子どものころのこと

久しぶりの更新。
3連休の最終日、ふらっと神戸にお出かけ。
秋物のシャツを探しに元町のStjarnaに。
お目当ての黒いシンプルなシャツはなかったけれど、かわりに白い動きやすそうなシャツを購入。

店長さん、今日は朝から姪の運動会に行ってきたそうな。
姪は走るのが得意ではなくてすごく悔しそうだった、という話を聞いて、そういえば、走るのが遅いとか、大人だったら一週間もすれば忘れることでも、子どもにとってはすごく重大でとても深刻だったりするんですよね、ということを話す。

それから岡本に戻って、甥の誕生日プレゼントを買いにひつじ書房へ。
絵が気になっていたおばけの絵が表紙の本を探していると伝えると、店長さんが少し怪訝な顔をして「子どもをこわがらせるの、あまり良くないと思いますよ」とおっしゃられ、眠るときに読み聞かせる本だったら、こちらのほうがいいですよ、と「おやすみなさいおつきさま」という本を薦めてくださった。おばけの絵が表紙の本は子どもによっては怖がって破いてしまったりするそうな。

少し戸惑いながら、薦められた本を開いてみると、綺麗な色づかいで、うさぎが眠る前にいろんなものにおやすみなさいと挨拶していく本で、すごく愛らしく素敵だったので、迷わずこちらをプレゼントに。

こわがらされて眠るより、一日のなかでお世話になったものたちそれぞれに、順におやすみなさいを言って眠るほうがおだやかで良いよなぁ。

今日は「子どもは思っているよりずっと繊細な生きものだ」ということを思い出すための日だったのかもしれない。そして、自分のこころの在り様が、日に日に殺伐としていってるよなぁ…と思い知らされもした。

同じ平面で異るのではない

今福龍太さんの『レヴィ=ストロース 夜と音楽
』を読んで、気になっていた一冊『人種と歴史
』(クロード・レヴィ=ストロース 荒川幾男訳 みすず書房 1970)。込み入った部分は消化不良気味だけれど、2点気になった箇所を挙げておこう。特にひっかかったところを太字にしておく。

 諸々の人類文化が、相互にどのように、またどの程度異なるのか、その相違は互に消しあうのか対立しあうのか、あるいはいっしょになって調和ある全体をなすのかどうか、を知るには、まずその明細目録をつくってみなければならない。だが、まさにここから困難がはじまる。というのは、諸々の人類文化は、相互に同じ仕方で、また同じ平面で異るのではないことに気づかざるをえないからである。われわれは、まず、あるいは近くあるいは遠く、しかしいずれにしても同時代に、空間に並列された諸社会に出会う。次には、時間のなかで継起し、直接体験をもっては知ることのできない社会生活の諸形態を考慮に入れなければならない。(中略)最後に、《野蛮》とか、《未開》とか呼ばれる社会のような、文字を知らない現存の諸社会も、やはり、たとえ間接的な仕方をもってしても実際には知ることのできない別の諸形態が先行していたことを忘れてはならない。良心的な明細目録は、それらに対して、何ごとかを記録しうると思われる欄の数よりも、おそらくずっと多くの空欄をとっておかねばならないのである。(p11-12から抜粋)

「同じ平面で異るのではない」というのが、しっくりきた。他者というのはそういうものなんだと思う。人類文化というほど大きな枠組でなくても、比べようにもそもそもの構造がまったく違うということがままある。他者との差異に関しては、そのくらい「違う」こともありうると思っておいたほうが良いということには薄々気がついていた。そして、自分のモノサシでははかれない、あるいは自分の感覚では感受できない「なにか」があるかもしれないということをあらかじめ勘定に入れておくことも。「何ごとかを記録しうると思われる欄の数よりも、おそらくずっと多くの空欄をとっておかねばならない」

卑近な話になるけれど、友人であれ恋人であれ、人と知り合って関係をとり結ぶことの醍醐味は、他者のあり方に自分が影響を受けることだと思う。ときに他者との差異によって苦痛を感じることもあり、ときに、自分自身が大きく変わらなくてはならないこともある。そして、どれだけドラスティックに変われるかは、相手との差異のあり方に関わっている。世界を受けとめる構造からしてまるごと違う方が、影響の受け方も深い。そういうことをぼんやり考えていたところだったから、この文章に反応したんだと思う。
もう一点は、

 もっとも古くからある態度は、自分のものだとする文化形態にもっとも遠い道徳的、宗教的、社会的、美学的な文化の諸形態を、無条件に拒否するもので、それは、思いがけない状況におかれたとき、われわれのひとりひとりのなかにまたしても現れでてくるのだから、おそらく固い心理的基盤に立っているのであろう。《野蛮人の習慣》、《それはわれわれのものではない》、《それは許されるべきではなかろう》等々、われわれとは縁のない生き方や信仰の仕方や考え方に当面して、これと同じような身震い、嫌悪をあらわす粗野な反応がいっぱいある。こうして、古代は、ギリシア(次いでギリシア・ローマ)文化に属さぬものを、すべて同じ未開barbareの名のもとに一括した。次いで、西洋文明は、同じ意味で野蛮sauvageという言葉を用いた。これらの形容詞の背後には、同様の判断がかくされている。すなわち、未開(バルバール)という語は、語源的に、人間の言葉の意味値に反する鳥の啼声の不分明と不文節に関連しており、野蛮(ソーヴァージュ)という言葉は、人類文化に対立する動物生活の分野を思わせる。この二つの場合、ひとは、文化の差異という事実すら認めることを拒んでいるのである。自分たちが生きる規範と同じでないものは、すべて文化の外に、すなわち自然のなかに投返そうとするわけである。

 この素朴だが大ていのひとの心に深く根を下した見方は、ここで論ずる必要はない。というのは、この小冊子がそれをきっぱりと反駁しているからである。ここでは、この見方が、なかなか意味深長なパラドックスを蔵していることを指摘すれば足りよう。この、人類から《野蛮人》(あるいはそう思うことにしたものすべて)を除外する思考態度は、まさに当の野蛮人自身のもっとも顕著な特有の態度なのである。(中略)アメリカ発見の数年ののちに、大アンティル諸島では、スペイン人が原住民が魂をもっているかどうかを調べるために調査団を派遣したのに対して、原住民たちは、かれら白人の死体が腐敗を免れるものか否かを長い間見届けて確かめるために、白人の捕虜を水葬にすることにしたのである。

 この異様で悲劇的な挿話は、文化的相対主義のパラドックス(それは本書の別の個所で別の形でも問題にしよう)、をよく示している。つまり、自分が否定しようとするものともっとも完全に一致するのは、諸文化や慣習の間に区別をもうけようと主張する場合だというわけである。その文化ないし慣習をもっているもののなかでも一番《野蛮》で《未開》にみえるものに人間性を拒否しておいて、かれらの典型的な態度の一つを、他ならずかれらから借りているのである。(後略)(p16〜p18から抜粋)

「ひとのことをバカと言うひと(のその行為)がバカなのよ」と昔よく親に叱られた。このようなパラドクスに陥る危険は、身近な生活の中にも潜んでいる。

映画的なるもの

ホックニーの本を読んでから、また少し絵巻のことが気になって、高畑勲さんの『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』を取り寄せた。合点がいくところと、絵巻の技術の妙にうならせられるところがたくさん。

まずは、『信貴山縁起絵巻』で絵画としては奇妙な構図がなぜ採用されているのか?という箇所。

『信貴山縁起』の、鉢の外に導かれた倉は画面上端を大きくはみだして飛び、米俵の列は上端ぎりぎりに沿って遠ざかる(飛倉の巻)。また尼公は、空白に等しい霧の画面の下端を、見逃しそうな大きさで歩む(尼公の巻)。とくに尼公と米俵の列は、その場の主人公であるにもかかわらず、画面の隅に小さく押しやられているだけでなく、まるで紙の端でその一部が切断されたかのようだ。
これらの大胆な表現は、その箇所を抜き出してただの静止した「絵画」として鑑賞すれば、いかにも奇妙で不安定な構図に見えかねない。
しかし、絵巻を実際に繰り展げながら見進んでこれらの箇所に出会えば、なんの不自然さも感じないばかりか、この不安定な構図表現こそが、物語をありありと推進していく原動力となっていることに気づく。
なぜこのようなことが起こるのだろうか。
それは、ひとことで言えば、連続式絵巻が、アニメーション映画同様、絵画でありながら「絵画」ではなく、「映画」を先取りした「時間的視覚芸術」だからである。
映画では、人物が画面を出たり入ったりする(フレームアウト・フレームイン)。しばしば人や物を画面枠からはみださせ、背中から撮り、部分的に断ち切る。ときには空虚な空間を写しだす。映画では、たとえ画面の構図を安定させても、そのなかを出入りし動くモノ次第で、たちまちその安定は失われてしまう。
右に挙げた二例も、絵巻を「映画的なるもの」と考えれば、まず、モノ(尼公と米俵の列)抜きの構図があって、そこをモノが自由に行き来して構図の安定を破るのは当然なのである。
『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』高畑勲 徳間書店 1999 p51より抜粋)

ここで2点。

以前、展覧会を見られた方から、「一本のシネフィルムを見るようでした」という感想をいただいていたことを思い出した。
観者の意識を細部に誘うために「全体を一望できないかたちで展示して、見ているのが部分でしかないという認識を観者に持たせる」という目論みだったのが、制作者の意図を越えて、観者に「時間性」を感じさせた。展示をしてみてはじめて、時間性というキーワードがわたしの認識にのぼった。が、そもそも絵巻という形式それ自体が、時間性を持っているということを確認したのが一つ。

もうひとつは、絵巻から離れるけれど、ずっと以前に、動画を撮って再生と静止を繰り返して、被写体が見切れる構図は、写真の世界ではあまり見かけない構図やなぁと新鮮に感じ、実験を繰りかえしていたことを思い出した。(「見切れるフレーミング」)動画のコマを前後の脈絡から切り離して、一コマだけ抜き出して写真として見ようとすると、とても奇妙に見えるのだ。動画が要請する構図と、静止画が要請する構図は、まったく異なるものだということをここで再確認。この件は、もっと掘り下げる余地がある。
絵巻は、動画が要請する構図を採用しながらも静止している、というマージナルな存在であり、だからこそ絵巻の特徴をつぶさに観察することで、静止画(あるいは動画)の形式が暗黙のうちに要請し、わたしたちが盲目的に従っている文法のようなものを明らかにできるかもしれない、と思う。

りんご

『Secret Knowledge(秘密の知識)』の中でカラヴァッジョの『果物籠』(1596)と、セザンヌの『7つのりんご』(1877-8)に描かれたりんごを比較している箇所がずっと気になっている。

図版を置いて、そこから離れて見れば見るほど、カラヴァッジョのりんごは見えにくくなり、画面に沈み込んでいく。逆に、セザンヌのりんごは、より強烈により明快になっていく、という記述。前者がレンズを通した単眼によって描かれているのに対し、後者は双眼による視覚を前提に描かれているという。

実際に自分も本を置いて離れたところから眺めてみて、なるほど、と思った。あまり話が抽象的になると、話についていけないことがあるけれど、こうやって実際に経験しながらであれば理解しやすい。

まず、離れて見てみてそこで現象することを捉えるという、こういう観賞の仕方があるということをはじめて知る。そして、写真に携わっているので、単眼による視覚と双眼による視覚の違いについては、どうしても関心を持たざるを得ない。「レンズという単眼による独裁の世界」という表現にはちょっと違和感を感じるけれど。

(前略)セザンヌの新しさは視点が定まらないことを意識し、ということはわたしたちは対象をつねに複数の、ときには矛盾する視点から見ていることを自覚したうえで、絵のなかに画題と自らの関係にまつわる疑問をもちこんだところにある。ここには人間らしい双眼の世界(二つの目、二つの視点、それにも伴う疑念)が展開している。それとは対照的に、レンズという単眼による独裁の世界(ベラスケス)は、つまるところ人間を数学的な位置に還元し、かれを空間、時間と切り離された位置に固定してしまう。
『Secret Knowledge(秘密の知識)』 青幻舎 2006 p190より抜粋)

Secret Knowledge つづき

おもしろいのは、アングルの肖像画(1829)を見たときに、フォルムが正確で精密なわりに素早い線で迷いがなく、さらに、ウォーホルがプロジェクターを用いて描いた作品の描線に似ているという、画家ならではの気づきからこのプロジェクトがスタートしているところ。

オールドマスターの作品を年代順に壁に並べることによって、自然主義の歩みが緩やかに進行したのではなく、突然の変化として現れたことが明らかになる。そして、その急な変化は、線遠近法の登場だけでは説明しきれない点が多いこと。さらに、画面中に、ピンぼけ、遠近法の歪み、複数の消失点など、光学機器ならではの特徴が見出されたことで、光学機器を利用したという仮説につなげていく。

絵画なのにピンぼけが確認されたり、線遠近法に基づけば一つしかないはずの消失点が2つ存在したり。いわゆる”エラー”に光学機器の存在がチラリ垣間見えるのが興味深い。

さらに、本来上から見下ろす視点で描かれるべきものが、なぜか正面から見た図となっているという点に着目し、当時の光学機器では広範囲を一度に映写できないため、人物ごと、あるいは部分部分に分けて描きコラージュしたのではないか?という説が浮上する。

あくまで仮説の積み重ねであるが、最終的には、

西洋絵画の根底をなすもっとも重要な二つの原理、つまり線遠近法(消失点)とキアロスクーロは、光学的に投影した自然の映像観察から生まれたことを理解した(p198)

というところまで進んでいく。線遠近法を獲得したことにより新しい空間表現が生まれたのではなく、まず先に光学的に投影された映像があって、そこから線遠近法が生まれたという。

さて、ちょうどこの本を読んだ直後に『カラヴァッジョ~天才画家の光と影~
』という映画を観た。映画の中で、画家は平面鏡を利用していた。ホックニーは、鏡に映ったものを見るのと、鏡が投影したものを見るのはまったく違うという。

果たして画家はどのようにして描いたのだろうか。

Secret Knowledge

David Hockneyの『Secret Knowledge(秘密の知識)』
を精読する。

彼の仮説は、

  • 画家による光学機器の使用は1420年代にフランドル地方にて始まった(鏡のレンズ)
  • 16世紀には、個々の画家が実際に用いたかどうかは別として、ほとんどの画家が光学機器を用いた映像の影響を受けている

というもの。すでに確証されたフェルメールのカメラ・オブスクーラの使用より、はるかに早い時期に光学機器が用いられており、それがかなりの影響力を持っていたという。いずれも仮説なので、ことの真偽は留保しておくにしても、とても興味深い内容だった。

前からカメラ・オブスクーラの存在は知っていたけれど、わたしはごく一部の画家が部分的に用いた補助的な道具というニュアンスで受けとめていた。著者は実際に、明るいところにモデルを座らせ、暗い部屋でその像を写しとる実験をしている。その実験の様子を見て、はじめて「光学機器の使用」がどういうことかを理解した。

暗い部屋の中で、紙の上に投影された映像の輪郭をなぞっていたのだ。それは描くというより、写しとる作業に近い。画家が独自の線を生み出すという思い込みが崩れた。わたしにとっては、光学機器の使用がはじまった時期云々より、画家の光学機器の使い方が明らかになったことのほうがよっぽど衝撃的だった。

印画紙が発明されるまで、いわば画家たちはカメラの中で映像を画布に写しとっていたということになる。写真のフィールドからすると、射程に入れるべき映像の歴史が4世紀ほど前倒しになる可能性が出てきたのだ。

カメラが19世紀に発明されたと誤解している人は少なくない。カメラは発明ではなく、自然現象である。暗い部屋の雨戸に小さな穴が開いていれば、それだけで光学的な映像の投影はごく自然に起こる。カメラ・オブスクーラとは文字通り「暗室」を意味する。レンズも鏡も必要ではない。ただしそのままでは映像は薄暗いか、ぼんやりしているか、あるいはその両方である。大きな開口部にレンズを取り付けると、映像はずっと明るくなり、ピントも鮮明にあわせることができる。「写真」の発明とは、じつはカメラの内部に投影される情景を定着する化学薬品の発明にほかならない。しかしカメラのなかに投影された映像は、写真以前の何百年にもわたり、人びとの目に触れてきた。
(David Hockney 『Secret Knowledge(秘密の知識)
』青幻舎 2006 p200から抜粋)

なぜ写真は遠方を過剰に取り込むのか

 アウラとは、時間が映像を燃えあがらせ、音を立て、その音を消し去るときに作用する何かを名ざしている。それは、ベンヤミンが「視覚の無意識」と呼んだもの、すなわちプンクトゥム、盲点、可視的なものにおける接触と距離の盲点へわれわれを召喚して、危険と破滅の淵にさらすのだ。
 だがアウラとは、十九世紀には写真のある種の技術的問題、それもかなりやっかいな問題も意味していた。じつはその問題は、間接的にではあるが、ベンヤミンが語ろうとしていたことにもまさしく関連している。
 それは光暈と「ヴェール(かぶり)」の問題である。ある被写体が、よく理由のわからないまま偶然光の輪で取りまかれてしまうという、発光現象、あるいは光を防衛する現象の問題である。これは映像内に遠方が過剰に取り込まれることに関係するのだろうか。しばしばそのように考えられ、その過剰の理由が求められてきた。「なぜ写真は遠方を過剰に取り込むのか」が問われてきたわけである。
 これはまた、写真におけるスペクトルの問題、「スクリーン」と、ヴェールのかなたの啓示の問題、すなわち写真の魔術的で、悪魔的、涜神的な性質そのものの問題である。それは最終的には距離を隔てた接触という問題である。写真はそのあらゆる既知事項を覆したのだ。なぜなら写真に関しては、光のタッチや痕跡というのは虚辞ではなくなるのだから。以上のことを、医師イポリット・バラデュックの作品につかのま足を止めつつ描き出してみよう。(後略)
(『アウラ・ヒステリカ―パリ精神病院の写真図像集』 J・ディディ=ユベルマン著 谷川多佳子・和田ゆりえ訳 リブロポート 1990 p132〜p133から抜粋)

 ところで、子供は神経質な女性に劣らず「感じやすい(感光しやすい)」存在である。ある日バラデュックは自分の息子を撮影した。その子はたまたまこのとき、幼い両手のなかに雉の死体、それも殺されてまもない死体を持っていた。誰がその死骸を彼の腕に置いたのか、父親はわれわれに告げてはいない。いずれにしろその映像は、ヴェールがかかったふうに現像された。
 精神科医のバラデュックは、そこに、魂が帆に風を孕んだような状態が何か別の光によって乾板上に描き出されているのを見てとった……。こうしてアウラが初めて彼の眼前に現れたのである。この日を境にバラデュックは、アウラがその全貌を明らかにするまで、飽くなき探求を続けることになった。(後略)
(同書 p134より抜粋)

 (前略)彼はそれを「魂の運動と光」のカテゴリーとして包摂した。なぜ魂の運動かといえば、魂とは軌跡をもたない運動、したがって分離を伴わない距離、距離を隔てた接触を可能にするものだからである。なぜ魂の光かといえば、アウラとは、内在的で、霞んだ、不可視の、しかしながら(非常に感光しやすい乾板を用いさえすれば)図示できるものだからである!
(同書 p135より抜粋)

アウラは図示できる?!
わたしがはじめてアウラという言葉に接したのはベンヤミンの著書であり、もっと抽象的なものと思っていた。こんな具体的な現象のことなの?と混乱したので、ここで少し整理してみたい。上述のバラデュックがアウラを図像化した『人間の魂』を著したのが1896年。ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』を著したのはそれからおよそ40年後の1936〜1939年とされている。つまり、ここで書かれているのはベンヤミン以前の話。「アウラ・ヒステリカ」ということばも、精神科医シャルコーにより、ヒステリー発作の前兆をさして名づけられたが、それも19世紀のことである。

いま現在、作業をしていてかぶりの現象が見られれば、撮影環境を調べたり、レンズや機材に不備がないか、ということをまず考える。それに比べると、バラデュックはずいぶん奇妙なとらえ方をするようにも思えるが、その差こそが、19世紀と21世紀の社会における写真の受容のされ方の違いなのかもしれない。かぶりの現象がどこか魔術的な意味あいを帯びて捉えられていることや、「なぜ写真は遠方を過剰に取り込むのか」という問いのうちに、19世紀の社会において写真がどのように受容されていたのか、その一端が垣間みえるようで興味深い。

もう一点、気になったのは、サルペトリエール病院で、写真の実践が病院の一部門(service)の高みにまで昇ったことについての記述。

 service(部門)とは、それにしても恐るべき小語である。そこにはすでに隷属(servitude)と虐待(sévice)の意がこめられている。私の問いは単に写真が何に奉仕(servir)したのかということにとどまらない。サルペトリエールで、誰が、あるいは何が、写真映像への隷属を強いられたのかも問うているのだ。
(同書 p73より抜粋)

この本では、映像(写真)を生み出す過程で、ときに搾取の構造をとったり、ときに共犯関係をとりむすびながら、医師と患者たちがどう巻き込まれていったかということが描き出されているが、ふと、隈研吾さんの『負ける建築』の一節を思い出した。

写真という二〇世紀メディアは、二〇世紀建築のデザインの方向性を逆向きに規定したのである。

かたや建築、かたや精神病院の症例写真だが、写真というメディアの特性が、単に属性としてその内側に大人しくとどまっているのではなく、それをとりまく人やものに力学的な影響を及ぼしているという点で共通している。そう考えると、写真とは何かという問いを、写真の内へ内へと探るだけではなく、写真をとりまくものとの関係の中にも、何か見えてくるものがあるのかもしれないと思った。

アウラ・ヒステリカ―パリ精神病院の写真図像集

思いのほか写真論の色が濃かったけれど、19世紀〜20世紀の精神医学の進歩が社会にもたらした影響についてもっと明るければ、より得るところの多い本だと思う。今のところ、このあたりがわたしの限界なので、時間を置いてもう一度読み直したいと思う。

メッセージのコンテンツではなく送り方を聴いている

最近また‘身体’に関心が戻ってきて、パラパラと読んでいた本のなかに、少し苦いフレーズを見つけた。

(前略)詩として成立する言葉と成立しない言葉がある。その違いというのは直感的にしか言えないことなんだけれど、詩にならない言葉というのは「うるさい」と谷川さんは言うんです。「わたしが、わたしが」と言い立てる詩は、どんなに切実であっても、うるさい。たった三行でも、「わたしが、わたしが」と言いつのる詩はうるさい。逆に、言葉が、詩人の「わたし」から離れて、自立している言葉というのは、言葉自身が静かで、響きがよいということを言ってらした。
 今の若い人たちが、単一の「自分らしさ」をあらゆる場で押し出すというのは、谷川俊太郎的に言うと「うるさい」ということですね。そのうるささ、その不愉快さというのは「礼儀正しくない」とか「敬意がない」というようなレベルのことではなくて、「わたしが語る」ということそのものの不快さなんです。
(『身体の言い分』内田樹 池上六朗著 毎日新聞社 2005 p24・25より抜粋)

後半の若いひとたちが…のくだりでイメージされているのは、キムタクが扮する若者役に代表されるような若者像だと、ほかの著書で読んだ記憶がある。たしかに、彼の役柄はいつもいつも鼻についた。だから話はよくわかる。それでも、不思議なことに、自分のことばかり話していても、それが鼻につくひとと、つかないひとがある。その違いはどういうことなんだろう。

 自分の目の前でしゃべっている人が、正直者か詐欺師かって必ずわかりますよね。わかるのは、結局、相手のメッセージを受信する時に「コンテンツ」を聴いているわけじゃない、ということです。何を聴いているのかというと、メッセージの「送り方」を聴いている。正直な人がまっすぐに語っている言葉は直接深く入ってくる。それは言葉の内容が理解できるできないとは別の次元の出来事なんですね。わからないけど、わかっちゃう。頭を使っているわけではないんです。もっとトータルな関わりですよね。
(同書 p83より抜粋)

メッセージのコンテンツではなく送り方を聴いている、というのは面白い。
なぜかこのひとの話は聞いてしまう、ということもあるし、
逆に、このひとの話すことばはまったく響いてこない、ということもある。

「わたし、わたし」というコンテンツでも、余裕なく切羽詰まった様子で話されるのと、本人自身が客観視できる程度に余裕を持って話されるのでは、受け手には違って聞こえてくるのかもしれない。大事なのはむしろメッセージの「送り方」のほうなのか。

きっと(芸術)作品においても、コンテンツだけでなく、作品の差し出し方まで、
観賞者にまるごと観られているのだろう。実際、視覚表現領域でもコンセプトを押しつけてくる作品は「うるさい」。

だから、ここらへんの話は、うかうか人ごととして読んでいられないのだ。

備忘録

最終更新から6ヶ月以上経っているなんて…

パウル・クレー展に行きたいなぁと思って調べていたら、少し本を読んでみたいと思って。以下、メモです。

  • ・造形思考
  • ・造形理論ノート
  • ・無限の造形
  • ・クレーの日記
  • ・パウル・クレー/記号をめぐる仮説

入手困難なものもあるので、手に入るのから。環境の変化を理由に、ずいぶん長い間、思考が停止してる。

モザイク

モザイクが守るのは、被写体ではなく、往々にして作り手の側である。それを掛けてしまえば、できた作品を観た被写体からクレームがつくことも、名誉毀損で訴えられることも、社会から「被写体の人権をどう考えているのか」と批判されることもない。要するに、被写体に対しても、観客に対しても、責任を取る必要がなくなる。そこから表現に対する緊張感が消え、堕落が始まるのではないか。
(『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける (シリーズCura)
』 想田和弘著 中央法規 2009 p53より抜粋)

そして、精神病院の様子をモザイクなしで映し出した作品『精神』について。

 実は、僕と配給会社は、『精神』の広報活動の戦略を練る際、テレビを含めた日本のメディアが、映画やそれに出ている患者さんたちをセンセーショナルに、いわばホラー映画のように扱うことを、最も警戒していた。そのための対策も、いろいろ議論したりした。

 ところが、それは僕らの杞憂に過ぎないことが分かった。メディア側はむしろ、映画の登場人物やその近親者を傷つけたり、彼らから反感を買ったりしないよう、細心の注意を払っていた。腫れ物に触るがごとく、警戒していた。

 そして、そういった態度は、患者さんの顔にモザイクが掛かっていないことにこそ起因していることは明らかだった。モザイクが無いので、映画を取り上げる彼らにも被写体に対する責任が生じ、やりたい放題するわけにいかないのである。
(同書 p216より抜粋)

この文章の最後のほうに「モザイクを掛けないことが、実は被写体のイメージを守っているという、その逆説」とある。

モザイクのくだりについては、なるほどな、と思った。

つくり手の率直な言葉で綴られていて、好意的に読んではみたのだけれど、文章を読む限りにおいては、主題である患者の生きざま、よりも、それを「モザイクなしで見せること」に、作家が執心しているように感じられ、そのことに少し違和感を感じた。

なによりまず作品自体を見てみないと…。

老い

(前略)とりわけ、十九世紀に入って地球全体が世界資本主義の網の目にとらえられていく過程では、生産力の向上、技術革新、国際的規模での分業体系の深化、商品輸出や資本輸出のための市場争奪戦と帝国主義戦争の勃発、第二次大戦以降ではとくに西欧資本主義国間の貿易競争や商品開発競争の激化、といった現象が次から次へと展開し、この過程にまき込まれる個々人の日常生活は多忙をきわめるだけでなく、人生の浮沈も激しい。個人の人生は、経済という戦場で闘う戦士の人生のごときものであって、こういう個人に要求される資質は身体頑健、決断力、つねに生き生きしていることであり、つまるところ、若さである。経済戦争は老人ではやりぬけない。戦士は、つねに青年であり、せいぜい年をくってもかぎりなく青年的な壮年者でなくてはならない。経済戦争に耐えることのできないものは、たとえ若者であっても、老人であり、本物の老人がこの戦いで勝ちぬける見込みははじめから閉ざされている。近代や現代の経済生活では、老人であることはつねにマイナスの価値であり、老いの価値ははじめから極小値をとる。

 偏見をはなれていえば、幼年、青年、壮年、老年といったライフ・サイクルの各時期の間に価値の上下はない。本来は、それぞれの人生局面にはそれ固有の意義があるはずであり、子供と老人は社会のクズで、青年や壮年が社会の大黒柱だということはありえない。純粋に肉体的にみれば、若い者が強いのはあたり前だ。しかし肉体的に強いことと価値的に高いこととは、ストレートには結びつかない。にもかかわらず、近現代社会では、肉体的強さ=若さと価値観的プラス性とがストレートに結びついてしまった。それは個人の先入見とか、物の考え方の軽薄さといったものではない。近代市民社会とそれをドライブする資本主義市場経済が生みだしたイデオロギーこそ、老いの価値低下をひきおこしてきたし、今もそうである。
(『精神の政治学―作る精神とは何か (Fukutake Books)』今村仁司著 福武書店 1989 p141-142から抜粋)

もう20年以上も前に書かれた本。21年前だと、わたしは14歳か。両親がそろそろ「介護」に向き合わなければならなくなりはじめた頃に書かれたものだ。

それでも、この文章がそんなに古く感じられないのは、この20年の間に、老いを支える制度はそれなりに整いつつあっても、老いをとらえる人びとの意識それ自体は、それほど変わっていないからだと思う。

昔、撮影を依頼された商品が「アンチエイジング」を謳う化粧品だった。宣材写真を撮るのははじめてのことだったから、撮り方を教えてもらおうと思って頼んでいたひとに、まっこうから拒絶された。

肩こりの薬が肩こりに効くというのは単に効能を示すもの。
でも、アンチエイジングは、イデオロギーだ。
あなたはそれに加担するのですか?
と。

その時点では、まったく意味がわからなかった。
けれど、今ならよくわかる。

情緒・感情は批判力をもちうる。

 感情や情緒は行為である。それは世界の中にあって世界を作り変える。まだないものを先取りし、この先取りによってすでに世界の外に出る。外に出ることでいまの生活世界を批判する。
(『精神の政治学―作る精神とは何か (Fukutake Books)』今村仁司 福武書店 1989 p90より抜粋)

すごい作品と出会うと、こんなに自由で良いんだ、ということを思い知らされる。そして、それらの作品は、既存の枠をやすやすと越え出る奔放さを備えている。

いや、ことの順序が違うな。

それら作品を前にし、その奔放さに触れることによってはじめて、自分たちがとらわれている枠が認識される。

事前に自明な枠があるのではない。

作品に出会ってはじめて、自分がとらわれている枠が認識できるのだから、枠の出現は後だ。

だから、何かに対する批判そのものが目的である作品よりもむしろ、
ふわっと越え出てしまった作品にこそ、強い批判性を感じる。

この文章を読んで、そういうことを思い出した。
94コマ目のスキャンが終わる。

正しい問い

短い期間に何度か同じタームを耳にするとすっかり刷り込まれ、気がついたらドラッカーの本を手にしていた。

そうそう、電通のセミナーのシライシさんの話の、「今世紀末にはほとんどの企業が、NPO、NGO化している。あるいはそれに近い状態になるとドラッカーが予測している」というくだりが印象に残っていたんだ。

読んだあとで気がついたのだけれど、前の晩に読んだの?というくらい、シライシさんの挿話がドラッカー”まんま”。それがちょっと可笑しかった。

あたりまえだけど、たいせつなことが書かれている。

“重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。”

“人は費用ではなく資源”

さて、寄り道はこれくらいにして…分厚すぎるというそれだけの理由で敬遠していた『知覚の宙吊り』、そろそろ読まなくちゃ…

ちんぷんかんぷん

帰省時に持ちかえってゆっくり読もうと思ったパノフスキーの『象徴形式としての遠近法』

本文70ページほどであとは全部注と画像なのに、何度読んでも頭に入って来ないのは暑さのせいか?このテの本は、何度読んでもちんぷんかんぷん…

だからしつこく何度も読む。

遠近法は、ある時代固有のものであり、そしてその時代の世界観とリンクしている
ということは、わかった。

遠近法の作図による像と、実際の人の目に見える像の違い(ゆがみの部分)を、もう少し丁寧に読み直したい。

家族

最近読んだ2冊の本に、立て続けに家族についての記載を見つけたので、少し気になった。とりあえず、抜き書きをしておこう。考えるのはあとにして。

 たとえば核家族が住まうための家を建てることに、二〇世紀の人々は懸命になった。二〇世紀の経済を下支えしたのは、「持ち家」への願望である。従来の地縁、血縁が崩壊し、近代家族という孤立した単位が、大きな海を漂流しはじめたのが二〇世紀であった。近代家族という不確かで不安定な存在に対して、何らかの確固たる形を与えるために、彼らは住宅ローンで多額の借り入れをしてまで、家を建て、家族を「固定」しようとした。あるいはコンクリート製のマンションというかたい器のなかに収容することによって、存在の不安定を「固定」しようとした。地縁、血縁が崩壊したことで不安定になってしまった自分を、コンクリートというがちがちのもので再びかためたいと願ったのである。
(『自然な建築』 隈研吾 岩波新書 2008 p9より抜粋)

 このことを建築家の山本理顕さんは、もう少し厳しい口調で次のように書いている。「〈家族という—引用者注〉この小さな単位にあらゆる負担がかかるように、今の社会のシステムはできているように思う。今の社会のシステムというのは、家族という最小単位が自明であるという前提ででき上がっている。そして、この最小単位にあらゆる負担がかかるように、つまり、社会の側のシステムを補強するように、さらに言えばもしシステムに不備があったとしたら、この不備をこの最小単位のところで調整するようにできている」、と。

 その最小単位じたいが、いま密度を下げている。独特の密度を可能にする閉じた関係を内蔵しにくくなっている。塗り固められた燕の巣のように、内部を密閉する鉄の扉によって、かろうじてイメージとして維持されているだけの内部を外部からがちっと遮断しているだけだとしか言いえないような家族も増えている。この防波堤が外されれば、イメージとしてかろうじて維持されている家族の形態もすぐにでもばらけてしまいそうだ。

(『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』 鷲田清一 筑摩新書 2010 p148より抜粋)

ちょうど、児童虐待のニュースが取りざたされていたから、余計に気になったのかもしれない。

子育て中の友人を訪ねて行ったとき、「わたしなんて、まだ仕事をしているから良いけれど、そうでなかったら24時間ずっと赤ちゃんと二人っきりなんだよ。大変なんだよ。会いに来てくれて嬉しかった。」としみじみと言われたことを思い出す。

そのとき、子育て中のお母さんは、想像以上に孤独なのだと思った。
そして、ひとつの命の責任を24時間引き受けることの重圧。

自分の親も決して100点満点の親ではなかったけれど、その親を相対化できる程度には、さまざまな大人に『からまれていた』と思う。

ズケズケ物を言う友だちのおかん、親よりも厳しいピアノの先生、いつも美味しい料理で迎えてくれる祖母、周囲の大人との関係が、案外、親子関係の弾力となっていたのかもしれない。家族関係を小さく小さく密閉することで、そういう弾力性が削がれていっているのかもしれない、という気がした。