a=1/(a+1) a=(√5-1)/2
 この式は、わたしにとっての他者は、私と他者の両方を合わせた普遍的な神のような視点から見た私の姿に等しい、ということを言っている。汝の隣人を愛せよ、なぜなら神は、汝が隣人を見ているのと同じ仕方で、背後から汝を見給うから、というわけだ。すなわち、私が、私を見る神の視点をもって隣人を見るとき、隣人の中に、神にとっての私の姿が見えてくるのである。そんな場合の私にとっての隣人が、黄金数、すなわち対象aである。このことはむしろ、事態を逆にして考えてみるとその重要性が明らかになる。すなわち、隣人の中に対象aが触知されるとき、それは私自身が神の目をもって私を見ているのだ、ということである。

(『ラカンの精神分析』 97項)

純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫)』(中沢新一)の中で、この抜粋を見つけた。

隣人の中に対象aが触知されるとき、それは私自身が神の目をもって私を見ているのだ

このくだりにどきっとする。
思いあたるのは、他人のことを低く言う人ほど、
自分自身に対する自己肯定感が低かったりする。

他人に対して否定的な感情をもつ、ということは、すなわち、
私自身が他者のまなざしをもって、自分自身を否定的な感情をもって見ている。
ということなのだろうか…。

これは抜粋だけでは真意がつかめない。現物読むか。。。