年末から年始にかけて立て続けに3人、ともだちが子供を産んだ。

ささやかだけれど、お祝いにと少し前からスタイをつくりはじめている。
いちばん最初に生まれた彩雪という名前の赤ちゃんに、雪の刺繍をしようと思って、刺繍糸を買いにでかける。

祝福、ということ。

わたしが生まれたときもきっと同じように祝福されたんだと思う。最近、実家で見つかったクレヨンは、美術家の親戚がわたしの幼い頃にくれたもの。当時、日本の子供向けのクレヨンは色数がすごく少なかった。でも、親戚にもらったそのクレヨンはびっくりするくらいたくさんの色が入った外国製のものだった。ほかにも、良質の絵本やらぬいぐるみやら、わたしは多くのひとから、祝福されて生まれ育った。

彩雪ちゃんの誕生がうれしいのは、たいせつなともだちの娘だから。
同じように、わたしが祝福されたのは、わたしの両親が周囲のひとからたいせつに思われていたからだ。たいせつに思われるためには、まずひとをたいせつにしないといけない。

わたしが祝福を多くうけて生まれ育ってこれたのは、わたしのひととなりうんぬんではなく、ひとえに、わたしの両親が周囲のひとをたいせつにしてきたからだ。それは、本当にありがたいこと。そんなシンプルなことにすら、三十余年気づかなかった。

祝福の連鎖を次の世代につなごうと思う。
おめでとう。