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感覚比率

 あるいは、マーシャル・マクルーハンはこれを「感覚比率」という概念でとらえた。五感はつねにある比例関係のなかに置かれることで安定した現実感覚をかたちづくるが、いずれかの感官に新しいメディアが接続されることによってある単一の感覚だけがとりたてて活性化させられるとこの比例関係に歪みが生じ、それを回復するために別の感覚がみずからを暗示にかけるように刺激する。電話で長話をしていると指が知らないうちに脇の鉛筆を掴んで、眼の前の紙に三角や丸といった単純な図柄を書きはじめる。かなり強い筆圧でである。しだいにその形は増殖してゆき、気がつけばまるでシュールな絵のようなおぞましい図柄がそこにある。聴覚の不均衡な刺激が、視覚や触覚をおびき出したのである。そうして感覚の系はおのずから「感覚比率」の再編制を試みていたのだ。

(『感覚の幽(くら)い風景 (中公文庫)』 鷲田清一著 紀伊国屋書店 2006 より抜粋)

おもしろいなぁと思った。
わたしの場合、時間とともにだんだん強く受話器を耳に押しつけて、受話器を置いたあと、耳と腕が痛い。なんでこんなに力むのだろう…と。だから電話で長時間話をするのは苦手。

よくよく考えたら、対面でひとと話すときは、相手の表情のうつろいにきわどく神経をはりつめている。不愉快なことを言っていないか。本当におもしろいと思っているか。不用意なことばで傷つけてはいないか。そして、自分の表情が「間違っていない」か。顔のこわばり、手の表情。身体の揺れ。

ひととの対話は本来、すごく多様な感覚のチャンネルを駆使するもののはずなのに、電話というメディアによって、それが音声だけに集約されたとたん、それ以外の使われないチャンネルが誤動作するのだろうか。電話は電話で妙な緊張が漂う。

電話よりメールが気楽になってしまった原因は、そこらへんなのかもしれない。

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