できるだけゆっくり『写真と日々』を読んでいた。クールでスピーディーな分析に追いつけずに、何度も反芻しゆっくり咀嚼しながら読み進むのが通例なのだけれど、突然、胸が詰まる思いがした。少し長いけれどその箇所を抜き出そう。

 この時期の中平の文章の異様さは、「私」が、ある例外を除いて、格変化しないところからくる。格助詞を欠いた、いわば不定詞形の「私」。「思い出すことができない」「必要な文章を書く」「作り上げねばならない」という動詞の主語になりえずに、ただそのとなりにあるだけの「私」。あらゆる文脈に接続される以前の、内包を持たないまま宙に浮いた形式としての私は、しかし、「私が写真家で在る」という文章においてのみ、主語となる。「私は」ではない。「私が」なのだ。あなたは何ですか?私は写真家です。写真家はどなたですか?私が写真家です。「私」よりも「写真家」が先なのである。つまり、「写真家で在る」ということのみ、このたったひとつの絆を通じて、不定詞の「私」は世界に接続される。写真が、平凡であることの重みという、人の実存をつなぎ止めることがあるのだ。透明な形式にすぎなかった者が、現実性を獲得して色づく。「原点」とはこのことである。無名性はじつは問題ではない。私は中平卓馬だ、ではなく、中平卓馬が私だ、なのだ。
(『写真と日々』 清水穣著 現代思潮新社 2006 から抜粋)

記憶をまったく喪失してしまうということがどういうことなのか、わたしにはまったく想像もできていなかった。けれど、この文章を読んだとき、その凄まじさに触れて不覚にも泣いてしまった。

これだけ丁寧に説明されてやっと知りえるというのは、わたしが鈍感なだけかもしれない。でも、「私、ほとんど何事も思い出すことができず、…私ようやく必要な文章を書くことが、可能となりましたが…」という中平の文章から、彼の置かれている状況を濃やかに察する感受性。感受性にもいろいろあるけれど、言葉に対する感受性のすごいものに出会った気がした。