LISA SOMEDA

歴史 (3)

土に還る

 

昨年の秋の終わりに、念願だった森田真生さん(独立研究者)の講演を聞く機会を得た。てっきり数学をベースにした話になるとばかり思っていたら、PlayとGameの対比を軸に人類の起源から気候変動に絡む地政学まで、時代と分野を縦横無尽に行き交うとても刺激的な90分だった(頭をぐわんぐわん掻き回されたというのが正しい)。

その講演のあともずっと響いているのが、
「僕には庭師の友人がいて、彼はものを選ぶときにそのものが土に還るかどうかで、いいか悪いかを判断する。」という語りで始まり、
「その視点から見ると、遺跡は土に還らなかったものとも言える。土に還ることを善きこととし土に還った多数の人々ではなく、土に還らないものを残してしまったごく一部の特殊な人々のことばだけを紡いで歴史を記述するのはどうなのだろう?」という問いだった。

この問いはふたつの意味で心に残っている。
わたしは長く歴史に興味が持てずにいたが、網野善彦さんの著書に触れてはじめて、自分は支配者を軸とする歴史に興味が持てないだけで、民衆がどう生きたかという視点で描かれる歴史には強い関心があるとことに気がついた。その経験に通じるものを感じたというのがひとつ。

もうひとつは、作り手として自分の姿勢も問われているように感じたこと。〝土に還る〟というものさしと、どう向き合っていくか。

冬に向けて整理した朝顔の蔓、ユーカリ、南天の小枝などを使って手遊びのリースを仕立てながら、ベランダの植物だけでつくるリースはこの場所でともに過ごした時間の蓄積、ごくごくプライベートな歴史であり、そして気が済んだら土に還すこともできる。土に還るってなんだか安心感があるの、ふしぎだなぁ。ちょうどそんなことを考えていたところだった。

写真に携わっていると当然、劣化させずにどれだけ長期保存できるか?を考えてしまうし、作家としてはついどうやって後世に残すか?を考えてしまう。でも、経時変化を受け入れ、さいごは跡形なく土に還るという作品のあり方を選んでもいいはずなんだよなぁ…

非対称性

 

週末、ホー・ツーニェンの百鬼夜行展を観に、豊田市美術館を訪れた。

彼の作品をはじめて観たのは、2017年に森美術館と国立新美術館で開催された「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」だ。マレーの虎にまつわる映像が強く印象に残っている。

恥ずかしいことに、わたしはこのサンシャワー展をとおして、はじめてアジア地域における日本の侵略戦争、つまり加害の歴史を具体的に知った。

思い返せば、小中学校の課題図書で選ばれるのは、戦争でどのような被害を受けたかという話ばかりだった。歴史の授業でも、近現代史は学年末に足速に通り過ぎるようなものだった。高校では理数系を選ぶと自動的に地理に振り分けられるシステムになっていて、日本史とも世界史とも縁がなくなった。自国の侵略戦争についてほとんど何も知ることなく、あるいは知らされることなく、そして知ろうとすることなく、わたしは大人になってしまった。

くわえて、21世紀を生きるアジアの作家らが前世紀の侵略戦争を主題に選ぶまさにその事実によって、被侵略地域においては戦後何十年経っても「終わっていない」ことを思い知らされた。

加害者側はその先の人生で加害の事実を忘れたりなかったことにできるけれど、被害を負った側はその被害を忘れることもなかったことにすることもできない。加害と被害の立場には必ず、そういった非対称性が生まれる。

わたしが侵略戦争について知らずに生きてこられたこと、制作において侵略戦争を主題化せずに済んできたこと、その状況そのものが加害の立場の特権性なのだ。アジアの作家らが日本の侵略戦争を主題化する傍らで、日本人作家として何も知らずに「見るとはどういうことか」といった抽象的なテーマに取り組んでいられたこと、そこに立場の非対称性が現れている。

サンシャワー展においては、
欧米との関係でしか自らの立ち位置を考えてこなかったのではないか?
前世紀の戦争を被害の立場からしか見てこなかったのではないか?
そういった反省も促された。
近年の展覧会のなかで、もっとも深く考えさせられる展覧会だった。

だから、百鬼夜行展は絶対に見逃せない展示だった。

開催中の展覧会について多くを書くのは控えるが、百鬼夜行展ではとりわけ、ふたつめの『36の妖怪』が印象深かった。一瞬にして観者を傍観者の位置から引きずり下ろすその鮮やかな手際に、思わず息をのんだ。

もしまだ観ていなかったら、是非観に行ってほしい。

彼岸

 

歴史は苦手科目だったのだけれど、昨年あたりに出会った網野善彦の著書がおもしろくて、時間を見つけては、読み進めている。

川岸を撮っていることもあって、気になって読んでみたのが、『河原にできた中世の町―へんれきする人びとの集まるところ (歴史を旅する絵本)』(網野善彦著 司修絵 岩波書店 1988)。これは、児童書にしてはとても深く難しい内容を扱っている。

ふるくから、川べり、山べりなどの、自然とひとの生活の営まれる世界との境目が、あの世とこの世の境だと考えられていた。だから、向こう岸(彼岸)は、そのまま彼岸なのだ。ここ数週間スキャンしていたフィルムは、彼岸の写真だ。

写真家の中には、人の営みと自然との境がおもしろい、という人がけっこう多いのだけれど、そういう境に魅かれる気持ちの奥底には、本人も自覚しないかたちで、生と死に対する関心が横たわっているのかもしれない、などと思う。

さらに、そういう境の場所は、人の力のおよばぬ神仏の世界に近いので、人と人のこの世での関係もおよばないところとされ、物と物、物と銭を交換しても、あとぐされがない、ということで、商いをする場所として、発展した。

おもしろいのが、もし人びとの生活の中で物の交換が行われ、物を贈ったり、お返しをしたりすれば、人と人との個人的な結びつきが強くなってしまい売買にはならない、という理由で、ものの交換や売買を行う場所として、この世の縁とは無関係な場所が選ばれた、といういきさつ。

そういう、ひとの生活意識をベースに、社会がどう構成されていったか、という描写がとてもおもしろい。

今村仁の著書にある、貨幣と死の関係が、どうしても実感として理解できなかったけれど、これを機にもう一度読み直してみようかな。