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L_B_S

先週末、メゾンドエルメスで開催されている名和晃平さんの「L_B_S」展を観に行った。

入り口のところで、監視員の方に、「作品にはお手を触れないでください」と注意される。わざわざ、こんなところまで足を運ぶような客に、わざわざ、そんな注意をせんといかんもんなのかなぁ…と思っていたら、その理由がすぐにわかった。

表面の質感に対する関心を強くひき起こす作品。注意されなかったら、つい触って確かめたくなってしまっていただろうな、と思う。

展覧会タイトルのL_B_Sの、LはLiquid、BはBeads、SはScumで、展覧会はその3群の作品から構成されている。

Beadsは、鹿の表面を覆うビーズによって中に入っている鹿の像は歪められている。ビーズで覆われた透明のボリューム。

Liquidは、グリッド状に発生しては消えてゆく泡。うまれては消えてゆくその白い泡の表面に、しばらく見とれていた。

わたしにはどちらも、とても映像的に見えた。

これらは、塊、ボリュームとして受けとめることもできるし、その表面に生起する映像として受けとめることもできる。Scumに関しては、触覚に訴えかける表面の質感が特徴的であり、ものの存在の多層性、ということを考えさせられた。

ドアマンと、店内の雰囲気にビビりながらも、勇気を出して観に行って良かったと思う。

烏丸通り1ブロック分のこと。

晴れてはいたものの、かなり霞んでいたから、撮影は早い段階で断念し、もう一度見ておこうと思った、入江マキさんの個展に向かう。グリーンから青を通り越して紫までの色が印象に残る。

見たそばからはかなく消えゆく夢をたぐりよせるようなこと。
つじつまをあわせたり、輪郭を確定したとたんに崩壊するような世界を、そのまますくうようなこと。

そのあと、芸術センターで開催されているdual pointで、はじめてまともに高木正勝さんの映像を見て、しばらく動けなくなった。何ループくらい見ていただろう。映像でしかつくれない質感。

それから、cococn karasumaで開催されているNY TDC展まで足を運んでみたものの、作品の良し悪しより、展示物の状態の悪さが、気にかかった。

烏丸通り1ブロック分のこと。

stillとmovie

2週間強の期限をきった作業に入る。scaningはルーティンワークだから、意識が手先と別のところを彷徨う。

先日、液晶絵画という展覧会を見たことも手伝って、《時間軸》ということをぼんやり考えていた。stillとmovieの境界線上にあって、その両者の差異を意識させる作品がおもしろかった。

じゆうのけがに

voice galleryで開催されている、現代美術二等兵のかに展。

「自由の毛蟹」って…。

と、あいかわらず笑える作品が並んでいます。
例年より、全体的に作品が小ぶりな感じがしますが、
ニヤニヤしながら見てきました。

同時開催(?)のたれ流しライフスタイル展の現実逃避という作品がいちばん好き。
ネガティブとポジティブと、二種類枕があるのん、むちゃおもろかった。

もう会期末間近。27日(土)までです。
今年は、射手座ではなく、voiceなので、おまちがいのないように。

ぼんやりしとった。

ぼんやりしとった。
ARTZONEで開催されている、森山大道「記録7号」、今日までやったんやん。撮影の帰り際に寄ったカメラやさんで思い出したときは開場時間を過ぎていた。

まだ東京で会社勤めをしていた頃だから、1998年か99年のこと。
東京、渋谷のPARCOではじめて森山大道の写真展を見て、ショックを受けた。

それまでも、いくつか写真の展覧会は見てはいたけれど、こんな「ただならぬ」感を受ける写真を見たことはなかった。それまで写真に抱いていたイメージをばりっとはがされるような感じ。

そのうえ、名前に濁音が多いし、コントラストのきついバイクの写真が印象的で、マッチョでバイク乗り回しているようないかついニイサンだと思い込んでた。

その頃は新人OL(!)だったし、まさか自分が写真を撮るようになるとは思ってもいなかったのだけれど、その4年後には写真を撮りはじめるようになり、森山さんの本を読んだり、DVDを見たりしているうちに、まず「ニイサン」ではないことを知り、つぎにマッチョでバイクを乗り回しているようないかついひとではないことを知った。

先日のトークショウも開演に遅れて着いたら「満席です」と入場を断られ、あらためて写真展だけでも見に来ようと思っていたのに、ぼんやりしとった。

残念でならない。

迷いの時期

「ああ、迷ってるんやなぁと思った。」

とあるグループ展を見て来た y が、出展されていた友人の作品について言っていた。

迷いの時期、というのがあると思う。

この制作日誌を読み返していたら、この1年、(前の1年とあわせて2年)まさしく迷いに迷ってて、これを y が読んだら「迷いすぎちゃう?」と言うんだろうな…と思う。

でもバラバラに思えていた問題意識や関心が、あるときふっとひとつのかたちになりかけることがあって、それは迷い続けないとそこにはたどりつけない、とも思っている。

迷いながら考え続けること、待つこと、も大事よ。たぶん。

写真は写真のままでいいんだと思う。

第1弾のフィルムがあがってきて、スキャニング。スキャナの設定のせいかえらく黒がつぶれているのが気になる。色ひとつで写真の印象はまったく変わるから、色って大事やなぁと思う。

以前よりずいぶんラフに構えるようになってきている。でも、まだまだ、いろんなものを引きずっている。

スナップって誰にでも撮れてお手軽なぶんいちばん慎重にならんとあかん。その緊張感がええのかもしれない。あと、ものごとを権威づけるシステムというものが根っから嫌いなんだと思う。真っ白い箱の力を借りてただの写真を「作品」にしてしまうこととか齟齬があった。

展覧会をして、わざわざ遠いところから足を運んでもらって、写真を見てもらうことにも気後れがあった。写真なんて流通のしようはいくらでもあるのに、わざわざ展覧会の会場に来てもらうんだったら、その会場じゃないと得られない体験を提示しないといけないと思っていた。だから、作品は自然とインスタレーションのかたちを採ってきた。展覧会という作品発表の形式が最初にあって、そこからインスタレーションという作品形態が導きだされるのは、順序がおかしいんじゃないか。まず作品があって、それに適した発表形式を選ぶのがまっとうなんじゃないか。

わたしはスナップを撮るのがいちばんしっくりするし、スナップなら点数もたくさん見せたほうがいい。いまは冊子形態やweb媒体といったものに発表形式をシフトしようと思っている。だから展覧会をするつもりはまったくない。数年かけてスナップを撮って、それを適切な方法で見せる。中長期プラン。だから毎日少しずつ撮りためていっている。

わたしは美術からスタートしたのではなく、写真からスタートしたのだから、写真は写真のままでいいんだ思う。わざわざ白い箱に持ち込んで「作品」として見せることを意識しなくていい。さりげない方法ですばらしい視覚体験を提示できれば本望。

写真を使わない

コンペ用に過去の作品をまとめると同時に、あたらしい展示プランを考える。

いろいろ作業をするなかで見えてきたこと。

現時点でわたしは、
写真そのものよりも空間展示に関心の重心がある。

ホワイトキューブの展示を前提とするプランの公募で
わたしがしあげたプランは、写真を使わないインスタレーション。

写真を撮っているうちに鋭利になったのは、光と影に対する感覚。
特に、影に対してはフェティッシュなほどにひきよせられる。
言葉で説明はできないけれど、そこにわたしにとっての「必然」がある。

影をテーマに作品をつくりたいと思っていたことにいまさら気づき、
大きなホワイトキューブに写真を展示するより、
影で空間を構成することを考えたいと思った。

すこし実験をはじめたから、このまま続けてみようと思う。

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