楽しげな雰囲気が香りたつような表現で、いいな、と思ったのは、
須賀敦子さんの『塩一トンの読書』(河出書房新社 2003)。

仕事として書物に携わりながら、
でも、ときにこういうスタンスで本が読める、というのは、いいなぁ、と、心底思う。

サワイちゃんから「須賀敦子さん、翻訳家で、エッセイも良いんだよ。」とおすすめされていたので、作業のあいまの息抜きに『霧のむこうに住みたい』をひもといてみた。
情景の描写が重すぎも軽すぎもせず、風通しのよい文章だったから、二冊目を手にとった。

タイトルの塩一トンは、須賀さんが結婚したての頃、イタリア人の姑から、「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」と言われたことに由来する。塩一トンをいっしょに舐めるというのは、苦楽をともに経験するという意味らしい。

どの分野にあっても、ひとつことに携わっていると、理想と現実との乖離だとか、苦悩や困難があったりするのだけれど、でも、最後のところで、どちらに転ぶか、は大事なことだと思う。

いろいろあるけれど、それでもやっぱり好き、
というところに転ぶほうが、そうでないよりずっと幸せだし、
それこそが継続してひとつことに携わっていくうえでの、強みではないかと思う。

塩一トンの読書でありながら、「おいしいおやつみたいにこの本を」と言えるこの幸福感が、読むわたしをも幸せなきもちにさせてくれる、と思った。

須賀さんは夙川から芦屋のあたりで育っているので、同郷の人だ。
そう思うと、イタリアの生活を綴ったエッセイでも、彼女の文体には、なにかあのあたり(いわゆる阪神間)の風土、風通しのよさみたいなものがあらわれているような気がするから不思議だ。

ほとんど現実と向き合うだけで精一杯で、かれこれ10年近く、小説、というものをほとんど読んでいなかったけれど、これを機会に、また小説、読んでみようかな。

そう思わせる一冊でした。