水曜日のテレビ番組で、「行政の大きなお金を使って大きなモニュメンタルな建築をつくって、本当にひとのためになっているのか?と自問していたことや、難民キャンプや震災の現場で紙管の構造体が利用されたことで、建築がひとの役に立つことを実感した」という坂茂さんの話が印象に残っていた。

そして翌日、建築事務所を営む友人とご飯を食べながら話していたときに、その友人が、「最近、自分はかわってきたと思う。以前は綺麗なものが好きで、自分の設計した建物に趣味の悪いタンスが置かれてたらいやだなぁと思ったけれど、最近そういうのは気にならなくなった。むしろ、そこにひとがいることこそが大事やと思うようになった。」と言っていた。

どちらも、もの(作品)ではなく、ひとを中心に据えるというところで、共通していると思う。立て続けにそういう話を聞いたので、今日はずっとそのことばかり考えていた。では、写真はどうなのか?

もうひとつ、彼女に訊かれた「最終的にはどういうものを撮っていこうと思っているのか?」という問いも、意外と鋭く刺さっている。たぶん、いまの段階ではわからない。風景/ポートレイト/うんぬん…という既存の分類の中のひとつを選ぶような選択にはならないと思う。得手-不得手や、撮るもの-撮らないものはあるけれど、もっと違う分節の仕方をすると思う。その場では、そういうことをうまく説明できなかった。

彼女の問いはドキッとしたけれど、ものすごく嬉しかった。学生時代は仲間同士で相手の制作の核心に近いところまで遠慮なく切り込むことも多かったけれど、最近そういう問いを投げかけてくれる人はめっきり減った。
あるいは、わたし自身が避けていたのかもしれない。