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なぜ写真は遠方を過剰に取り込むのか

 アウラとは、時間が映像を燃えあがらせ、音を立て、その音を消し去るときに作用する何かを名ざしている。それは、ベンヤミンが「視覚の無意識」と呼んだもの、すなわちプンクトゥム、盲点、可視的なものにおける接触と距離の盲点へわれわれを召喚して、危険と破滅の淵にさらすのだ。
 だがアウラとは、十九世紀には写真のある種の技術的問題、それもかなりやっかいな問題も意味していた。じつはその問題は、間接的にではあるが、ベンヤミンが語ろうとしていたことにもまさしく関連している。
 それは光暈と「ヴェール(かぶり)」の問題である。ある被写体が、よく理由のわからないまま偶然光の輪で取りまかれてしまうという、発光現象、あるいは光を防衛する現象の問題である。これは映像内に遠方が過剰に取り込まれることに関係するのだろうか。しばしばそのように考えられ、その過剰の理由が求められてきた。「なぜ写真は遠方を過剰に取り込むのか」が問われてきたわけである。
 これはまた、写真におけるスペクトルの問題、「スクリーン」と、ヴェールのかなたの啓示の問題、すなわち写真の魔術的で、悪魔的、涜神的な性質そのものの問題である。それは最終的には距離を隔てた接触という問題である。写真はそのあらゆる既知事項を覆したのだ。なぜなら写真に関しては、光のタッチや痕跡というのは虚辞ではなくなるのだから。以上のことを、医師イポリット・バラデュックの作品につかのま足を止めつつ描き出してみよう。(後略)
(『アウラ・ヒステリカ―パリ精神病院の写真図像集』 J・ディディ=ユベルマン著 谷川多佳子・和田ゆりえ訳 リブロポート 1990 p132〜p133から抜粋)

 ところで、子供は神経質な女性に劣らず「感じやすい(感光しやすい)」存在である。ある日バラデュックは自分の息子を撮影した。その子はたまたまこのとき、幼い両手のなかに雉の死体、それも殺されてまもない死体を持っていた。誰がその死骸を彼の腕に置いたのか、父親はわれわれに告げてはいない。いずれにしろその映像は、ヴェールがかかったふうに現像された。
 精神科医のバラデュックは、そこに、魂が帆に風を孕んだような状態が何か別の光によって乾板上に描き出されているのを見てとった……。こうしてアウラが初めて彼の眼前に現れたのである。この日を境にバラデュックは、アウラがその全貌を明らかにするまで、飽くなき探求を続けることになった。(後略)
(同書 p134より抜粋)

 (前略)彼はそれを「魂の運動と光」のカテゴリーとして包摂した。なぜ魂の運動かといえば、魂とは軌跡をもたない運動、したがって分離を伴わない距離、距離を隔てた接触を可能にするものだからである。なぜ魂の光かといえば、アウラとは、内在的で、霞んだ、不可視の、しかしながら(非常に感光しやすい乾板を用いさえすれば)図示できるものだからである!
(同書 p135より抜粋)

アウラは図示できる?!
わたしがはじめてアウラという言葉に接したのはベンヤミンの著書であり、もっと抽象的なものと思っていた。こんな具体的な現象のことなの?と混乱したので、ここで少し整理してみたい。上述のバラデュックがアウラを図像化した『人間の魂』を著したのが1896年。ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』を著したのはそれからおよそ40年後の1936〜1939年とされている。つまり、ここで書かれているのはベンヤミン以前の話。「アウラ・ヒステリカ」ということばも、精神科医シャルコーにより、ヒステリー発作の前兆をさして名づけられたが、それも19世紀のことである。

いま現在、作業をしていてかぶりの現象が見られれば、撮影環境を調べたり、レンズや機材に不備がないか、ということをまず考える。それに比べると、バラデュックはずいぶん奇妙なとらえ方をするようにも思えるが、その差こそが、19世紀と21世紀の社会における写真の受容のされ方の違いなのかもしれない。かぶりの現象がどこか魔術的な意味あいを帯びて捉えられていることや、「なぜ写真は遠方を過剰に取り込むのか」という問いのうちに、19世紀の社会において写真がどのように受容されていたのか、その一端が垣間みえるようで興味深い。

もう一点、気になったのは、サルペトリエール病院で、写真の実践が病院の一部門(service)の高みにまで昇ったことについての記述。

 service(部門)とは、それにしても恐るべき小語である。そこにはすでに隷属(servitude)と虐待(sévice)の意がこめられている。私の問いは単に写真が何に奉仕(servir)したのかということにとどまらない。サルペトリエールで、誰が、あるいは何が、写真映像への隷属を強いられたのかも問うているのだ。
(同書 p73より抜粋)

この本では、映像(写真)を生み出す過程で、ときに搾取の構造をとったり、ときに共犯関係をとりむすびながら、医師と患者たちがどう巻き込まれていったかということが描き出されているが、ふと、隈研吾さんの『負ける建築』の一節を思い出した。

写真という二〇世紀メディアは、二〇世紀建築のデザインの方向性を逆向きに規定したのである。

かたや建築、かたや精神病院の症例写真だが、写真というメディアの特性が、単に属性としてその内側に大人しくとどまっているのではなく、それをとりまく人やものに力学的な影響を及ぼしているという点で共通している。そう考えると、写真とは何かという問いを、写真の内へ内へと探るだけではなく、写真をとりまくものとの関係の中にも、何か見えてくるものがあるのかもしれないと思った。

アウラ・ヒステリカ―パリ精神病院の写真図像集

思いのほか写真論の色が濃かったけれど、19世紀〜20世紀の精神医学の進歩が社会にもたらした影響についてもっと明るければ、より得るところの多い本だと思う。今のところ、このあたりがわたしの限界なので、時間を置いてもう一度読み直したいと思う。