バルテュス

そういえば、京都に巡回しているなぁと思って、ふと手に取ったのが『バルテュス、自身を語る』という本。(バルテュス著 河出書房新社 2011)

まだ彼の作品を見ていないのだけれど、彼の貫いた姿勢には学ぶところが多い。

ときに成功している芸術家の、ほとんどビジネス書のような持論に呆然とすることもあるのだけれど、バルテュスの言葉は違和感なくすうっと馴染む。彼のような姿勢は、彼が生きてた当時から、そして今もきっと「当世風」ではないのだけれど…
忘れてしまわないように、ここに少しとどめておこう。

画家はつねに鋭い視線でものを見ます。重要なことは実際に目に見えるものより遠くへ行くこと、しかしこの「より遠く」は現実のなかにもすでにあります。そういう研ぎ澄ました視線を持たなければなりません。そのものを見つづけること、そういうふうに注意して見なければならない。といっても現在の私のように視力が弱くてもあまり関係がなく、重要なのは内なる視線の緊張度。物事の内部に深く入り、想像もできないほど豊かな魂を持って生きていることを確認するやり方。(p235)

光はとらえがたく、画家には暴君的で、しかしつねに探し求められています。なぜなら光が照らすことで顔は崇高になり、身体は天使のようになるからです。私は仕事をとおしてずっとこの光の神秘を追い求めてきました。(p245)

絵を描くことは自分自身から抜け出すことです。自分を忘れ、何よりも無名でいることを好み、ときには危険をおかしてもその時代や身近な人たちと協調しないことです。流行に抵抗し、自分にとってよいと思うことには何がなんでも固執しなければなりません。(p274)

絵を描くことはまず知ろうとすること、真実を明らかにするためにあらゆることを試すことです。(p275)

私の人生で最良であり要なのは、絵との穏やかでひそやかで、直感的な関係です。見えないものに向かっての努力。画家に要求されるこの労苦。(P277)

久しぶりにドキドキした。

写真を見るしかた、というのはいろいろあると思うのだけれど、
抽象的な意味だとか、画面からたちのぼるニュアンスの伝達、というのではなく、
ただただ映っている像を具体的に見る、ということ自体のおもしろさ。
というのがある、と私は信じていて、それを探りたいというのが、
川のシリーズをしつこくしつこく続けている理由だと思う。

そういう像をただただ具体的に詳細を見ることのおもしろさ。

その意味で、昨日見た定点観測の写真集はのっけから面白かった。
画面のあちこちで建物が壊されては建つという変化が起こっているから、細部から目が離せない。まったく油断ができない。

「定点観測というのは、なにかひとつの建物がつくりはじめてからできあがるまで、だけれど、自分の写真はそうではない。万物の流転。」
と作家が明確に意図を語っているように、ひとつの大きなストーリーに回収されてしまわない定点観測。

同じものを、異なる時間に何度も撮影する以上、そこには何らかのストーリーが生まれるが、画面中にそのストーリーが無数に畳み込まれている。

言いかえれば、画面内の無数のストーリーを等価にとらえる定点観測。

前後の写真の差異(時間変化)をトリガーとして、地と図の転倒が起こること。
それが、画面のそこここで起こっているから、
いったん写真集として完結しているものの、ここにさらに新しい写真が加わることで、今ある写真の読み方がかわる可能性にひらかれていること。

久しぶりにドキドキした。

大避神社の船祭り

和船

中沢新一さんの『精霊の王』を読んで以来、猿楽の祖である秦河勝をまつっている大避神社(兵庫県赤穂市坂越)に行ってみたいなぁと思っていたところ、10月の第2日曜日に船祭りを開催するらしいので、その祭りにあわせて出かけることにした。

猿楽の祖をまつっているといっても、大避神社の境内には、舞台のようなものはなく、境内じたいはシンプル。境内から坂越の浜と、神域とされる生島が見渡せる。

船祭りは、祭神である秦河勝が漂着した生島のお旅所へ神輿をお供する神事で、本祭の日は朝から船飾りがすすめられ、昼に神輿に大神さまの分霊をうつして、獅子舞を奉納し、船歌を唄い、頭人が拝礼をする一連の神事が執り行われる。それが終ると、一行は鼻高(猿田彦命)が先頭に、神社から浜のほうへ行列が繰り出す。

獅子舞

浜に神輿が着くと、神輿を船に載せるための板(バタ板)かけの練りがおこなわれ、無事神輿が乗船すると、漕船二隻が獅子船、頭人船、楽船、神輿、歌船を曳航して浦をぐるっと一周し、生島のお旅所へと向かう。

坂越の船祭

見どころは、和船の造作と、この祭礼船が、獅子を舞い、雅楽を奏で、船歌を歌いながら巡航する様子。この日は少し雲が厚かったので、色が少し沈んで見えたけれど、晴れた日なら、もっと綺麗に見えたのかもしれない。

曳航

日が暮れ、浜でかがり火がたかれるなか、生島での神事を終えた船が戻って来るのも、素敵な光景だった。

今年、国の重要無形文化財の指定を受けたが、それでも、少子化で漕手が少ないため、祭りのために坂越の出身者が東京や北海道をはじめ、全国各地から戻ってきて祭りに参加しているとのこと。大人も子どもも総出で、坂越の人々が大切に守ってきた祭りであることがよくわかるお祭りだった。

300年以上の歴史を持つ祭りだけれど、秦河勝が没したのが647年で、船祭りは江戸時代初期にはじまったと言われるから、その間に千年ほど経っている。なぜそのタイミングで祭りがはじまったのか、が気になるところ。

シデ振り

祭りと坂越の主要な産業である廻船業との間には深いつながりがあると、配られた資料に書かれていた。ちょうど今、読み始めている海民について書かれた網野善彦さんの本に、廻船業と芸能との関係について書かれていた箇所があったので、何かつながってきたらおもしろいなぁと思う。

最近は、中沢-網野両氏(この方々は甥と伯父の関係なのですね…)の著書の影響で、この国の歴史のなかで、芸能がどういう役割を果たして来たのか、とか、芸能民と呼ばれるひとびとがどういう人たちだったのか、ということにふつふつふつと興味が湧いている。

龍安寺の石庭

龍安寺の石庭

読んでいた本の中で少し気になる文章を見つけた。それもごく最近、龍安寺の石庭を見に行ったところだ。

 この庭には、砂と石と石にへばりついた苔しかありません。石は全部で一五個、大小の違いがあって、かりに庭を左右に分割してみることが許されるならば、左にある二群の石は、右にある三群の石よりも、全体的に大きいものが配置してあります。非対称にもとづく石組みの配置が、微妙な均衡をつくりだしているとも言えるでしょう。石はとりたてて特別面白いという形をしていません。むしろ平凡な石という印象のほうが強く、そこに座り込んだ人は、石そのものに関心を引きつけられるよりも、石と石の関係や、全体配置のなかでも個々の石の位置のほうに、注意がいくように配慮されているように感じられます。つまり、これらの石には「自性」がないのです。
(中略)
 これをさきほどの、『華厳経』の思想について書かれた井筒俊彦の文章と比べてみると、仏教思想の構造と庭園の構造とがあまりにみごとに照応しあっていることに、驚かされます。この石庭のなかに置かれたそれぞれの石は、「自性」というものを持っていません。しかし、それぞれの石にはほかの石との関係から発生するところの、全体的関連性のなかでの独自性の感覚がそなわっています。無「自性」なのに、そこにはたしかにものがある、という存在感を生み出しているわけです。
 ところが、そういう石が個体としての存在感を持ち出したとたんに、足許の苔がそれをあざ笑うかのように、個体性の幻想を解体してしまうのです。(後略)
(『対称性人類学』中沢新一著 講談社 2004 p195より抜粋)

「自性」のくだりがわかりにくいので、少し手前の文章も抜き出しておこう。

 (前略)私たちのひとりひとりが、宇宙の中でのかけがえのないたったひとつの個体であることの認識から、仏教は出発します。ここで西欧的な思考は同じように、個体性のかけがえのなさの認識から出発して、個体の確立という思想に向かっていくでしょう。つまり、個体性というもののベースに潜在している非対称性を、あらゆる思考の基礎にすえようとするでしょう。じっさいアリストテレスはそうやって、個体性というものを自分の哲学の出発点にすえました。そうすると、非対称性の論理学を使って、多くのことが矛盾なく説明できるように思われたからです。
 しかし、仏教はそこから反転して、この個体というものを対称性の思考の中に投げ込むことによって、非対称性と対称性の共存として発達してきた野生の思考の(バイロジック的な)知恵を、できるだけ完全なかたちにまで発達させようと試みてきました。(中略)自分はこの宇宙でたったひとつのかけがえのない存在なんだという、個体性の鋭い意識を保ったまま、すべてのもの(存在)のあいだに同質性をみいだしていこうとする対称性の思考を作動させることによって、宇宙のなかの極小部分としての個体や個人の自由ということについて、考えてみようとしたわけです。
 そのことを最初に、意識的に表現してみせたのが『華厳経』です。そこではまず、仏教思想の基本にのっとって、ものには自性(そのものとしての本質)はない、という認識から出発します。ものとものを区別し、分離する非対称的な意識の働きを止めて、そこに対称性の思考を働かせるとき、高度な哲学的思考の試練をへている仏教は、それをたんに「同質的である」というのではなく、もっと哲学的に「自性はない」と表現するわけです。

 そのうえで、あらためて今度はものには自性はないけれども、しかもものとものとのあいだには区別がある、ということを言い出すのです。
(同書 p190-191から抜粋)

ここで自性についての記述を深く追うのは控えるけれど、仏教における、ものの存在についての抽象的な思考を、この石庭がたえず現象させているというところが肝要なのだと思う。

空間そのもののはじまり

昨日の「守宮神(宿神)」では少し寄り道をしてしまった。そもそもは、重森三玲の庭に興味を持って、中世から現在に至る作庭の、背後にある思想とか美意識を知りたいというところからスタートしたのだ。はからずも『精霊の王
』に、その答えを見つけたように思う。長いけれど抜き出してみよう。

 立石僧や山水河原者は、庭園をつくる職人だ。彼らのおこなう芸能では、ことはさらに抽象的に深められている。庭園の職人たちは、西洋のジャルディニエールたちのように、いきなり空間の造形にとりかかるのではなく、空間の発生する土台をなす「前ー空間」を生み出すことから、彼らの仕事を開始する。「なにもない」と観念された場所に、庭園の職人はまず長い石を立てることからはじめる。この石は伊勢神宮の「心の御柱」や「六輪一露」説に言う輪に突き出た短い杭と同じように、潜在空間からこちらの世界のほうに突出してきた強度(力)の先端をあらわしている。この先端の向こう側には、存在への意志にみちみちた高次元の潜在空間が息づいている。そして、この先端のこちら側には、人間が知覚できる三次元の現実空間が広がっている。庭園職人が「なにもない」空間に打ち立てるその立石は、まさに絶対の転換点となって、空間そのもののはじまりを象徴する

 空間に突き出した猿田彦の鼻のようなこの立石が、「前ー空間」を出現させる。立石の下には、宿神の潜在空間が揺れている。その揺れの中から、三次元をもった現実の空間の原型が押し出されてくる。そして、「六輪一露」説における像輪さながらに、この空間の原型を素材にして、庭園の職人たちはそこに、起伏や窪みや水流や陰影や空気の流れなどでみたされた、現象の世界の風景を造形するのである。

 しかし、金春禅竹が像輪についての説明の中で語っているように、そうしてできてくる現象としての風景には、いたるところに「空」が滲入しているのでなければならない。庭園は目で見ることもでき、手が触れることもできる現実の空間にはちがいないのだけれど、その全体が宿神の潜在空間に包み込まれ、細部にいたるまで「空」の息吹が吹き込まれているために、向こう側のものでもないこちら側のものでもない、不思議な中間物質として、蹴鞠の鞠のように、どこか空中に浮かんているような印象を与えるのだ。

宇宙とか、大海原というレベルではなかった。「空間そのもののはじまり」という原初的で動的な現象を象徴するという、ものすごいチャレンジだったのだ。自分の認識をあらためなければならない。そして、自分の考えの射程範囲の狭さを痛感。今年はもう一度、庭園を見に行こう。

そしてもうひとつ気になったことがある。

 たいがいの西洋庭園とちがって、このような宿神的庭園では、風景の全体を見通すことができないように、特別な工夫がこらされている。宿神の創造する空間は、つねに生じてくるようでなければならないからだ。そのために、それは出来上がった空間として、全体を見通せるようなものであってはならない。一歩歩むたびに、新しい小道が開け、新しい風景が眼前に生じてくるようでなければ、それはけっして宿神的空間とは言えないだろう。植物は人に見られるものではなく、逆に人が植物によって見られるようになる。前ー空間では主客の分離がおこりにくい。その影響が庭園のすみずみまで浸透しているので、このタイプの庭園を歩いていると、人はだんだんと主体としての意識を薄くして、瞑想的な静けさの中に入り込んでいくようになる。たしかにこれも「六輪一露」に説かれていたとおりのことではないか。

 このように宿神を家業の守り神とする「諸芸」の職人や芸人たちのつくりあげてきたものは、どれも空間として特異な共通性をそなえているように見える。運動し、振動する潜在空間の内部から突き上げてくる力が、現実の世界に触れる瞬間に転換をおこして、そこに「無から有の創造」がおこっているかのようにすべての事態が進行していく、そういう全体性をそなえた空間を、職人や芸人たちは意識してつくりだそうとしてきたようなのだ。
(『精霊の王
』中沢新一著 講談社 2003 p262-264から抜粋)

このくだりを読んだときに、以前、自分の展示において、どうしても「作品全体を一望できないように展示したい」という気持ちが強かったのを思い出した。

宿神の創造する空間は、つねに生じてくるようでなければならないからだ。
そのために、それは出来上がった空間として、全体を見通せるようなものであってはならない。

自分の制作が宿神の思想に直結しているとまでは言えないけれど、わたしに限らず、この国で生きて生活しているひとびとの、ものをつくり表現する営みの底には、かすかに宿神の思想が潜んでいるのかもしれない。

守宮神(宿神)

先日の「幽玄」の続き。この文章に中世の芸能者や職人の思想が垣間見える。

(前略)もっと普通には、芸能の達人たちはこの神=精霊の実在を、超感覚ないしは直感的にとらえていたように思える。つまり、自分の身体や感覚を、三次元の物質で構成された空間を抜け出して、そこに守宮神が住むという柔らかく律動する特殊な空間の中につないでいき、その音楽的な空間の動きを自分の身体の動きや声の振動をとおして、観客の見ている普通の世界の中に現出させていこうとしたのである。

 蹴鞠は蹴鞠の形をした守宮神(宿神)の助けを借りて、驚異の技を演じてみせようとした。ほかの芸能についても事情はほぼ同じで、「昔ハ諸道ニカク守宮神タチソヒケレバ」こそ、常の人の能力を超えた技芸の達成を実現することもできたのである。石を立てて庭を造るのにも、花を生ける(石の場合と同じように「花を立てる」、といったようだ)のにも、「諸道」の者たちはただ自分の美的感覚や造型の技術を頼みにすればよいというのではなく、それぞれの道にふさわしい守宮神の護りを得る必要があった。それはたんなる神頼みというものではなく、その神をとおして、それぞれの芸がどこかで「へその緒」のようなものをとおして、揺れ動く「シャグジ空間」につながっている必要を感じていたからである。そういう空間から立ち上がってきた石や花でなければ、霊性にひたされた芸能とは呼ぶことのできない、ただ美しいだけのただの物質的現象にすぎない、と見なされた。
(『精霊の王』 中沢新一著 講談社 2003 p17-18より抜粋 原文は太字なし)

ここで出てくる「シャグジ空間」は先の記事では潜在空間と表現されていたものと同じである。では、このシャグジ空間とはどのようなものなのか。

 あきらかに、守宮神が住処とする特別な空間の様式というものが、猿楽の徒には明瞭に直観されていたのがわかる。それは、神々以前からあって、神々を自分の中から生み出す空間である。しかも生まれたばかりの神々を優しく包んで、破壊されないように守る役目をしているのも、この空間だ。この空間には荒々しい霊威が充満している。それが神々の背後にあって発動をおこなうとき、前面に立つ神々も奮い立って、それぞれの神威をふるうことができるのだという。宇宙以前・空間以前からすでにあったコーラ Chola(場所)とでも言おうか、物質的諸力の影響を受け付けないシールド空間とでも言おうか、これはきわめて難解な構造をした力動的空間であって、猿楽者たちはそれを直観によってつかみとろうとした。
(同書 p22-23から抜粋)

 守宮神=宿神の住む空間は、時間性と空間性において、私たちの知覚がとらえる時空間とは、ラジカルな違いをもっている。過去・現在・未来という時間の矢に貫かれながら進んでいく、私たちの知覚のとらえる時間の様式とは違って、「シャグジ空間」では時間は円環を描いている。そこには遠い過去のものと未来に出現してくるものとが、ひとつの現在の内部で同居しているのだ。また「シャグジ空間」は三次元の構成を越えた多様体としての構造をしている。そのおかげで、やすやすと鞠の表裏をひっくり返したりもできる。つまり、この世界にいながら、高次元の空間の内部に、するすると入り込んでいくこともできる。
(同書 p25-26から抜粋)

そして、この守宮神=宿神。その音韻の構造からも、胎生学的なイメージを擁している点においても、樹木との連関においても、諏訪のミシャグチと多くの共通点がある、と論は進み、こうまとめられる。

私たちがすでに見てきたように、宿神はこの列島上できわめて古い時代から生き続けてきた「古層の神」の一形態である。もともとは境界性をあらわそうとする「サないしス音+ク音」の結合として、さまざまに発音されてきた共通の神の観念のつながりの中から、宿神と呼ばれるこの芸能者の守護神はかたちづくられてきている。この「古層の神」はミシャグチの名前で、諏訪信仰圏では独自な発達をとげた。
(同書 p148から抜粋)

重森三玲の庭からスタートして、幽玄を経由し、宿神、そしてミシャグチと、気がついたら「古層の神」にたどり着いた。ずいぶん深追いをしてしまったけれど、ここまで来たのだから少しだけ寄り道をしたいと思う。

 猿楽の先祖たちは、神仏の鎮座する空間の背後にしつらえられた「後戸」の空間で、その芸をおこたったと記録されている。薄暗いその一角を芸能の徒たちはものごとが変容をおこし、滞っていたものが流動をとりもどし、超越性のうちにこわばってしまっているものに身体の運動性を注ぎ込むための、ダイナミックな場所につくりかえていこうとしたのである。

 そうしなければ、前面に立つ神仏たちの「霊性」が発動することはできない、と考えられていたからだ。「後戸の神」は神仏たちの背後にあって、場所を振動させ、活力を励起させ、霊性に活発な発動を促す力を持っている。それゆえ、日本人の宗教的思考の本質を理解するためには、折口信夫が考えたように、芸能史の理解が不可欠なのである。ここでは神仏は芸能的な原理と一体になって、はじめてその霊性を発揮する。

 ヨーロッパ的な「たましいの構造」において、舞踊的・霊性励起的・動態的な原理が、「ディオニソス」の名前と結びつけられて、神性の構造の内部深くに埋め込まれていることは、よく知られている。ところが、私たちの「たましいの構造」にあっては、同じ舞踊的・励起的な原理は、神仏の内部にではなく、その背後の空間で活動をおこなうのである。ヨーロッパ精神が「入れ子」の構造をもつとしたら、私たちのそれは異質な二原理の「並列」でできている。そして、このことが、日本人の宗教や哲学の思考の展開に、決定的な影響をおよぼしてきたのである。
(同書 p96から抜粋)

一番驚いたのはこのくだりだった。
神仏の背後には古層の神(後戸の神)の空間があって、その震えや活力がなければ、神仏が霊性を発動できない…。そんな複雑だとは想像もしえなかった。

諸芸についても、すでに完成した宗教的世界観を表現するものだとばかり思っていたから、古層の神の空間と神仏を架橋し、神仏の霊性の発動を促すものとして芸がとりおこなわれたということに、かなり衝撃を受けた。

この国における芸能の位置づけということについては、またあらためてとりあげたいと思う。

ここでひとつとどめておきたいのは、わたしにはこの話が宗教だけ歴史の中だけの話にとどまらないように思えるのだ。わたしたちが日常的に交わしているやりとりの中の「場の空気を読め」という暗黙のルールの中には、「主体のあいまいな空間」を前提とする独特の考え方があるように思う。もしかしたら、そこには、神仏の背後に古層の神の空間を据えるような複雑な思想構造が大きく影響しているのかもしれないし、気づいていないだけで、もっとほかの局面においても、影響を受けていることがたくさんあるのかもしれない。

幽玄

半年ほど前。写真とか視覚のことばかりを考えていて息がつまるというか、もう少し視野を広げようと思ったときに、ふと重森三玲の庭を思い出し、庭がただ庭としてあるのではなく、庭でありながら、より大きな存在を感じさせる構造をとっていることについて考えたいと思った。(「秘スレバ花ナリ」)

写真でも同じよう構造をもたすことができないだろうか?という野望をほんの少し抱きながら、彼の作庭の背後にある思想や美意識を知りたいと思って、三玲の著書『枯山水』を繙いた。そこではじめて幽玄ということばに出会う。その後で世阿弥の『風姿花伝』の現代訳も読んでみた。(「風姿花伝」)

正月に実家の裏にある保久良神社を参詣し、その裏にある磐座の存在を知った。ただ巨石がいくつか並んでいるだけなのに、なにかうっすらとひとの作為が感じられ、表現のいちばんプリミティブなかたちを見たような気がして、淡い関心を抱いた。ちょうどその頃に読んでいた『枯山水』のはじめのページに保久良神社の磐座の図版を見つけ、驚くとともに、磐座や先史時代に対する興味がいくぶん加速された。

それから半年間、磐座、縄文というキーワードに導かれて中沢新一さんの著書を読むようになり、仏教や神道が成立する以前のひとびとの精神世界に興味を持つようになった。そういう経緯で手に取った『精霊の王
』で、はからずも、幽玄ということばに再会する。今回は世阿弥ではなく金春禅竹の『明宿集』の引用で。

住輪

 幽玄という概念は、住輪に描かれた短い杭または嘴状の突起に関わっているということが、この記述からはっきりわかる。そこは潜在空間から現実世界に突き出した岬であり、特異点であり、この短い突端の部分で転換がおこっているのだ。猿楽の芸人はこの要所をしっかりと会得することによって、「幽玄」の表現をわがものとすることができる。無相無欲の清浄心をもって、この岬に立てば、現実世界に顕われることも潜在空間に隠れることも、自在である。

(中略)猿楽の芸は、三輪清浄として示されたこの潜在空間を背後に抱えながら、演じられるのである。本来が物真似芸(ミミック)である猿楽は、自然界のさまざまな存在をミミックとして表現する。そのときに、目に見えない潜在空間を背後に抱えた芸能者は、具体物でできた現象の世界を一体どうやって表現していったらいいのか。禅竹の思考はここからいよいよ深く猿楽芸の本質に迫っていくのである。(『精霊の王
』中沢新一 講談社 2003 p234-235より抜粋)

目に見えない潜在空間を背後に抱えた芸能者は、
具体物でできた現象の世界を一体どうやって表現していったらいいのか。

この一文は、猿楽や作庭に対するわたしの認識をより鮮明にしてくれると同時に、思っていたほどことは単純ではない、ということも教えてくれた。

まずここで、作庭家や猿楽の芸能者は、
目に見えない潜在空間を背後に抱えながら具体物でできた現象の世界を表現する
ということがはっきりした。

しかし、作庭の場合で言えば、宇宙や大海といった(目に見える)ものを、石や砂で表現(あるいは象徴)している、というだけでは十分ではない。むしろ、目に見えない潜在空間と現実の世界をどう架橋するかに重きが置かれている。

この「目に見えない潜在空間」というのが、ものすごく深い。仏教や神道の成立以前の精神世界まで射程を広げないと、理解できないのだ。

特定の芸術分野(作庭)における思想や美意識を追っているつもりが、大変なところに合流してしまった…という感じ。

長くなるので、続きは後日。

風姿花伝

重森三玲の『枯山水』を読んでから気になっていたので、市村宏さんが全訳注をつけた風姿花伝を読んでみた。

秘スレバ花のくだり、どうも文脈が少し違うみたい。

通釈によると…

1、秘する花を知るべきこと。秘すればこそ花で、秘するのでなくては花ではないのだというのである。このけじめを理解するのが大事の花なのだ。そもそもあらゆる事、諸道諸芸において、その家々に秘事といってあるのは、秘するによって大きな効果があるためである。それ故、秘事ということを白日の下にさらけ出すと、何も大したことではない。だが、これを大したことでもないという人は、未だ秘事ということの大きな効用を知らぬからなのである。

(『風姿花伝』 全訳注 市村宏 講談社学術文庫 2011 p200より抜粋)

この通釈だと、秘伝というシステムについて書かいた文章のように読めるけれど、重森三玲は「秘事ということの大きな効用」という点を文脈から切り離して、枯山水の象徴性にあてはめて書いているように思う。

とにもかくにも「秘事ということの大きな効用」というポイントは見逃せないなぁ。

風姿花伝、もっと抽象的なものかと思っていたら、観客を飽きさせない工夫や年齢相応の精進のしかたなど、意外なほど具体的な内容が多くて面白かった。

秘スレバ花ナリ。

写真の画面の中ばかりに意識が向いているなぁ。内に閉じていく方向に向かっているなぁと思ったときに、ふと、以前見た重森三玲の庭の、庭が庭だけで閉じずにもっと大きな世界につながっている感じを思い出した。

そして、それら庭園がどういう意図や美意識のもとに組み立てられているのかということを知りたくなって『枯山水』を繙いた。(重森三玲著 中央公論新社 2008)

読んでみて気になったのは、幽玄、見立てる、空白の3つ。

幽玄

幽玄というのは、その表現の形式なり内容が、なんらかの形で、又は意味で隠されているものを指しているのであって、いわば本体の姿のままの形式や内容の、そのままの表現ではなく、全く異なった形や、内容として、別天地を創造した美の領域を指していることがことがわかるから(後略)(p70より抜粋)

この部分だけを抜き出してもわかりにくいと思う。ここで言っていることの具体例を枯山水に求めると、水に代わるものとしての表現材料として白砂を用い、また見る側も、砂を通して水を見いだそうとしていることが挙げられる。数個の石を立てて滝の表現とするのも然り。

砂を砂の美としてのみ創造もし、鑑賞もすることは、隠され、秘められている美がない訳であるから、これは幽玄ということはできないのである。

砂が水の表現材料として使われているからこそ幽玄であり、砂が砂としてのみ表現され、鑑賞されるのは、それは幽玄ではないのだそう。

このあたり、ものづくりをする際の素材と表現内容の関係を考えるヒントになりそう。

見立てる

庭園においては、園池の池水は池水と見つつ、同時に海景に見立てているのであり、枯山水における白砂は白砂と見つつしかも水と見立てるのである。

象徴というと、西洋絵画のヴァニタスのような、死の象徴としての頭蓋骨や、加齢や衰退などを意味する熟れた果物を思い浮かべるけれど、ここで言われている「見立て」とはまた全然意味が違う。

何が違うのだろうか?

死や、加齢などは、抽象性が高いのに対して、海景や滝、水は具体的である。庭園においては、象徴とする対象もまた具体的なものであるというのが大きな違いではないか。

ここでもうひとつ面白い記述を見つけた。池庭は、基本的には海景を表現しているのであり、そこに置かれる石は島の表現であるが、

池庭の中島などに要求されるものの中に、雲形とか、霞形とか、松皮様などのものがある。池中の中島は大体において、大海の島嶼を表現することが意図されているにもかかわらず、この中島に、雲の形とか、霞の形などといったものを形式上に意図すること、(後略)(p78より抜粋)

とある。で、雲の形や、霞の形のものをどうするかというと、

雲形の中島の場合では、雲が風に吹き流されているような形として表現し、霞形の中島の場合では、霞が二重にも、三重にも棚引いているがごとき姿に作ることが主張されているのであって、(後略)

単純に池水を海と見立て、石を島と見立てるのにあるあきたらず、さらに島と見立てた上に、雲や霞の表現を求めるというのだ。中島を、石と見て、島と見て、雲(あるいは霞)と見る。すごい。

ここで、わざわざ雲が風に吹き流されているような形、霞が二重にも、三重にも棚引いているがごとき姿と書かれていることに気がつく。単に雲のかたち、あるいは霞のかたち、ではなく、雲(あるいは風)の動きや霞の動きを忠実に表現することに重点が置かれている。そう考えると、白砂が表現する波や水紋も、石を複数組み合わせて表現する滝も、水の動きを表現している。

石や砂といった基本的には動かないモノを材料とし、その形状によって、水や雲や霞といったまったく別のものを、その動きまでを含めて表現する。

ものすごく射程の広い話ではないか。

中島を、石と見て、島と見て、雲(あるいは霞)と見るように、同時にAと見て、Bと見て、Cと見るような構造を写真に持たせることは可能なのだろうか。

またりんごだ…

先日読んだホックニーの本でセザンヌのりんごが出てきたけれど(「りんご」)、また全然違う文脈でセザンヌのりんごが登場していたので、メモしておこう。前者においては、単眼で見た世界と双眼で見た世界の違いの例としてとりあげられていたが、ここでは、見る行為に含まれる原初的な経験(なぞる-なめる)との関わりで紹介されている。両者で共通しているのは、視点は一点に固定されていない、ということ。

(前略)なぞるためには、まずはそれに触れなければならない。舌を押しつけるのであれ、歯茎で齧るのであれ、唇で挟むのであれ、はたまた舌先や唇、さらには指先で間を測りながら、そっとつついたり、さすっとり、撫でたりするのであれ。なぞるのは、まず輪郭である。物の外皮、物の表面をなぞりながら、ひとはその形状を、つまりはそのカーヴを、テクスチュア(肌理)を、そしてその硬軟を知る。カーヴやテクスチュアや硬軟は、口や手といった触れる器官で知る。けれども、物のそのカーヴは、物の全体的な輪郭の一部であるからには、視覚的にこそより完全にとらえられるもののようにおもわれる。メルロ=ポンティはその点について、描画といういとなみにふれてこう言う。

 林檎の輪郭を、続けて一気に描けば、この輪郭がひとつの物になるが、この場合、輪郭とは、観念上の限界であって、林檎の各面は、この限界を目指して、画面の奥の方へ遠ざかるのである。いかなる輪郭も示さなければ、対象から、その自同性を奪い去ることになるだろう。ただひとつの輪郭だけを示せば、奥行きを、つまり、われわれに、物を、われわれの前にひろげられたものとしてではなく、貯蔵物にあふれたものとして、汲み尽くしえぬ実在として示してくれるような次元を、犠牲にすることになるだろう。それゆえに、セザンヌは、色で抑揚をつけるに際して、対象のふくらみにしたがい、青い線で、いくつかの輪郭線を引くということになるわけだ。(M・メルロ=ポンティ「セザンヌの懐疑」粟津則雄訳)

 対象をあやすように、愛おしむようにしてその表面をなぞる手の運動、まるでその奇跡を視覚的にたどり、再現しているかのような、ひょろひょろとしたセザンヌの描画の線。セザンヌの描く林檎のひゅっひゅっと走るあの無数のかすり傷のような輪郭は、舌で舐め廻し、指でなぞる、そういうわたしたちの原初的な知覚の轍のようにみえないこともない。三木の表現をあらためて引けば、そうした「目玉による舐め回し」には、口による、そして手による対象の舐め廻しの記憶が蓄えられている。そうしたことがあるから、メルロ=ポンティは、「われわれは、対象の奥行きや、ビロードのような感触や、やわらかさや、固さなどを、見るのであり—それどころか、セザンヌに言わせれば、対象の匂いまでも見る」とまで言い切ったのである。これは、視覚から触覚、嗅覚まで、異なる感覚とされるものがその実、単独の感覚である以前にまずはたがいに交叉しあい、また深く侵蝕しあう、シネステジー(共感覚)の現象を言いかえたものであり、さらにそのことを敷衍して、別の著書では次のように書いている。「質・光・色彩・奥行といったものは、われわれの前に、そこにあるものではあるが、しかしわれわれの身体のうちに反響を喚び起こし、われわれの身体がそれを迎え入れるからこそ、そこにあるのだ。この内的等価物、つまり物が私のうちに引き起こすその現前の身体的方式、今度はそれが、これもまた目に見える見取り図を生ぜしめないわけがあろうか」(M・メルロ=ポンティ『眼と精神』滝浦静雄・木田元訳)、と。

(『「ぐずぐず」の理由
』 鷲田清一著 角川選書 2011 p132-134より抜粋)

セザンヌに関する記述だけ抜き出したけれど、その前段には、以下のような文章がある。

 乳を吸う、味わうといういとなみに飽いてくると、つぎに赤子は口で外界の探索をはじめる。いやというほど物を舐め、しゃぶり、くわえ、齧る。人間のばあい、外界の物は、まずはしゃぶること、舌と唇と歯茎でなぞることで知られるのだ。

幼児たちは、やがてこの口の過程を卒業し、もはや内臓とは関係のない「手と目」の両者だけで満足するようになってくる。そこでは、この二種の触角による“撫で回し・舐め回し”の感覚・運動の共同作業が営まれるのであるが、そのうち、ここから“手を退き”、ついに目玉という、たった一つの触角でもってこと足りる世界が開かれて来ることになる。

 しかし、重要なことはその次にある。たしかにひとは、まずは口で、次に手で、そして眼で「舐め回す」ようになるのだが、「この最後に残った目玉による舐め回しの奥底には、かつてえんえんと続けられてきた本物の“舐め回し”の記憶が、そこではかけがえのない礎石となって、そうした視感覚をしっかり支え続けている」。

(同書 p131-132より抜粋)

これに関して、少し思いつくこと。

  • ある表面に対して垂直方向の運動、例えばぐっと対象に寄ってじっと(解像度を上げて詳しく)見るというような視覚の運動は、舐める、撫でる、との連携では説明しにくい。そういうのは、どうとらえるのだろうか。
  • 触覚の連携を示唆する視覚表現、あるいは触覚との連携で解釈される視覚表現を、最近目にする機会が多くなったように思う。これは制作者の関心が「絵画とはなにか?」や「写真とはなにか?」という問いから「見るとはなにか?」という、より根源的な問いに移行してきたからだろうか?

映画的なるもの

ホックニーの本を読んでから、また少し絵巻のことが気になって、高畑勲さんの『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』を取り寄せた。合点がいくところと、絵巻の技術の妙にうならせられるところがたくさん。

まずは、『信貴山縁起絵巻』で絵画としては奇妙な構図がなぜ採用されているのか?という箇所。

『信貴山縁起』の、鉢の外に導かれた倉は画面上端を大きくはみだして飛び、米俵の列は上端ぎりぎりに沿って遠ざかる(飛倉の巻)。また尼公は、空白に等しい霧の画面の下端を、見逃しそうな大きさで歩む(尼公の巻)。とくに尼公と米俵の列は、その場の主人公であるにもかかわらず、画面の隅に小さく押しやられているだけでなく、まるで紙の端でその一部が切断されたかのようだ。
これらの大胆な表現は、その箇所を抜き出してただの静止した「絵画」として鑑賞すれば、いかにも奇妙で不安定な構図に見えかねない。
しかし、絵巻を実際に繰り展げながら見進んでこれらの箇所に出会えば、なんの不自然さも感じないばかりか、この不安定な構図表現こそが、物語をありありと推進していく原動力となっていることに気づく。
なぜこのようなことが起こるのだろうか。
それは、ひとことで言えば、連続式絵巻が、アニメーション映画同様、絵画でありながら「絵画」ではなく、「映画」を先取りした「時間的視覚芸術」だからである。
映画では、人物が画面を出たり入ったりする(フレームアウト・フレームイン)。しばしば人や物を画面枠からはみださせ、背中から撮り、部分的に断ち切る。ときには空虚な空間を写しだす。映画では、たとえ画面の構図を安定させても、そのなかを出入りし動くモノ次第で、たちまちその安定は失われてしまう。
右に挙げた二例も、絵巻を「映画的なるもの」と考えれば、まず、モノ(尼公と米俵の列)抜きの構図があって、そこをモノが自由に行き来して構図の安定を破るのは当然なのである。
『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』高畑勲 徳間書店 1999 p51より抜粋)

ここで2点。

以前、展覧会を見られた方から、「一本のシネフィルムを見るようでした」という感想をいただいていたことを思い出した。
観者の意識を細部に誘うために「全体を一望できないかたちで展示して、見ているのが部分でしかないという認識を観者に持たせる」という目論みだったのが、制作者の意図を越えて、観者に「時間性」を感じさせた。展示をしてみてはじめて、時間性というキーワードがわたしの認識にのぼった。が、そもそも絵巻という形式それ自体が、時間性を持っているということを確認したのが一つ。

もうひとつは、絵巻から離れるけれど、ずっと以前に、動画を撮って再生と静止を繰り返して、被写体が見切れる構図は、写真の世界ではあまり見かけない構図やなぁと新鮮に感じ、実験を繰りかえしていたことを思い出した。(「見切れるフレーミング」)動画のコマを前後の脈絡から切り離して、一コマだけ抜き出して写真として見ようとすると、とても奇妙に見えるのだ。動画が要請する構図と、静止画が要請する構図は、まったく異なるものだということをここで再確認。この件は、もっと掘り下げる余地がある。
絵巻は、動画が要請する構図を採用しながらも静止している、というマージナルな存在であり、だからこそ絵巻の特徴をつぶさに観察することで、静止画(あるいは動画)の形式が暗黙のうちに要請し、わたしたちが盲目的に従っている文法のようなものを明らかにできるかもしれない、と思う。

りんご

『Secret Knowledge(秘密の知識)』の中でカラヴァッジョの『果物籠』(1596)と、セザンヌの『7つのりんご』(1877-8)に描かれたりんごを比較している箇所がずっと気になっている。

図版を置いて、そこから離れて見れば見るほど、カラヴァッジョのりんごは見えにくくなり、画面に沈み込んでいく。逆に、セザンヌのりんごは、より強烈により明快になっていく、という記述。前者がレンズを通した単眼によって描かれているのに対し、後者は双眼による視覚を前提に描かれているという。

実際に自分も本を置いて離れたところから眺めてみて、なるほど、と思った。あまり話が抽象的になると、話についていけないことがあるけれど、こうやって実際に経験しながらであれば理解しやすい。

まず、離れて見てみてそこで現象することを捉えるという、こういう観賞の仕方があるということをはじめて知る。そして、写真に携わっているので、単眼による視覚と双眼による視覚の違いについては、どうしても関心を持たざるを得ない。「レンズという単眼による独裁の世界」という表現にはちょっと違和感を感じるけれど。

(前略)セザンヌの新しさは視点が定まらないことを意識し、ということはわたしたちは対象をつねに複数の、ときには矛盾する視点から見ていることを自覚したうえで、絵のなかに画題と自らの関係にまつわる疑問をもちこんだところにある。ここには人間らしい双眼の世界(二つの目、二つの視点、それにも伴う疑念)が展開している。それとは対照的に、レンズという単眼による独裁の世界(ベラスケス)は、つまるところ人間を数学的な位置に還元し、かれを空間、時間と切り離された位置に固定してしまう。
『Secret Knowledge(秘密の知識)』 青幻舎 2006 p190より抜粋)

移動焦点の原理

先日読んだ、ホックニーの『Secret Knowledge(秘密の知識)』に、絵巻に関する記述があったので、メモしておく。

 

ここに1347年に中国で描かれた風景画の絵巻がある。本ではページを捲ることになり、巻物のように少しずつ繙くことはできないので、部分ごとに分けてお見せするしかない。これはアルベルティの窓とはちがう。これを見る者は情景の外側にいるのではなく、身近な風景の中をそぞろ歩くのである。視点は(ただひとつでなく)多数ある。これはわたしたちが歩き回るときの視点のあり方と変わらない。

 わたしの手許にある絵巻は、湖の辺の小さな村を見下ろす景色から始まる。そこから水辺へと降りると、湖面越しに彼方の山並みも望める。つづいて湖畔沿いに蛇行する道を行くと、頭上には山が聳え、小さな渓谷も目に入る。丘を昇り、湖を見下ろし、再び平野に下り、再度山に登る。ただひとりのひとがゆっくり巻物をひもといて初めて、このように目で見、感じることができる。巻物をすっかり拡げてしまえば、また美術館の催す展覧会ではそうならざるを得ないが、こうした効果は期待できず、風景はどことなくぎこちなく見えてしまう。図版をよりよく見るには虫眼鏡を使うことをお薦めする。わたしはこの絵巻からじつに多くを学んだ。この手法は[移動焦点の原理]と呼ばれる。この絵巻を原始的と呼ぶのは、どう考えてもふさわしくない。これは洗練を極めたもので、もしどこかに消失点があれば、それは動きを止めたこと、つまり見る者がもうそこにはいないことを意味すると気づかされる。
『Secret Knowledge(秘密の知識)』 ディッド・ホックニー 青幻舎 2006 p230から抜粋 太字はわたしが勝手に)

要点をまとめる
・鑑賞者は画面の外側にいるのではない。身近な風景の中をそぞろ歩く
・視点は多数ある
・図版をよく見るには虫眼鏡を使うこと
・消失点があれば、それは動きをとめたことになる

《RIVERSIDE》のことを「大きな絵巻なんだね」と表現されたことがあって、それから絵巻の特徴や構造について、少し考えるようになった。

実は、作品化されずにお蔵入りのフィルムがいくつかあって、視界を遮るものがなく遠景まですぅっと抜けて見えてしまう風景の場合、絵としてあまりおもしろくない、というのがボツにした理由だけれど、この文章でひとつヒントを得た気がする。「消失点があれば、それは動きをとめたことになる」。消失点への求心力が、視線の水平方向の運動を妨げるということは大いに考えうる。ボツフィルムをもう一度見直して、考えてみようと思う。

「移動焦点の原理」というタームでgoogle先生に尋ねてみたけれど、芳しい回答が得られない。「移動焦点の原理」は、原文ではどうなっているんだろう。掘り下げて調べたいところ。

ひとつ言えるのは、カメラ(単眼)を使って絵巻構造の作品をつくるというのは、本質的な矛盾をはらんでいるということ。

Secret Knowledge つづき

おもしろいのは、アングルの肖像画(1829)を見たときに、フォルムが正確で精密なわりに素早い線で迷いがなく、さらに、ウォーホルがプロジェクターを用いて描いた作品の描線に似ているという、画家ならではの気づきからこのプロジェクトがスタートしているところ。

オールドマスターの作品を年代順に壁に並べることによって、自然主義の歩みが緩やかに進行したのではなく、突然の変化として現れたことが明らかになる。そして、その急な変化は、線遠近法の登場だけでは説明しきれない点が多いこと。さらに、画面中に、ピンぼけ、遠近法の歪み、複数の消失点など、光学機器ならではの特徴が見出されたことで、光学機器を利用したという仮説につなげていく。

絵画なのにピンぼけが確認されたり、線遠近法に基づけば一つしかないはずの消失点が2つ存在したり。いわゆる”エラー”に光学機器の存在がチラリ垣間見えるのが興味深い。

さらに、本来上から見下ろす視点で描かれるべきものが、なぜか正面から見た図となっているという点に着目し、当時の光学機器では広範囲を一度に映写できないため、人物ごと、あるいは部分部分に分けて描きコラージュしたのではないか?という説が浮上する。

あくまで仮説の積み重ねであるが、最終的には、

西洋絵画の根底をなすもっとも重要な二つの原理、つまり線遠近法(消失点)とキアロスクーロは、光学的に投影した自然の映像観察から生まれたことを理解した(p198)

というところまで進んでいく。線遠近法を獲得したことにより新しい空間表現が生まれたのではなく、まず先に光学的に投影された映像があって、そこから線遠近法が生まれたという。

さて、ちょうどこの本を読んだ直後に『カラヴァッジョ~天才画家の光と影~
』という映画を観た。映画の中で、画家は平面鏡を利用していた。ホックニーは、鏡に映ったものを見るのと、鏡が投影したものを見るのはまったく違うという。

果たして画家はどのようにして描いたのだろうか。

Secret Knowledge

David Hockneyの『Secret Knowledge(秘密の知識)』
を精読する。

彼の仮説は、

  • 画家による光学機器の使用は1420年代にフランドル地方にて始まった(鏡のレンズ)
  • 16世紀には、個々の画家が実際に用いたかどうかは別として、ほとんどの画家が光学機器を用いた映像の影響を受けている

というもの。すでに確証されたフェルメールのカメラ・オブスクーラの使用より、はるかに早い時期に光学機器が用いられており、それがかなりの影響力を持っていたという。いずれも仮説なので、ことの真偽は留保しておくにしても、とても興味深い内容だった。

前からカメラ・オブスクーラの存在は知っていたけれど、わたしはごく一部の画家が部分的に用いた補助的な道具というニュアンスで受けとめていた。著者は実際に、明るいところにモデルを座らせ、暗い部屋でその像を写しとる実験をしている。その実験の様子を見て、はじめて「光学機器の使用」がどういうことかを理解した。

暗い部屋の中で、紙の上に投影された映像の輪郭をなぞっていたのだ。それは描くというより、写しとる作業に近い。画家が独自の線を生み出すという思い込みが崩れた。わたしにとっては、光学機器の使用がはじまった時期云々より、画家の光学機器の使い方が明らかになったことのほうがよっぽど衝撃的だった。

印画紙が発明されるまで、いわば画家たちはカメラの中で映像を画布に写しとっていたということになる。写真のフィールドからすると、射程に入れるべき映像の歴史が4世紀ほど前倒しになる可能性が出てきたのだ。

カメラが19世紀に発明されたと誤解している人は少なくない。カメラは発明ではなく、自然現象である。暗い部屋の雨戸に小さな穴が開いていれば、それだけで光学的な映像の投影はごく自然に起こる。カメラ・オブスクーラとは文字通り「暗室」を意味する。レンズも鏡も必要ではない。ただしそのままでは映像は薄暗いか、ぼんやりしているか、あるいはその両方である。大きな開口部にレンズを取り付けると、映像はずっと明るくなり、ピントも鮮明にあわせることができる。「写真」の発明とは、じつはカメラの内部に投影される情景を定着する化学薬品の発明にほかならない。しかしカメラのなかに投影された映像は、写真以前の何百年にもわたり、人びとの目に触れてきた。
(David Hockney 『Secret Knowledge(秘密の知識)
』青幻舎 2006 p200から抜粋)