LISA SOMEDA

星ぼし (6)

ひとつ星の欠けたオリオン座。

 

まだ夜も早い時間、低い空に見えるのは、
ひとつ星の欠けたオリオン座。

星座を知っている、ただそれだけで、
見えないけれど、もうひとつの星の存在を、
そしてそれがまだ地平線のしたにあることを、想像することができる。

見えないものを想像すること。

そうすると、すこし意識がゆさぶられて、
ただ、目の前にあるものを受け入れるだけじゃなく、
自分とその周辺がもっと大きな宇宙の営みのなかにあることが感じられる。

覚えるのが苦手だったから、
星の名前も、星座もほとんど覚えていないけれど、
ひとつ星座を知るだけで、世界の様相ががらりとかわる。

世界がぐんと広くなるスイッチ。
知識って、きっとそういうものなんだと思う。

腕時計

 

午前2時の空。
星たちの確かな輪郭。もう冬は間近。

大学のころは、いつもこんなだったな、と思い出す。
作業自体は、それはそれは大変なんだけど、
深夜、天空に星を確認しながら、自転車で帰宅するの、けっこう好きだった。

目が覚めて、腕時計をしたまま寝てたことに気づく。
なんぼ忙しくても、それはないよね。

古のひとびとが、星をたよりに旅したように。

 

何度も、何度も、暗室の赤い光の下で泣いとった。
わたし、いったい何してるんやろうって。
あのころのわたしにとって、暗室がいちばん安心して泣ける場所やった。

いまはもうそんなこともなくなったけれど、
それでも、周囲の環境に流されてブレてしまうことが、ある。
迷いだらけで、自分の位置すらわからなくなることも、ある。

でも、幸せなことに、わたしには夜空に輝く星のようなひとがある。
古のひとびとが、星をたよりに旅したように。
わたしはそのひとの背中をはるか遠くにたしかめながら、
自分のいま在るところを、進むべきところを、おぼろげながらも見定める。

NAVSTAR

見失いかけたかなと思った矢先、メールが届く。
ほとんど地球の裏側の、南米エクアドルの軌跡とともに。

時々刻々、深まる蒼。

 

遠い異国の旗を思わせる、月と星の配列。
時々刻々、深まる蒼。

気づけたことに、ほんの少し安堵する。

空の色、花の香り、草木のあざやかさ、街のたたずまい、ほほをなぜる風、
こころが共振しないままカメラを持って歩いても、つらいだけだった。

時間を気にしながらの路上スナップは、かえって毒だ。

きちんと世界に感応できるだけの余裕を、わたしは死守しなければならない。

元旦、午前0時の星空は明晰だった。

 

元旦、午前0時の星空は明晰だった。

思いがけない瞬間に、ものごとの本質にさらっと触れるようなこと、めっきり少なくなった。日常の些事に埋没して、感覚が鈍ってきているのかもしれない、という危機感。

鋭利でありたい。

やってみたら、ええやん。

 

制作展が迫ってきたからだろうか。学生から質問を受けることがにわかに多くなった。できる範囲でアドバイスはしてみるものの、だめもとでも「やってみたら、ええやん」というのが正直なところ。試行錯誤でしかモノはつくれんのやから。

失敗を恐れているのかな。
まわり道をする時間がもったいないのかな。

でも、自分自身の学生のころを思い出したら、
この「やってみたら、ええやん」というの、よう先生から言われていた。
そのころのわたしは、失敗、したくなかったんだ。
効率的にゴールにたどりつきたかったんだと思う。

ひとのことになるとよう見えて、それは我が身にそのまんまはね返ってくる。

2006Dec16

星ってどうやったら撮れるんかなぁという学生からの質問に後押しされて「やってみたら、ええやん」の精神で星空を撮ってみた。やってみたら、欲が出てきて、ちゃんとフィルムで撮ってみたくなった。

この屋上から星を見上げることも、もうすぐできなくなるからね。