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自閉的な近代の芸術観

わたしの旧くからの友人知人で、すすんで現代美術に接する人はほぼ皆無である。
伝統的な芸術に親しんでも、現代美術は苦手だという人は多い。どうして、それほどまでに現代美術は人々の生活から乖離しまったのか。その原因を探りたいと思っている。

 それ自体がそれによって切りとられた世界の断片の所有である絵を所有すること、それもできるだけたくさん収集することというコレクターの意思は、まさにルネッサンス以降の見る文化の一端であり、十八世紀末から十九世紀にかけて形を変えて、美術館や博物館というシステムへ回収されていくことになる。美術館や博物館はいわば十八世紀末に成立したブルジョア文化の現在における保存装置なのであり、かつての王権の変形した残骸なのである。(中略)
 また、一方で美術館や博物館は十九世紀に入ってからの激しい時代変動と同調して最後の礼拝的な場所としての機能も果たすようになっていく。(中略)
 “芸術の神殿”、芸術の絶対化といった考えが芽生えてくるのはこうした土壌からであり、この考えこそが芸術を芸術自身で自律させるという自閉的な近代の芸術観の根底をかたちづくることになる。芸術こそ最高の価値とみなすこの信仰は、いわば宗教の代用である。

ひきつづきジョン・バージャーの『イメージ Ways of Seeing―視覚とメディア』
からの抜粋である。「芸術を芸術自身で自律させるという自閉的な近代の芸術観」という視座は、その芸術観をごくあたりまえの「芸術のありかた」として受けとめていたわたしにとっては新鮮な驚きであった。

芸術を芸術自身で自律させる。すなわち、社会の直接的なオーダーからはなれたことが、現代の芸術が一般のひとびとにとって難解な表現を生み出したひとつの要因であることは否めない。

短絡的に結びつけるのは危険だけれど、こと現代美術が敬遠される…その理由のひとつを見た気がする。