ここ数年、制作時間の確保に固執していたところがあって、ひとと会うことに対しては、積極的に「消極的な態度」をとっていたのだけれど、それではまずい、ということに気づきはじめて、一旦、他者と時間や経験を共有することに寛容になろうと決めた。(「積極的」と言いきれないあたりが、潔くないのだけれど…)

その途端に、さまざまな方面のしばらくぶりのひと(びと)からお声がかかった。もちろん、自分からそんなアナウンスはしていない。

水流を塞き止めていた石をどかしたら、急に水が流れ込んで来たかのよう。ひととのご縁とは、不思議なものだと思う。

ここ数週間にわたって、たてつづけに、しばらくぶりのひとと会っていた。そして、おそらくそれは、旧くからの友人と新しく出会い直す作業でもあった。

まともに話すのは数年ぶりだし、まったく違うフィールドで生きているにも関わらず、お互いが問題意識を持っていることについて、深く話せることに驚いた。彼女が教育現場で日々考えていることが、わたしが制作の中で感じたり考えていることと、深いところでつながっているということもうれしかった。

「あるレベルに到達した人々が言うことは、それがどんな分野のひとでも、案外同じなんだよ。」という友人のひとことが印象的だった。わたしたちのどちらも、途上のひとではあるけれど、いま時点での、お互いのいる場所から見えている景色も、そう大きくは違わないのかもしれないし、そもそも思っているほど遠くにいるわけではないのかもしれない、と思った。

結局、他者によってしか自分を知ることができない、ということも、あわせて実感。ひとは他者からの期待によって成長することとか、他者との対話の中にあってはじめて新しいものを見つけるとか、そういうことを、わたしはあまりに過小評価していたのだと思う。