LISA SOMEDA

家族 (40)

積みすぎた方舟

 

熊谷晋一郎さんの著書を読むのは『リハビリの夜 (シリーズ ケアをひらく)』以来。外出先で読んでいたのに、思わずうるっときてしまった。

未踏の社会に対して、失敗しつつも一歩を踏み出しつづけられるのは、どこかで社会のこと、他人のことを信頼している子供です。その、いわば根拠なき他人への信頼は、おそらく親との関係によって育まれる部分が大きいように思います。困ったときに誰か助けてくれるはずだと信じ、助けを求められるようになるには、困ったときに、下手でもいいから誠意をもって応じてくれた親との関係の記憶が、何よりの財産になるでしょう。そしてまた、自分を育てるにあたって、困った親が社会にヘルプを出したということ、そして、社会が親を救ってくれたということを、子は見ています。小さい子にとって、自分と親の境界線はあいまいで、親が社会によって助けられる姿は、自分が社会によって助けられる姿と不分離なものです。子が社会を信頼できるようになるという意味でも、育児を抱え込まず社会にヘルプを出す姿を子に見せることは大変重要だと思います。

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」』 熊谷晋一郎 大澤真幸 上野千鶴子 鷲田清一 信田さよ子 青土社 2013 p108より抜粋

人が社会(他者)に抱く印象は、その人と養育者との関係とパラレルだと、うっすらと感じていた。養育者への不信感は、そのまま社会(他者)への不信感だ。だから、まず、我がこととして刺さったというのもある。でもそれ以上に切実なのが、今の不寛容な社会が、想像以上のダメージを次世代に与えるかもしれないという危機感。

今、子育てをしている親たちは、不寛容な社会の中で、多かれ少なかれ萎縮していると思う。社会の側から「助けるよ」というメッセージを明確に示さない限り、「ヘルプを出す」ことすら難しいのではないかと思う。親たちを救えるように、また、親たちが躊躇なく救いを求められるように、社会を整えることが急務だと思う。

祖父の朝顔

 

20年近く前に亡くした祖父の朝顔の種。
なんとなく持ち続けていたのを、今年は、なぜかふと植えてみる気になった。

植物の種とはすごいもので、そんな昔のもの(採取されたのはもっと前かもしれない)でもしっかり蔓を伸ばし、青々と葉を茂らせている。

みるみるうちに蔓を伸ばす朝顔を朝に夕に眺めながら、紫陽花には紫陽花の、向日葵には向日葵の、朝顔には朝顔の生存戦略がある、ということを考える。

そうならねばならぬのなら

 

 千島列島の海辺の葦の中で救出されたあと、リンドバーグ夫妻は東京で熱烈な歓迎をうけるが、いよいよ船で横浜から出発するというとき、アン・リンドバーグは横浜の埠頭をぎっしり埋める見送りの人たちが口々に甲高く叫ぶ、さようなら、という言葉の意味を知って、あたらしい感動につつまれる。

「さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ」

(『遠い朝の本たち』 須賀敦子著 ちくま文庫 2001 より抜粋)

ものごころついたときから、そうだった。
どうしようもなくかなしいときは、むさぼるように本を読んで、いっとき、現実から身をひく。
今日もまたそのように現実から遠ざかろうとして、当の文章に引き戻された。

さようなら
「そうならねばならぬのなら」

91歳で他界した祖母の葬儀で、
最後に母が棺の中の祖母に向けて「おかあさん、さようなら」と言ったのを覚えている。

そのときの、さようなら、には、
その別れを、かなしみもろとも受け入れる、母の決意が感じられた。

「そうならねばならぬのなら」

でも、一生かかっても、
さようなら、と諦めることのできない別れも、あるんじゃないだろうか。

子どものころのこと

 

久しぶりの更新。
3連休の最終日、ふらっと神戸にお出かけ。
秋物のシャツを探しに元町のStjarnaに。
お目当ての黒いシンプルなシャツはなかったけれど、かわりに白い動きやすそうなシャツを購入。

店長さん、今日は朝から姪の運動会に行ってきたそうな。
姪は走るのが得意ではなくてすごく悔しそうだった、という話を聞いて、そういえば、走るのが遅いとか、大人だったら一週間もすれば忘れることでも、子どもにとってはすごく重大でとても深刻だったりするんですよね、ということを話す。

それから岡本に戻って、甥の誕生日プレゼントを買いにひつじ書房へ。
絵が気になっていたおばけの絵が表紙の本を探していると伝えると、店長さんが少し怪訝な顔をして「子どもをこわがらせるの、あまり良くないと思いますよ」とおっしゃられ、眠るときに読み聞かせる本だったら、こちらのほうがいいですよ、と「おやすみなさいおつきさま」という本を薦めてくださった。おばけの絵が表紙の本は子どもによっては怖がって破いてしまったりするそうな。

少し戸惑いながら、薦められた本を開いてみると、綺麗な色づかいで、うさぎが眠る前にいろんなものにおやすみなさいと挨拶していく本で、すごく愛らしく素敵だったので、迷わずこちらをプレゼントに。

こわがらされて眠るより、一日のなかでお世話になったものたちそれぞれに、順におやすみなさいを言って眠るほうがおだやかで良いよなぁ。

今日は「子どもは思っているよりずっと繊細な生きものだ」ということを思い出すための日だったのかもしれない。そして、自分のこころの在り様が、日に日に殺伐としていってるよなぁ…と思い知らされもした。

単語帳をのぞいてみる

 

毎日コツコツ英語の勉強をしていると言いはっているので、ちょっと母の単語帳をのぞいてみる。

skip out…夜逃げする
become a beer belly…ビール腹になる

…この単語、いつ使う気なんやろか。

その夜届いたのは、

 

5キロのさつまいも。フロム KAGOSHIMA。

これを受け取るために、そそくさ帰宅したのだよ。

「いも5キロ送るよ」という妹からのメールに、深く考えずに「はいはーい」と返事をしたが、その時点ではいも5キロがどのくらいの量か想定できていなかった。多い…

2キロの米を食べるのに数ヶ月…5キロのいもって…

ま、こぶりなので、小腹がすいたときに、ちょこっと焼き芋にして食べるには良い。でもやっぱり多いなぁ…さつまいも料理のレパートリーを増やそう。まわりのひとにお裾分けもしちゃおう。

まだ焼きいもしかしてないけれど、実においしいです。そして、よく見ると箱に書いてある文字もなんだか愛嬌があってかわいらしい。

九州物産のお礼に、今度チョコレートバーガーでも送ろかな。

老い

 

(前略)とりわけ、十九世紀に入って地球全体が世界資本主義の網の目にとらえられていく過程では、生産力の向上、技術革新、国際的規模での分業体系の深化、商品輸出や資本輸出のための市場争奪戦と帝国主義戦争の勃発、第二次大戦以降ではとくに西欧資本主義国間の貿易競争や商品開発競争の激化、といった現象が次から次へと展開し、この過程にまき込まれる個々人の日常生活は多忙をきわめるだけでなく、人生の浮沈も激しい。個人の人生は、経済という戦場で闘う戦士の人生のごときものであって、こういう個人に要求される資質は身体頑健、決断力、つねに生き生きしていることであり、つまるところ、若さである。経済戦争は老人ではやりぬけない。戦士は、つねに青年であり、せいぜい年をくってもかぎりなく青年的な壮年者でなくてはならない。経済戦争に耐えることのできないものは、たとえ若者であっても、老人であり、本物の老人がこの戦いで勝ちぬける見込みははじめから閉ざされている。近代や現代の経済生活では、老人であることはつねにマイナスの価値であり、老いの価値ははじめから極小値をとる。

 偏見をはなれていえば、幼年、青年、壮年、老年といったライフ・サイクルの各時期の間に価値の上下はない。本来は、それぞれの人生局面にはそれ固有の意義があるはずであり、子供と老人は社会のクズで、青年や壮年が社会の大黒柱だということはありえない。純粋に肉体的にみれば、若い者が強いのはあたり前だ。しかし肉体的に強いことと価値的に高いこととは、ストレートには結びつかない。にもかかわらず、近現代社会では、肉体的強さ=若さと価値観的プラス性とがストレートに結びついてしまった。それは個人の先入見とか、物の考え方の軽薄さといったものではない。近代市民社会とそれをドライブする資本主義市場経済が生みだしたイデオロギーこそ、老いの価値低下をひきおこしてきたし、今もそうである。

(『精神の政治学―作る精神とは何か (Fukutake Books)』今村仁司著 福武書店 1989 p141-142から抜粋)

もう20年以上も前に書かれた本。21年前だと、わたしは14歳か。両親がそろそろ「介護」に向き合わなければならなくなりはじめた頃に書かれたものだ。

それでも、この文章がそんなに古く感じられないのは、この20年の間に、老いを支える制度はそれなりに整いつつあっても、老いをとらえる人びとの意識それ自体は、それほど変わっていないからだと思う。

昔、撮影を依頼された商品が「アンチエイジング」を謳う化粧品だった。宣材写真を撮るのははじめてのことだったから、撮り方を教えてもらおうと思って頼んでいたひとに、まっこうから拒絶された。

肩こりの薬が肩こりに効くというのは単に効能を示すもの。
でも、アンチエイジングは、イデオロギーだ。
あなたはそれに加担するのですか?
と。

その時点では、まったく意味がわからなかった。
けれど、今ならよくわかる。

どうもありがとう。

 

今年もまたこの季節がやってきて、みなさまからあたたかいメッセージや、お祝いの品々をいただきました。どうもありがとうございます。

今年はなんとまぁ、立派なまげわっぱのおべんとばこだとか、本革のがま口だとか、

実用的で、かつ、渋いセレクトのプレゼントが、
京都から熊本から届きました。どうもありがとう!
(あ、所長にシーサーのガムももらったわ☆)

KUMAMOTOと書かれた、’からしれんこんポストカード’も秀逸です。

そして毎年恒例のように風邪をひく…(気温が下がる時季に生まれたんだよなー)

姉妹2

 

妹「季節的にそろそろタケコプタ」
姉「9月はまだ猛暑日が続くのでANAをご利用ください」
妹「じゃぁ通り抜けフープ」
姉「ご、ごめん。フープ、在庫きらしてる…」
妹「フープ在庫切れ?」

妹よ、安心するがいい。

遠く熊本に住んでいようが、きみのこのしつこさは関西一流だ。

家族

 

最近読んだ2冊の本に、立て続けに家族についての記載を見つけたので、少し気になった。とりあえず、抜き書きをしておこう。考えるのはあとにして。

 たとえば核家族が住まうための家を建てることに、二〇世紀の人々は懸命になった。二〇世紀の経済を下支えしたのは、「持ち家」への願望である。従来の地縁、血縁が崩壊し、近代家族という孤立した単位が、大きな海を漂流しはじめたのが二〇世紀であった。近代家族という不確かで不安定な存在に対して、何らかの確固たる形を与えるために、彼らは住宅ローンで多額の借り入れをしてまで、家を建て、家族を「固定」しようとした。あるいはコンクリート製のマンションというかたい器のなかに収容することによって、存在の不安定を「固定」しようとした。地縁、血縁が崩壊したことで不安定になってしまった自分を、コンクリートというがちがちのもので再びかためたいと願ったのである。
(『自然な建築』 隈研吾 岩波新書 2008 p9より抜粋)

 このことを建築家の山本理顕さんは、もう少し厳しい口調で次のように書いている。「〈家族という—引用者注〉この小さな単位にあらゆる負担がかかるように、今の社会のシステムはできているように思う。今の社会のシステムというのは、家族という最小単位が自明であるという前提ででき上がっている。そして、この最小単位にあらゆる負担がかかるように、つまり、社会の側のシステムを補強するように、さらに言えばもしシステムに不備があったとしたら、この不備をこの最小単位のところで調整するようにできている」、と。

 その最小単位じたいが、いま密度を下げている。独特の密度を可能にする閉じた関係を内蔵しにくくなっている。塗り固められた燕の巣のように、内部を密閉する鉄の扉によって、かろうじてイメージとして維持されているだけの内部を外部からがちっと遮断しているだけだとしか言いえないような家族も増えている。この防波堤が外されれば、イメージとしてかろうじて維持されている家族の形態もすぐにでもばらけてしまいそうだ。

(『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』 鷲田清一 筑摩新書 2010 p148より抜粋)

ちょうど、児童虐待のニュースが取りざたされていたから、余計に気になったのかもしれない。

子育て中の友人を訪ねて行ったとき、「わたしなんて、まだ仕事をしているから良いけれど、そうでなかったら24時間ずっと赤ちゃんと二人っきりなんだよ。大変なんだよ。会いに来てくれて嬉しかった。」としみじみと言われたことを思い出す。

そのとき、子育て中のお母さんは、想像以上に孤独なのだと思った。
そして、ひとつの命の責任を24時間引き受けることの重圧。

自分の親も決して100点満点の親ではなかったけれど、その親を相対化できる程度には、さまざまな大人に『からまれていた』と思う。

ズケズケ物を言う友だちのおかん、親よりも厳しいピアノの先生、いつも美味しい料理で迎えてくれる祖母、周囲の大人との関係が、案外、親子関係の弾力となっていたのかもしれない。家族関係を小さく小さく密閉することで、そういう弾力性が削がれていっているのかもしれない、という気がした。

姉妹

 

妹(27)と姉(34)のメール。

妹「あぁ、帰りたい(涙)」
姉「帰りたい(涙)」
妹「あーん、どらえもーん(涙)」
姉「どこでもドアがほしい(涙)」
妹「タケコプタ」
姉「これからの季節、暑いのでは?」
妹「う…」

どっちが先に音を上げるかな。
どこでもドアほしい…

23時の高速バス

 

やっと週末☆と思って帰宅したところに、母親からのメール。

「祖母が肺炎で入院」

90を過ぎた祖母のこと。何があってもおかしくない。
あわてて一番早く神戸に帰られる足を確保する。
23時の高速バス。

2週つづけての帰省は体力的にはきついけど、それでも、家族であるということは、大事な局面に都度「居合わせる」ということなんだと思う。そしてそれは、わたしが何より大切にしていることなのだ。

ということで、そろそろ準備をして家を出ます。

新しい視界

 

GWは実家で1歳直前の姪と遊ぶ。

義妹の話で興味深かったのは、赤ちゃんが立とうとしたり、高い高いを喜ぶのは、新しい視界を得ようとしているからだ、という話。新しい視界を得たいという欲望は、そんなに早いうちから点火されていたのか、と思うと、ちょっと戦慄が走った。

その姪は、口のまわりについたご飯を拭こうとすると、激しく拒絶する。

もしかして…と思って、自分の手が姪の視界を遮らないように、あごのほうからふきんを口のまわりに持って行くと、これがおもしろいくらい、嫌がらなくなった。姪が嫌がっていたのは、口のまわりを拭かれることではなくって、視界を遮られることだったのかもしれない。

これはなかなか、奥が深そうだ。

いまの姪にとって「見る」がどういうことなのか、どういうことになっとるのか…うーん、ものすごく興味深い。

節分

 

太巻

節分です。
今年のホームメイド恵方巻の参加者は、
しいたけ
みつば
たまご
うなぎ
です。

お米二合で、太巻4本。

とりあえず、写メで記念撮影。
すると、熊本に住む妹から「我が家の自慢の太巻」写メが届く。
妹は関西を離れて、余計に関西を意識しだしたのでしょう。ふふふ。
写メを介し、ちょっとした太巻対決。

恵方巻なので、今年の恵方、西南西を向いて無言で食す。

意外とボリュームがある。

残り3本を横目で見つめ、途方に暮れる。
味が落ちないうちに食べ切るのは無理…。

ということで、
吉田神社の節分祭に行く約束をしていたハルさんに、1.5本献上することに。

吉田神社の節分には、日本中の神さまがやってくるそうです。八百万。
にぎやかでいいじゃないですか。

22時。百万遍で待ち合わせをし、まずは、本殿でお参りする。
そのあと、お菓子の神さまにも手をあわせて、
さらに八百万の神さまの集合場所らしきところに行って、お参り。

地方名とやたらと具体的な神さまの数(?)が書かれたお社を
よくわからないままに、ぐるぐるまわる。

寒いので、日本酒のぬる燗をいただき、
からだも温まって良い気分になったところで、23時。

飲食の神さまのところに少し寄ってから、メイン会場に向かう。

吉田神社の節分

2/3のメインイベント。激しくお札が焼かれています。
一年の無病息災を祈るそうです。

無事、この1年を乗り切れますように。

炎って、やっぱりテンションがあがる。
寒い夜だったから、あったかくてありがたい、というのもある。
炎のまわりは、ぎゅうぎゅう押されて大変でした。
(太巻の具材になった気分が味わえます)

純粋な信心だけでお参りしているのではなくって、
こういう行事っておもしろいんだと思う。

厄年にお参りした壬生寺の節分のほうらく割りだって、
すごく楽しかった。

炎であったり、やたらたくさんのお社であったり、
参拝者がおもしろいと感じる「仕掛け」がそこここにあって、
そこには、ちゃんとテンションがあがる要素や、
関心をひきつける要素が盛り込まれている。
そして、みな気分良くおさいふを開く。

積極的に、燃やすとか割るといった破壊行為がとられるのは、
そこに個々人の破壊衝動が転嫁されることで、
日常生活の「ガス抜き」の機能も果たしているのかもしれないと思った。

ひとを集め、ものを見せ、体験させるしくみとして、
お祭りとか寺社の年中行事だとかは、
相当練られたシステムだとあらためて思った。

え?このテンションは日本酒のせい?

ひとのありよう

 

なかば強引にハルさんを食事に誘い出す。

こんな紅葉まっさかりの季節に生まれてきたのに、
なんで寒色ばっかり好きなんやろ?

と尋ねたら、ハルさんは、
それでも、この季節は、玄関にいっぱい紅葉を敷き詰めてる。と言う。
あの落ち葉をふむカサカサという音が家の中で聞こえるのは、ちょっと楽しそう。


おかんの話。

何年か前の同窓会で、幹事をしていたノブちゃんが、
幹事の打ち上げの席で、感極まって泣きそうになったんやけど、
おてんばで名のとおったノブちゃんを人前で泣かしてはいけない、と思って、
かわりにわたしが泣いてん…という。

かわりにわたしが泣く???
(まぁ、他人に先に泣かれたら泣けなくなるものね…)
おかんって、そんなんやったっけ?
ほんまなら、ちょっといいやつやん…。

おかんで30余年、ハルさんは10年くらいのつきあいだけれど、
まだまだ知らないことがいっぱいあるんやなぁ、と思う。

ひとのありようにこころが触れる、ということは、
このところめっきり減っていたのだけれど、
これは、たてつづけにふたつ、ほんのりこころがあたたまった。

どうもありがとう。

 

シルバーウィークの帰省にあわせ、実家にて前倒しでお誕生日会。
その数日後、両親が京都に来た折りに、あらためてランチでお祝い。
その翌日、エッちゃんとオヨシから少し気の早いハガキが届く。

深夜、妹にはじまり、朝にはエッちゃんとクニちゃん、そして母からお祝いのメールが。
午後はイマムラさんに映画に連れ出してもらい、楽しい時間と素敵なプレゼントをいただく。
帰ったら、ポストにはサワイちゃん一家からの家族総出の寄せ書きハガキが。
そして、東京のケイコさんから届いたお菓子とカードは母屋の奥さんが預かってくれていた。

34度目の誕生日をこんなにもたくさん祝ってもらって、
これ以上いったい何を望もう。

居場所のない思いをすること、
ふと、いなくなってしまいたくなることが、決して少なくはなかったけれど、
たくさんのあたたかい想いが、この世界にしっかりわたしをゆわえつけてくれている。

どうも、どうもありがとう。

じいちゃん、おかえりなさい。

 

今朝起きると、朝顔の花が開いていた。

15年前に亡くなった祖父がおとりおきしていた朝顔の種を、
咲くかどうかもわからず蒔いたもの。

芽が出たあとも、
陽当たりの悪いこのベランダではまさか咲くまいと思いながら育てていたから、
感慨もひとしお。

淡い藤色の花は、祖父らしい上品な色あい。
お盆だし、じいちゃん、帰ってきたんだね。

開くところを見たいから、明日はもう少しはやく起きよう。

朝顔を愛でる姫

 

年をおうごとに、毒づく母。

しばらく母からのメールには、面倒がって文字なし絵文字(表情)のみのメールしか返さなかったのだけれど、昨日ちゃんとした文章を送ったところ、母から返ってきたメールは、

おお、朝顔を愛でる姫より文あり、恙無きや。

「文あり」というおおげさな表現に、最近のつれない絵文字のみのメールに対する非難が。

「朝顔を愛でる」のくだりは、ここのところ「帰って朝顔に水をやらなきゃ」と言っては早々に実家をあとにするわたくしに対する揶揄が。

三十すぎの娘をわざわざ「姫」と呼ぶところには、ほとんど悪意が。

ひしひしと感じられる。

母よ、腕を上げたな。

いのちがくるくるめぐる。

 

おじいちゃんのおとりおきしていたアサガオの種を植えてみた。

陽当たりの悪いベランダだし、期待はしていなかったけれど、
今朝見ると、心配になるくらい色白の芽が出ていた。

半年ほどのあいだ、こぶりなクローバーが一輪、葉を広げていた。
ふゆの寒さも陽当たりの悪さも乗りこえて、たった一輪、生き続けるその頑な姿に、
ほんとうは、毎朝、励まされていた。

さすがに、葉に穴があいてきて、もうそろそろ引退かな、と思った矢先、
バトンタッチ、新しいクローバーが芽を出した。

小さい鉢のなか、いのちがくるくるめぐる。

びは乱調にあり

 

「びは乱調にありは瀬戸内寂聴。貴女にとってびとは?」

唐突なメールをよこしてきたのは、おかん。
び→美くらい、ちゃんと変換せえよ…。

「ゆらぎ そして、きわ」
と返す。

その返答には納得した様子だけれど、
たまに、こういう問いを携帯メールで送ってくるから、油断ならない。

幾千のディテイルの積みかさね

 

母は映画が好き。
BSで放映されている辺境の地の映画をもっぱら好んで観ている。
居間で一緒にゴロゴロしながら映画を観ていると、彼女が言う。

「(映画って)すごいわよね。それこそ幾千のディテイルの積みかさねじゃない。」

おっと、おかん。ええこと言うやん。
「幾千のディテイルの積みかさね」
素敵なフレーズや。どこからパクってきたんやろ…。

そんな母に、
「深夜、寝しなにテレビつけたら、ニューシネマパラダイスやっとってん。」
と言うと、「あら、そんなん寝られないじゃない。」と。

まったくその通りだったのが可笑しかった。
翌朝早くに用事があるのがわかっていながら、
〜早朝4時の放映を最後まで観てしまった。

4度目なのに、泣きながら。

時間を分断しない

 

京大周辺の古本屋をつたっているうちに、
思い立って、久しぶりにガケ書房に立ち寄る。

当初の目的は九鬼周造の著書を探すことだったのに。

ひきこもれ
いささか乱暴なタイトルだな、と思いながら手に取ったのは、吉本隆明の著書。
このひとの本、何度も読もうとして、挫折してる…と、少し躊躇もあったのだけれど。

いざ開いてみると、ずいぶんやさしい文章で綴られている。
たぶん、不登校やひきこもりまっただなかの若者に向けて書かれたものなのだろう。

ほとんど家にこもり机に向かって仕事をする父親を見て育ったから、
下に抜粋するひきこもりについての記述は、わたしにとっては自明のことなんだけど。

世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のものです。

(『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)』吉本隆明 だいわ文庫 2002から抜粋)

そこから、話は「子どもの時間を分断しないようにする」と展開する。

「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にもかならず必要なのだとぼくは思います。

という視点から、親の立場として書かれている文章を抜き出してみると…

(中略)くだらない用事や何かを言いつけて子どもの時間をこま切れにすることだけはやるまいと思っていました。
 勉強している間は邪魔してはいけない、というのではない。遊んでいても、ただボーッとしているのであっても、まとまった時間を子どもにもたせることは大事なのです。一人でこもって過ごす時間こそが「価値」を生むからです。
 ぼくは子どもの頃、親に用事を言いつけられると、たいてい「おれ、知らないよ」と言って逃げていました。そうして表に遊びに行って、夕方まで帰らない。悪ガキでしたから、その手に限ると思っていました。
 そうするとどうなるかというと、親はぼくの姉にその用事を言いつける。姉はいつも文句も言わずに従っていました。
 いま思っても、あれはよくなかったなあと反省します。つもり、女の子のほうが親は用事を言いつけやすい。姉本人もそういうものだと思って、あまり疑問をもたずに用足しに行ったりするわけです。
 そういったことを当時のぼくはよくわかっていた。そして、うまく逃げながらも「自分が親になったら、これはちょっとやりたくないな」と思っていたのです。
 ぼくの子どもは二人とも女の子です。女の子が育っていく時に一番大きいハンデは「時間を分断されやすい」、つまり「まとまった時間をもちにくい」ということなのではないかと思うのです。それ以外のことは、女の子でもやれば何とかなる気がするのですが、これだけは絶対に不利です。

この文章を読んでやっと、幼いころ抱えていた怒りの正体がわかった気がした。わたしは用事を言いつけられると、「いや」と言ってまっこうから母親と喧嘩して育ったほう。ずっと手伝いが嫌いなのかと思っていたけれど、いま思えば、それは手伝いがしたくないのではなくて、集中して何かをやっている最中に腰を折られることに腹を立てていたのだと思う。そういう意味では、母はとてもどんくさく、わざといやがらせをしているのか、相当無神経なのか、ことごとく言いつけるタイミングをはずし、なんでいまやっていることが終るまで待ってから声をかけてくれないのだろう?と、毎日怒っていた。

そのせいで、わたしは自分が家事が好きであるということに、ながいあいだ気づかずにいた。

いまさら、親のことをとやかく言うつもりはないけれど、自分がされていやだったことは、自分の子どもには絶対にしないでおこう、と思う。もし子どもを持つことがあれば。

そして、いま自分のこととしては、制作のための時間をまとめて持てるように、もう少し工夫しよう。ここのところ、人から頼まれた用事にふりまわされすぎている。

寒いさん

 

「家内が外気温より寒い。このままじゃ、自宅で凍死するよ。」
と、泣き言を言うと、
「晴明神社に行って、寒いさんに出て行ってもらうようにお願いせなあかんな。」
と、母。

ものは試しということで、撮影がてら晴明神社に。
これで、寒いさんが出てってくれたらええんやが。

雲間から、かすかに見え隠れする今朝の光は、
けっこう色っぽかったな。

てるてるぼうず

 

昨日は、今回の仕事のラスト、姫路城でのロケだった。
撮影地に近い実家で、早朝から支度をはじめていた。

出かける間際、台所の戸棚に、てるてるぼうずがくくりつけられているのに気づく。

16日の撮影が雨で延期になって、この29日、30日が最後のチャンス。
30日の雨は確実で、29日も天候が不安定なことが予想されていた。
多額の費用のかかるロケ、かなり切迫した状況で、決行の判断をくだしたことを、
きっと家族はわかっていたんだと思う。

すこし、じーんときて、
このかわいいてるてるぼうずを、そのまま車にのっけて姫路に向かう。
そして、途中パラっと小雨が降ったのものの、撮影は無事終了。

この無事は、運が良かったという種類のものでは決してない、とわたしは思う。
まわりのひとの「うまくいくといいね」という気持ち。
そういう気持ちがたくさんたくさんかさなってこその、無事、なんだ。

今回の仕事では、
見えるかたちでも、見えないかたちでも、多くのひとに支えられました。
深く感謝しています。

どうもありがとう。

しっかりしなさい。

 

「しっかりしなさい。」

部屋のなかには、母とわたししかいない。
え?…と思ってふり向くと、
母は扇風機に向かって話しかけてる。

しっかりしなさい。

聞けば、扇風機の首がぐにゃぐにゃして、落ち着きが悪い、とのこと。
自分のことかと思ってドキドキしたわ。

朱入れ

 

訂正記号をいちいち父に尋ねながら、初校のゲラに朱入れ。
3ヶ月あけて読み直すと、文章のアラが目立つ。

「日本語は書き下しで、英語みたいに前に戻って読むことはないから、戻って読まないとわからないような文章はよくない。」

と教えられる。
なるほど。日本語ってリニアな構造なんだ。

あじさい祭り

 

実家に帰ると、いたるところに色とりどりのあじさいが飾ってある。
「おお、すごいな、あじさい。でも一部屋に花瓶三つはやりすぎやろ。」
と言うわたしに、母は切り返す。

「あじさい祭りやからな。」

そうか、祭りやったんか。。。

「でももうあじさい祭りも佳境やわ。」と母はすこし残念そう。

「あじさい祭りが終わったら、次は何まつりなん?」と尋ねると、
「そんなん、あんたんとこ(京都)の祇園祭やろ。」と。

あじさい祭り、祇園祭とタメはっとったんや。

つかまなあかん。

 

「オポチュニティーの神様のひげをつかまなあかん。」

電話口で母がそう言う。
「オポチュニティーの神様にはひげがあって、そのひげを正面からぐっとつかまなあかん。」のだと。

「正面からじゃないとあかんの?」と聞き返すと、「うん」と母。
オポチュニティーの神様のひげ…。おかん、突然かわいらしく攻めてきたな…。
「誰が言ってたん?」と尋ねると、「昔、英語の先生が。」と。

おそるおそる尋ねてみる。
「(仕事先の)社長さんにもひげがあるけど…。」

「つかまなあかん。」

二度目の立往生

 

哲学の道に寄った帰り、自宅の斜向いの大家さん夫婦が、
娘さんらしき女性を送りだしているところに出くわす。

家族のたいせつな時間。なんとなく、邪魔したくなくて、
知らない人間のように声もかけずにそっと通り過ぎる。

角を曲がったところでしばらく待って、ころあいはかって引き返すと、
まだ奥さんが、遠ざかる娘さんの背中を心配そうに見守っていた。

歩きながらイヤホンを耳にさそうとしている娘さんとはうらはらに、
身を乗り出してじっと見守る奥さんのその姿があまりに切なくて、
挨拶もできずに家の前を通り過ぎる。これじゃまるで不審者だ。

二度目の立往生は、揺さぶられてしまったこころの後始末。

書かれたものしか信用しない

 

どこの家でもおおかた、母親はその道数十年の家事のプロだと思う。でも、そんな母のノウハウを無視し、父はインターネットのレシピを見ながら料理をつくる。最初は不愉快に思っていた母も、最近はあきらめがついたらしい。

「彼は歴史家だから、書かれたものしか信用しないの」

ちょうど今読んでいる、網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房 1991)の中に、日本が律令国家を築くうえで文書主義を採用したことが書かれている。書かれたものしか信用しないのは、どうやら父ちゃん一人だけのことではないようだ。

あたりまえのように思っていたけれど、日本が、口頭のやりとりではなく、文書に重きを置いた国家であるということ。またそれによって、おなじ日本国内でも(各地の方言のように)口頭の世界が多様であるにもかかわらず、文書の世界の均質度が高かったというのがおもしろい。鹿児島のバス停で隣になったお年寄りの会話がまったく聞き取れないにもかかわらず、各地で見つかる木簡・書簡はどれもきちんと読めるという挿話に、なるほど。

日本の歴史をよみなおす』(網野善彦著 ちくまプリマーブックス50 筑摩書房 1991)は、平易な文章で読みやすく、とてもおもしろい本。身近でありながら、知らずにいたことを知ると、生活にすこし深みが出ます。

おかんのワンポイント英単語 ”It’s a long shot.”

 

おかん:面接何時から?

私:15時からだよ。

おかん:You will have a job interview at 3 o’clock. Do you think you will get a job?

私:Yes, of course.

おかん:あら。「あまり期待できないわ」っていうのは、It’s a long shot.って言うのよ。

玄関にあるべきアレが

 

わがやは単身の引越しは家族総出でやっつけるのが通例だけれど、
今回は弟のガールフレンドや妹のボーイフレンドまで巻き込んで、
友人もふくめ総勢8名にお手伝いいただきました。

あまり人手が多いと収集がつかなくなりそうで、
お手伝いの申し出をおことわりした方も4名ほど。

お手伝いくださった方も、申し出ていただいた方も、
ほんまにありがとうございました!

件の冷蔵庫も奇跡的に町家の2階に鎮座しています。

築年数不詳の「新」居は、町家のはなれなので通りからは見えません。
携帯は圏外になります。
歩くと壁に寄っていくなと思っていたら、
明らかに家屋が南東に傾いています。
ふすまも引き戸も、一筋縄では開きません。

前の住まいは、玄関にインタホンがなかったけれど、
今度の住まいは、玄関にあるべきアレがありません。

隠れ家、と言えば聞こえは良いけれど、
エエ感じに浮世離れしてて、家から一歩も外に出ずに日々を過ごせます。
そう、魅惑のひきこもり物件!

手のひら

 

きっと人酔いしただけだと思うのだけれど、とてもとても疲れて。
なぜか自分の手をあわせて「ああ、手のひらってやっぱりすごい…。」となかば夢うつつの状態で考えていたら、知らないあいだに眠っていた。

先日、NHKのプロフェッショナルという番組で専門看護士の北野愛子さんが、患者さんの手を握ることに対して、「手と手を触れ合わせることで、言葉でも表情でもないものが通じると思っている」というようなことを言っていた。

真偽のほどはわからないが、手をつないだほうが夫婦仲も良い、という話も聞く。

思い出したのは、いちばん不安だったとき、わたしはボーイフレンドの背中にやたら手のひらをくっつけていたこと。手のひらを相手のからだにくっつけるとびっくりするほど安心できること、そのころのわたしのちょっとした発見だった。

新年会の帰りみち、ひとりひとりの手を両手で握って別れの挨拶をする作家さんがいた。そのひとの両の手で自分の手が包まれたとき、じかに感情をさわられるような感覚にうろたえた。

根拠はないけれど、手のひらってやっぱりすごいんだと思う。
今度祖母に会うときは、そっとやさしく手を握ろう。

おかんのワンポイント英単語 ”bottomless”

 

展覧会のあいまにお昼ご飯を…と、母と友人と一緒にJICAの食堂探検をする。
JICAだけあって、メニューの表示に英語も書いてある。

お食事を頼めば食後のコーヒーがついてくるとのことで、
セルフサービスのサーバでコーヒーを入れてほっと一息。

母はセルフサービスなのを良いことにおかわりに臨む。
「おかわり自由はbottomlessって言うのよ。」と得意気。

ニコニコしながら二杯目のコーヒーを飲んでいるけど、
bottomlessって、そんなんどこにも書いてへんよ。

残された時間

 

ひこうき雲が徐々にただれ、流されながらとけていく。

そういうゆったりとした時間は、もう明日には失われるんじゃないかという不安に突然襲われることがある。時間とのかかわり方の最終的な決定権は自分の手中にあるはずなのに。

しかし母は言う。
「わたしたち、年寄りが急くのはね、死ぬまでの残された時間を意識するからなのよ。あなたたち若い人は、まだいくらでも時間があると思ってる。」

親の世代がせわしないのは、ひとえに高度成長期を生き抜いてきた人々に特有の「ハヤさ」なんだと思っていたし、だからこそ、他人ごとで済ませていた。何かにつけ、両親からせかされ、うんざりしてきたというのもあると思う。

そう言われるまで、「残された時間」なんてことに思い及びもしなかった。
自分とは違う人生の季節を生きる親の目にうつるのは、自分とは違う景色なんだと思い知る。

もう少し寄り添って耳を傾けてみようかな。

そろそろ気づいたほうがいいんじゃないの。

 

高校生の頃、わたしは不登校寸前だった。

毎朝、ふとんの中で葛藤しながら、
気配で、母が弁当をつくってくれていることを察知していた。

母が弁当をつくってくれている。
だから行かなくっちゃ。
しんどくても、つらくても、理不尽なことだらけでも。
最後の最後で背中を押してくれたのは、母のつくる弁当だった。

お弁当をつくってもらっているという毎朝の事実が、
かろうじてわたしを高校生活につなぎとめていた。
それがなかったら、わたしは高校を辞めていた。と、いまでも思う。
ずいぶん甘ったれた話やけれど。

だから、ひとの料理をいただくこと。ひとに料理を食べてもらうこと。
軽く考えたらいけないと思っている。

「食」を単なる栄養や効能に、手間や金銭、の話だけに還元したらいけない。
その営みがどれだけひとの「生きる」を支えているか。

打ち切りになった番組への批判が横行しているけれど、
栄養や効能でしか食をとらえられない「食」に対する自分たちの態度の貧しさに、そろそろ気づいたほうがいいんじゃないの。

システム

 

年末年始、暇つぶしにめくった青木雄二の著書に、なんぼうまくいかなくても倒産しても、いちばん弱いもの、従業員に皺寄せがいくかたちで倒産したらあかん、と書いてあった。

最近つくづく思う。
不具合を末端のひとに皺寄せすることで帳尻をあわせるシステムがどれほど多いことか。小泉改革なんてその最たるものじゃないかと思う。

そして、久しぶりに読んだ鷲田清一の著書のなかで、山本理顕の『細胞都市』からひいている一節が目に留まる。

「今の社会のシステムというのは、家族という最小単位が自明であるという前提ででき上がっている。そして、この最小単位にあらゆる負荷がかかるように、つまり社会の側のシステムを補強するように、さらに言えばもしシステムに不備があったとしたら、この不備をこの最小単位のところで調整するようにできているのである。だから、家族が社会の最小単位としての役割を果たせなくなっているのだとしたら、それは、社会の側のシステムの不備を調整することがもはやできないということなのである。」

システムの末端で起こっていることを、末端の責任として取りざたすることが多い。システムの不備は、いともかんたんに末端を担うひとの不備としてすりかえられる。

目先のことより少し大きな枠組みに目を向けること。
自明なことを疑うこと。

そして自分がどんな立場であれ、どんなにささやかなことであれ、どんな大義名分があるにしても、いちばん弱い者に皺寄せのいく仕組みにしないこと。

発言すること。

おかんのワンポイント英単語 悪意のある例文つき

 

実家で夕食を食べていると、母がex(エクス)ということばを教えてくれた。
元カレや元カノ、前妻や前夫を指すことばだそうな。

“She bumpt into her ex at Hakata station.”
(彼女は博多駅でばったり元カレに出会った。)

ご丁寧に例文までつくってくれて。。。

ふとちゃん、ちびちゃん

 

妹はわたしのことを「ふとちゃん」と呼ぶ。
わたしは妹のことを「ちびちゃん」と呼ぶ。

先週は、粉モン天国ツカモトの数あるタコ焼き屋から、ちびちゃんイチオシのたこ焼きを買い集め「間宮兄弟」を借りて帰る。そう、その日は妹宅でのお泊まり会。母からの差し入れとたこ焼きをつまんで「やっぱロッキーのタコ焼きが一番だよ。」とタコ焼きの品評をしたあとで間宮兄弟の鑑賞。

でも間宮兄弟の
「だって間宮兄弟を見てごらんよ。いまだに一緒に遊んでるじゃん。」
ってコピーはそのまんま、自分たちにあてはまりそうで、ドキ。

ぐずぐず、ぐずぐず。

 

妹が、誕生日祝いにあたたかみのある素敵なポーチをくれた。

「化粧ポーチだけど、化粧道具入れないなら、フィルム入れにしてもいいかなぁって思って。」

ときに妹はかわいらしいことを言う。姉のことをよう見てるというか…。

ささやかな選択だけれど、ここで化粧道具を入れるか、フィルムを入れるか、というのはきっと、人生の大きな選択に通じている。このポーチに化粧道具を入れる人が歩む人生と、フィルムを入れちゃう人が歩む人生はきっと全然違ったものになる。

そう思ったら、ものおじ、どちらも選べなくて。
ぐずぐず、ぐずぐず。