。

祭りの夜に

 

先の八瀬の赦免地踊りに続き、この週末は鞍馬の火祭りを訪れた。
この祭りも最後に訪れたのは2019年で、2度目の来訪となる。

はじめて訪れたときは、祭りの熱気と燃え盛る炎に煽られ、執拗にシャッターを切っていたように思う。

今回は、写真を撮るというより祭りそのものを楽しもうと思って訪れたこともあり、鞍馬街道のほぼ最奥で軒を借りて松明が通るのを待っていた。

鞍馬の火祭りは鞍馬寺ではなく由岐神社の神事で、氏子それぞれの軒先で篝(エジ)が焚かれている。両親と同年代と思しきご夫婦が互いに相手の薪のくべ方に注文をつけあっているのを聞くとはなしに聞いていたら、なんとなく氏子同士の立ち話に加わることになっていた。

氏子のひとりが「松の枝を市原に取りに行ったんやけれど、(時節柄、マツタケ)泥棒と疑われんかと思ってな」と話しているのを聞いてあらためて各戸の篝を見てみたら、薪を山のように積んでいるもの、一定量を保ってこまめに薪を足していっているもの、それぞれの個性が滲みでているようすが見えてきた。

篝が焚かれた街道の光景を、できるだけうつくしい画に仕上げようとシャッターを切るのと、それぞれの篝にその火の守りをする人の個性を見出しながらシャッターを切るのとでは、まなざしのあり方はまったくちがう。

先の赦免地踊でも、はじめて訪れたときは切り子燈籠のうつくしさや女性に扮した少年たちの妖しさに魅了されたが、ことしは隣席の方から「今回は息子が燈籠着(燈籠をかぶって歩く役)を、夫が警固(燈籠着のそばについて燈籠を支える役)をしている」と聞いたことで、息子の頭に載せられた5kgもの燈籠を力強く支える父親の手が見えてきた。

それまで見ていなかったもの、見えていなかったものが見えるようになった、という気がしたのだ。

日頃から「見栄えのいい写真を撮ってやろうという欲は時として足枷になる」と自分を戒めてきたが、その欲はよく見ることの妨げにすらなりうると思った。

外から来訪し、フォトジェニックな被写体を追って見栄えのする光景を切り取って帰るより、その場その場で居合わせた人と関わることによって、まなざしがそれまでよりずっと丁寧に細やかになった。個別具体的なひとの営みが、以前よりよく見えるようになった。

翻ると、それまでわたしは、ひとを記号のようにとらえていたのだと思う。

わたしだけではない。その夜、祭りの場でシャッターを切っていたほとんどの来訪者が祭りの担い手を、それぞれの画面を構成する要素/匿名の存在/記号のように扱っていたのではないだろうか?さらに言えば、見知らぬ他者を画面に取り込む写真実践のすべてに同様の問いは潜んでおり、それを不問に付したまま写真は消費されてきたのではないだろうか?

個別具体的な生をもつ他者を、画面を構成するものとしてとらえること、あるいは記号のようにとらえることへの違和。近年芽生えたその違和を、なかったことにせず考え続けたいと思う。

今でもわたしは

 

今年はあいにく体育館での開催となったのだけれど、赦免地踊を観に行った。

はじめて訪れたのは4年前。
市街地から北に向かうにつれ、少しずつ空気がひんやりと、夜がその存在感をましていくように感じられた。そして、山あいの夜の暗さと静けさに圧倒され、蝋燭の灯に揺らぐ切り子燈籠のうつくしさ、女性に扮する少年たちの妖しさに魅了された。

それこそ京都は祭りの宝庫で、雅なものから勇壮なものまで多種多様な祭りがあるのに、なぜこの小さな集落の祭りにひときわ心魅かれるのだろう?と、帰宅後もしばらく考え続けていた。


この数年、訪れた土地の夜の暗さにほっとすることがある。
ここは夜が夜らしい暗さだ、と。


半月ほど前、ある人から「なぜ写真なのですか?」と尋ねられた。

わたし絵が描けないんです/学生時代、自分で問いを立てることが求められたのは写真の課題だけだった。もしその課題が写真ではなく彫刻だったら、わたしは彫刻をしていたかもしれない/暗室だけが安心して泣ける場所だった/なにか素敵なもの、それまで見たことのないようなあたらしいものの見えかた、そういったものに意識を向けながら世界をまなざすこと、太陽の下を歩くという路上スナップの行為そのものが、当時の自分のこころを支えていたように思う

そんなふうに答えたと記憶している。

「もしかして暗室は…」
言いかけた相手のことばを引き取るように、わたしは答えた。
「子宮なのかもしれません。唯一、安心できる場所でした」


山あいの夜の圧倒的な暗さと静けさ。それに抗うのではなく、折り合いをつけるかのようにひっそり執り行われる集落の祭り。自分の輪郭がほどけるような暗さと静けさのなか、揺らめく灯に誘われ、ふだんは届くことのないこころの深い場所に触れられる気がした。

ああそうか。
今でもわたしは暗く静かな場所を求めているのかもしれない。

トレードオフ

 

コロナ禍の影響で、商業地では空きテナントが増え、そのガラスにシートや板があてがわれている光景が目立つようになった。いっぽう住宅地では、地方移住の需要を見込んだ旺盛な投資により集合住宅の建設ラッシュ。真新しいガラスがシートで覆われている光景をよく見かけるようになった。

ガラスに映る像を見ようとすると、木目やシートの皺といった支持体が介入する。
木目やシートそのものを見ようとすると、映り込む像に阻まれる。
拮抗やトレードオフといったことばが脳裏をよぎるが、トレードオフは今の社会状況をもっとも象徴することばだ、とも思う。

エクソセントリック・オリエンテーション

 

先のピダハンの続き。方向の認識のくだりが印象的だったので、少し長いけれど抜き出してみる。

 その日の狩りの間、方向の指示は川(上流、下流、川に向かって)かジャングル(ジャングルのなかへ)を基点に出されることに気がついた。ピダハンには川がどこにあるかわかっている(わたしにはどちらがどちらかまったくわからなかった)。方向を知ろうとするとき、彼らは全員、わたしたちがやるように右手、左手など自分の体を使うのではなく、地形を用いるようだ。

わたしにはこれが理解できなかった。「右手」「左手」にあたる単語はどうしても見つけることができなかったが、ただ、ピダハンが方向を知るのに川を使うことがわかってはじめて、街へ出かけたとき彼らが最初に「川はどこだ?」と尋ねる理由がわかった。世界のなかでの自分の位置関係を知りたがっていたわけだ!

(中略)いくつもの文化や言語を比較した結果、レヴィンソンのチームは局地的な方向を示す方法として大きく分けてふたつのやり方があることを見出していた。多くはアメリカやヨーロッパの文化と同様、右、左のように体との関係で相対的に方向性を求める。これはエンドセントリック・オリエンテーションと呼ばれることがある。もう一方はピダハンと同様、体とは別の指標をもとに方向を決める。こういうやり方をエクソセントリック・オリエンテーションと呼ぶ者もいる。
(『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット著 屋代通子訳 みすず書房 2012 pp.301-302から抜粋)

最初はこの方向の認識を、ふしぎに感じたけれど、よくよく考えると、わたしたちもけっしてエンドセントリック・オリエンテーションだけで生活しているわけではない。

友人が京都に来たときに「西宮や神戸での生活が長いと、どうしても山があるほうを北だと思ってしまう。だから京都に来ると山に囲まれているから、うっかり東山のほうを北だと勘違いしてしまう」と言っていたのを思い出す。地元、神戸の百貨店では店内の方向を示すのに「山側」「海側」という表示が採用されている。

友人の話を聞いたときは、「ふーん、そうなんだ…」と、まったくひとごとのように聞いていたけれど、札幌で撮影をしたときに、南に山があるせいで方向感覚がからっきし狂ってしまって驚いた。「山=北」の認識は相当根深いようだ。「北」と言葉で認識するというよりは、山を背にして左手から日が昇るものだと思っている、というほうが正確かもしれない。

3週間強の札幌滞在の最後まで、山を背にして右から日が昇ることに馴染めなかった。「なんでこっちに太陽があるの?」と違和感を感じては「そうか、山は南にあるんだ」と思い直す。毎日ずっと、それを繰り返していた。

出町柳の北西角にいます。

 

そして結局、京都に帰りました。

四条河原町のノムラテーラーで、姪のワンピースにと素敵な花柄の生地を買い、大宮に戻って、三条会の「やのじさくえん」で麦茶とほうじ茶をオトナ買い。

オトウトの家に寄って自転車を借り、ロマンザで髪を切ってもらう。
進々堂でパンを買い、そのあと、出町柳でハルさんと待ち合わせ。

出町柳の北西角にいます。とメールを打つ。
空が広い。

「自転車じゃないと、なんだか疎外された気がするの」と言ってハルさんに「そういうところ寂しがりやなんだ」と嗤われる。

下鴨神社に行ったものの、その蛍は「放流モノ」と知り落胆。
気を取り直して、疎水に向かうがすっかりフラれ、最後、哲学の道に向かう途中で穴場スポットを発見。

蛍が舞っている。

ふーわふーわ舞いながら、光をともしたり、すっかりひかえてしまったり。
はかなげな様子にぐっと魅きこまれる。

たしかあの夜も蛍を見た。
鴨川を自転車を押しながら歩いていたとき、蛍を、そして、つがいのカモを見たのだ。

つんと胸が傷む。

また出町柳に戻り、年代もののビートルズバーで軽い夕食をとる。

この土地で出会ったひとは、みなウルトラ繊細でやさしいひとたちばかりだったんだ、と、あらためて思い知る。
ほんのひとときの穏やかでやさしい時間。

まだ何も見つからない。

 

京都に帰りたい、と、
一心に願う。

離れてみてはじめて、あの街は、街自体が文化なのだ、と判る。

はやく京都に帰りたい。

桜の季節が去ると、大家さんが大切に手入れしている藤棚が紫色に染まり、しばらくすると蛍の季節を迎える。祇園、大文字と街が観光客でごったがえすのを脇目で確認しているうちに、ふと秋風がほほを撫で、紅葉の季節がやってくる。

おだやかな陽射しのなか川べりで本を読んだり、近くで汲んできた湧水で美味しいコーヒーをいれたり。なにより、急かされずにものごとを考えられるだけの、ゆったりとした時間の流れがそこにはあった。

そういうかけがえのないものを、わたしはいとも簡単に手放してしまった。
ここには過剰なほどなんでもあるけれど、大事なものはまだ何も見つからない。

桜を見ると京都を想ってしまうから、
今年だけは、桜を見たくなかった。

カップルは等間隔か? その2

 

58カット。歌舞練場前。(の切り抜き)

カップルは等間隔か?

1ケ所広く間が空いてるのは、きっと1組立ち去ったに違いない。

カップルを狙って撮っているわけではないんだけど、映っていると気になるなぁ…。夏の風物詩、現代版の風俗絵巻みたいなところやよね。

托鉢僧と、郵便切手

 

散歩ついでに、三月書房に足を運ぶ。
遠くに聞こえていた声明がだんだんと大きくなってきて、
寺町二条界隈に托鉢修行のお坊さん数名の声が響きわたる。

少し外に気を向けながら、本を物色していると、
「ほら手分けして、こっちにも来て」と、
リーダー格のお坊さんが指示を出している声が聞こえる。

え…手分け…托鉢修行は分業制やったんか。

妙に現実的で合理的な「指示」がビジネスライクに聞こえてしまって、
なんだか、ありがたみが目減りした感じ。

店を出て、寺町を下がる。

秘仏公開のポスターを見て、
わたしも、作品展示を50年に1度のご開帳にすれば、
どんなスローペースでも仕上げられるやろうし、ありがたみ(!)も増すよなぁ…と、
罰当たりなことをぼんやり考えながら、てくてく、てくてく。

その翌日、ともだちに送る荷物を準備していたときのこと。

いくつか素敵な切手があったのだけれど、
あちこちにペタペタ切手を貼ると、郵便屋さんに迷惑やろうから、
紅葉の切手だけ貼って、あとは現金払いにしようと思って、
1枚だけ切手を貼った荷物を近所の郵便局に持ち込んだ。
荷物を手にした窓口のお姉さんが、うーん、と唸りながら電卓をたたく。

?

「せっかく綺麗な切手はってはるからね。」

そうおっしゃって、チラリとかわいい切手を見せてくださる。
どうも、手もとにある切手のなかから風情のあるものを何枚かつけたそうと思案してくださっていたみたい。何円の切手を何枚はって残りは…という計算をしてはったみたいで、最終的に、京都のお祭りのかわいらしい切手を何枚か貼りたして、あとは普通の切手を二枚ほどはって料金調整というところに落ち着く。どうもありがとう。

結局、当初わたしが遠慮した「あちこちにペタペタ切手をはった荷物」ができあがってしまったのだけれど、それがほかならぬ郵便局員さんの仕業なのが可笑しかった。

ここ三日ほどのできごと。

烏丸通り1ブロック分のこと。

 

晴れてはいたものの、かなり霞んでいたから、撮影は早い段階で断念し、もう一度見ておこうと思った、入江マキさんの個展に向かう。グリーンから青を通り越して紫までの色が印象に残る。

見たそばからはかなく消えゆく夢をたぐりよせるようなこと。
つじつまをあわせたり、輪郭を確定したとたんに崩壊するような世界を、そのまますくうようなこと。

そのあと、芸術センターで開催されているdual pointで、はじめてまともに高木正勝さんの映像を見て、しばらく動けなくなった。何ループくらい見ていただろう。映像でしかつくれない質感。

それから、cococn karasumaで開催されているNY TDC展まで足を運んでみたものの、作品の良し悪しより、展示物の状態の悪さが、気にかかった。

烏丸通り1ブロック分のこと。

サービスなんかじゃない。

 

近所に、長谷食品という小さなスーパーがある。

けっして割安ではないそのお店。
でも、わたしは好んで足を運ぶ。

わたしのうしろに並ぶお年寄りの女性に、店員さんが話しかけている。

「さっき、娘さんが牛乳2パック買って行きはったよ。それ知ってはる?」
「いや、知らん。」
「ほんじゃ、牛乳、カブるんじゃない?」
「せやな。戻しとこか。」

そういうやりとり、今まで何度も見かけた。
レジで小銭を一生懸命探すお年寄りを、けっしてせかさない。
お年寄りのお客さんが多く出しすぎたら、大きめの声できちんと金額を説明して、
出しすぎたお金を財布に戻してあげている。
手が空く時間は、話あいてにもなっている様子。

それが、御所南、京都のド真ん中にある。

お年寄りの生活をそっと見守るこのお店には、
「サービス」や「顧客満足」なんて薄っぺらなことばは似合わない。

ひととひととが思いやり、いたわりあって生きる、ただそれだけのこと。
サービスなんかじゃない。

マニュアル化されたサービスで埋め尽くされた店にはない安心感が、そのお店には、ある。

交番のいい仕事

 

四条大宮交番

前のすまいのときは、よくここの交番の警察官が巡回に来ていました。あやしいたたずまいの堀川マ●ションをぶっそうだと思ったらしく、「こんなところに住んでいたらいけない。」としょっちゅう言われていました。なつかしい。

さて、この交番の前を通るたびに、ええ仕事しとるなぁ…と思っていたのね。

写メなのでわかりにくいかもしれませんが、写真中央、警察署のマークが切り絵です。

25時の散歩

 

結局、帰宅は深夜になって。

帰りみち、見上げた空の星の多さについ、
機材を一旦家に置いて、25時の散歩に出かける。

引越してから、夜空を見あげることが少なくなった。

街中は明るくて、暗いところを探すようにふらふら歩き、
銅駝のほうから鴨川に出ると、唐突にひらけた空に、大きく赤い月。
三日月ほどに欠けているのにどうして。

はじめてみる月のその風情に、狼狽。
この月に呼ばれたのかと思うと、こわくなった。

ひとこと説法

 

正式な名称をしらない。
お寺の入り口の掲示板に書かれている「ひとこと説法」。

京都はお寺が多いのであちこちで目にするのだけれど、けっこうこれが興味深い。
なかには「?」なものもあるのだけれど。

徳もお金と同じく増減する

これは、願照寺の前にあったもの。「お金と同じく」というところに妙な説得力がある。徳の話をするのに、お金を引き合いに出すところがすごい。

毎日通る道には「わかっちゃいるけど、やめられない」というのもある。
タバコか?酒か?ギャンブルか?
そもそも誰に対する言い訳やねん。。。って、わたしはとても好きなんやけど。

あと、三条会に「茶のごとくもまれて味出る人間味」というのもあった。
なかなか個性的。

でも、こういうことばに見えないところで守られながら、
この町のひとは生きてきたのかもしれないな。