負ける建築』が存外おもしろかったのを思い出し、隈研吾の著作を読みはじめたのだけれど、造形と社会との連関の話だから、建築にとくに関心が強いわけではなくてもすごくおもしろい。

(前略)コンクリートは突然にかたまるのである。それまではドロドロとしていた不定形の液体であったものが、ある瞬間、突然に信じられないほどかたく、強い物質へと変身を遂げる。その瞬間から、もう後戻りがきかなくなる。コンクリートの時間というのは、そのような非連続的な時間である。木造建築の時間は、それとは対照的である。木造建築には、コンクリートの時間のような「特別なポイント」は存在しない。生活の変化に従って、あるいは部材の劣化に従って、少しずつ手直しし、少しずつ取りかえ、少しずつ変化していく。
 逆な見方をすれば、二〇世紀の人々は、コンクリートのような不連続な時間を求めたのである。

(『自然な建築』 隈研吾 岩波新書 2008 p8より抜粋)

最近、時間のことを考えていた。

決定的な完了時点があるから、グラフィックの仕事のほうが好き。
ウェブはどこまでいっても終りがないからつらい。
ずっとそう思っていたけれど、ここにきて、継続的に手をかけて育てていかなければならないウェブという媒体、「育てる」というのが、案外、性にあってるんじゃないか…と思いはじめていた。

そうか、ウェブの時間は連続なのだ。

写真にしても、1点ではなく、複数の関係性によって何が見えてくるか、ということのほうに関心があって、連続と不連続との境界あたりを、おもしろいと思っているのだ。