ジョン・バージャーの『イメージ Ways of Seeing―視覚とメディア』(伊藤俊治訳 1986年 PARCO出版局)を4年ぶりに再読した。原書は1972年に著されたとのことで30年以上も前のものだということを読み終わってから気づいた。そのくらい古さを感じさせないものだった。いくつかひっかかるポイントを抜き出してみたい。

しかし、いずれにしろ、今その原画が持っている独自性とは、それが”複製の原画”
であるということのなかにある。人が独自性を感じるのは、もはやその絵のイメージが示すもののなかにではなく、その絵のあり様のなかにある。(上述『イメージ Ways of Seeing―視覚とメディア』より抜粋)

先週末に見た「大絵巻」展。長蛇の列をつくっていたのは高山寺の「鳥獣戯画」だった。ほかにもおもしろい作品はいくつもあるにもかかわらず、また見るべき作品がほかにあるにもかかわらず、その列に並んだ背景には、グッズやモチーフに多く用いられ親しみ深い「鳥獣戯画」の原画を確認しよう、「ホンモノ」が複製とどうちがうか、その差異を見いだそう、そういうモチベーションが強く働いていたことは否定できない。

原画の意味はもはやそれがどのような特別なことを語りかけてくるかではなく、それがどのような特別な状態にあるかに見いだされる。(同書より)

複製とは複製物と割り引いて接し、原画(ホンモノ)は複製物との比較において接する。そのどちらも、真正面から作品と対峙することとはほど遠い。複製の出現によって奪われた体験。そういうものがあるということを再確認する。

わたしの記憶が正しければ、トーマス・シュトルートの美術館のシリーズはこれと同じ論旨で解説されていた。