テスト撮影

300mmあたりをカバーできる望遠ズームを探してカメラ屋さんに行く。デジカメのボディを持って行って、4種類のレンズをつけかえて壁をパシャ。8mくらい先の壁にかかっている商品のパッケージ。こうして見てみると描写にずいぶん差があるもんだなぁ…とつくづく思う。

レンズのテスト

いちばん左が古い設計で順に新しくなって、いちばん右が最新の設計だそう。4種類の中で一番古い設計のやつが、いちばん鮮明(で、いちばん安かった)。やっぱり実際にテストしてみないとわからんもんです。

Secret Knowledge

David Hockneyの『Secret Knowledge(秘密の知識)』
を精読する。

彼の仮説は、

  • 画家による光学機器の使用は1420年代にフランドル地方にて始まった(鏡のレンズ)
  • 16世紀には、個々の画家が実際に用いたかどうかは別として、ほとんどの画家が光学機器を用いた映像の影響を受けている

というもの。すでに確証されたフェルメールのカメラ・オブスクーラの使用より、はるかに早い時期に光学機器が用いられており、それがかなりの影響力を持っていたという。いずれも仮説なので、ことの真偽は留保しておくにしても、とても興味深い内容だった。

前からカメラ・オブスクーラの存在は知っていたけれど、わたしはごく一部の画家が部分的に用いた補助的な道具というニュアンスで受けとめていた。著者は実際に、明るいところにモデルを座らせ、暗い部屋でその像を写しとる実験をしている。その実験の様子を見て、はじめて「光学機器の使用」がどういうことかを理解した。

暗い部屋の中で、紙の上に投影された映像の輪郭をなぞっていたのだ。それは描くというより、写しとる作業に近い。画家が独自の線を生み出すという思い込みが崩れた。わたしにとっては、光学機器の使用がはじまった時期云々より、画家の光学機器の使い方が明らかになったことのほうがよっぽど衝撃的だった。

印画紙が発明されるまで、いわば画家たちはカメラの中で映像を画布に写しとっていたということになる。写真のフィールドからすると、射程に入れるべき映像の歴史が4世紀ほど前倒しになる可能性が出てきたのだ。

カメラが19世紀に発明されたと誤解している人は少なくない。カメラは発明ではなく、自然現象である。暗い部屋の雨戸に小さな穴が開いていれば、それだけで光学的な映像の投影はごく自然に起こる。カメラ・オブスクーラとは文字通り「暗室」を意味する。レンズも鏡も必要ではない。ただしそのままでは映像は薄暗いか、ぼんやりしているか、あるいはその両方である。大きな開口部にレンズを取り付けると、映像はずっと明るくなり、ピントも鮮明にあわせることができる。「写真」の発明とは、じつはカメラの内部に投影される情景を定着する化学薬品の発明にほかならない。しかしカメラのなかに投影された映像は、写真以前の何百年にもわたり、人びとの目に触れてきた。
(David Hockney 『Secret Knowledge(秘密の知識)
』青幻舎 2006 p200から抜粋)

35mmのフィルムカメラ

35mmのフィルムカメラ

友人に譲ってもらったminoltaのフィルムカメラを持って撮影にでかける。
contaxのRTS2がオシャカになってからだから、久しぶりのフィルムカメラでのスナップ。電池も不要のこのカメラは、露出を自分で設定しないといけないから、うすぐもり、露出が安定している今日みたいな日は撮影しやすいと思う。

シャッター音が、ちゃんと機構が働いている音のようで清々しい。仕上がりを見てみないとわからないけれど、けっこう相性の良いカメラだと思う。

フィルムも現像料もどんどん高くなっていって、いずれフィルム撮影が「道楽」と呼ばれる日が来るのだろうけど、フィルムカメラが要求する作法が、普段なおざりにしていることを見つめ直すきっかけにもなるので、わたしにはまだまだ必要なものだと思う。

ペラリン

カメラ屋に行って、3Dデジカメで遊んでみる。いやぁ、おもしろいわ。

手前に物体A、奥に物体Bがあるとすると、AとBとの前後関係がすごく強調されて、AとBの間にある奥行きの空間はすごく意識されるんだけれど、AとBそのものの奥行きや量感があまり感じられなくて、物体そのものはペラリンとした感じ。

不思議だ。

ステレオ写真とかが流行った時代の視覚が、復権してきたともとれる。ちょっとおもしろくなりそう。

今年最後の作業は、

Tessarのレンズテスト。

これで、中判2機と、35mmのレンズのテストがほぼ終了。
摩耶山からの撮影では、被写体が遠すぎて、比較ができなかった。
今回、京都駅から街を撮影したくらいの中〜遠景くらいが、いちばん解像力の差が出て良かったと思う。

今回のフィルムを見た限りF11がピークのもよう。

ついこないだまで秋めいていたのに、気がついたら、街が冬の色にさまがわりしていて、びっくりした。もう年の瀬だものね。

週末から、もう一段、気温が下がるようだけれど、また少し、光もかわるのかな。

この夏の収穫。

近景、中景のテストではわかりづらかったけれど、遠景でテストしてみて、ようやくレンズの解像力を観察することができた。

ハッセルのプラナー80mmよりPENTAX67のSMC105mmのほうが、解像力が高い。

数kmの道のりをかついで歩くには、華奢なハッセルのほうが良いのだけれど。機動性と解像力、どっちをとるか、悩むところやね。

実験と観察。この夏の収穫。

3台目のカメラを購入。

今年、3台目のカメラを購入。

カメラに限らず、多くものを持つことは好きではないのだけれど、数十万円の費用をかけるロケに失敗は許されない。中判のサブ機はやっぱり仕事に必要、と、苦渋の決断。

おおいに悩んだあげく、学生のころから使い慣れた機種を購入。

ファインダーからのぞく世界、けっこう良い感触。
早速、レンズのテスト。

ハッセルがやきもちをやかなければ良いのだけれど…。

レンズのテスト

被写界深度の深さとピントそれ自体の質とは別ものだということを教えてもらい、朝から出かけて、35mmと中判のそれぞれ、レンズのテストを行う。

それってほぼ「ふりだし」っちゅうことやねんけど。かなりショックだったんだけど。

簡便なのが写真の良いところではあるが、道具の特性をきちんと知っておくほうが、何も知らないで使うより賢明だろう。

square

晴れた!

早速、届いたカメラのテスト撮影に出かける。
35mmの目になってしまっているから、ロクロクのsquareフォーマットに違和感を覚える。

作品は合成前提だから、もとのフォーマットは無効化されるけれど、
問題はほかの撮影で使うときやなぁ。

squareのフォーマットは、たいした写真やなくても、それっぽく見える魔力があるからなぁ。

気をつけないと。

中判カメラが届く。

しばらく雨マークが続くから、わずか1時間の昼休みに抜け出して強行でテスト撮影。ええあんばいに薄曇り。絞り22から2.8まで徐々にひらく。

撮り終えてから、気がつく。
本番で使うセットやないと意味ないやん…と。

気をとりなおして、ネットで公開されている、被写界深度の計算プログラムで計算してもらうと、40m離れた被写体にピントをあわせると、絞り2.8でも、19.360m〜∞までが被写界深度。ほんまなんかなぁ。

被写界深度の式、疲れていないときにちゃんと自分で計算してみよう。かなり理科や算数に近い。ま、数字じゃ納得できなくて、どうせ見てみないと気がすまないんだけど。

問題点は、水平垂直はええとしても、暗いなかで被写体に対して正面、がきちんと保てるのか…。思っていたよりずっと撮影条件が厳しい。

拒絶反応

新しいカメラのフォーカシングスクリーンが肌にあわない。マイクロプリズムがうるさい。

マイクロプリズムの像を見ながらピントをあわせる操作をしているうちに、撮りたかったものの何がたいせつだったのかわからなくなる。

強制的にピントに意識を集中させられることで、撮る動機になったもの、場の持つニュアンスとかそういうものに対する意識がこぼれ落ちる。

思い返せば、写真を撮りはじめた最初の頃から、作品としての写真に対しては、画面の一部の「見せたいもの」にピントをあわせることに違和感があって、画面全体がくまなく大事だったりするものだとか、周縁にこそ意味があるものだとか、像そのものよりも画面から匂い立つ空気感とか距離感とか、に気持ちが向かっていた。わかりやすい視線の中心をつくることにも、全体で見ておさまり良い構図の一枚の絵をつくってしまうことにも「NO」という気持ちを抱き続けてきた。

しばらくこの拒絶反応と向き合ってみて、だめだったら、スクリーンをかえてみる。これだけ自分が拒絶していることがわかっただけでも良い経験だったと思おう。

新しいパートナー

CONTAX RTS2+Tessar45mm/F2.8。
路上のスナップ向けに最適なものをとセンパイに選んでもらった。

相当コンパクトだと思う。

フィルムの巻き取りミス。わたしの3日間の撮影は台なし。
慣れるまではそんなものかもしれない。
まだよくわからないでっぱりもある。

「きみのそのチョビはなんだ?」
「これはミラーアップですよ、リサさん。」
と、いまはまだお互いの自己紹介。

どうかイイ関係になれますように。