最近「感じる」がずいぶんおろそかになっている、と思って、ひさしぶりに鷲田清一さんの著書をひらく。『〈想像〉のレッスン』は、具体的に芸術作品をひいて書かれたもので、いくつか写真作品についても書かれている。
「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ」。という、詩人のことばからはじまるこの著書のなかで、
アートもまた、わたしたちが住み込んでいるこの世界の、微細な変化や曖昧な感触を、曖昧なままに正確に色や音のかたちに定着させる技法だといえる。
(p18から抜粋)
とある。
最近、忘れがちだったかもしれない。
抽象的なコンセプトをああだこうだねりまわすより、自分の生活の中で感じたこと。どうしても無視できない齟齬。そういったものからスタートする、ということ。
「写真とはなにか」という問いは、もしかしたら写真をとりまくひとの間だけの問いでしかないかもしれない。「見る」とはどういうことか、という問いならもっと広く共有できる問いとなるのではないだろうか。
もう少し視野を広げてみよう。
そして、もう一度、問いのたてかたを考え直してみようと思う。