春霞、あるいは、黄砂の舞うなかの撮影。
遠景があまりにぼやけて、つまらない、と思ったときに気がついた。

その写真が、具体的であるかどうかということが、自分にとっては、すごく重要だということ。

霧の街の写真を見た恩師が、「ものは抽象的になると、美しく見えるからね」と言っていたのを思い出し、そうか、その写真が具体的かどうか、ということが、わたしにとっての、ひとつの判断の軸なんだ、と思った。

なんでも言語化すればいいものではないけれど、言語化することによって、いくぶん視界がクリアになった。